今回の事件

だんだん、全貌が分かってはきましたね。この喜劇的なまでの悲劇。わかりやすすぎるくらいに、わかりやすすぎる自己分析。いつものように彼のプライバシーは徹底的にあばかれるでしょうね。
使用したナイフが対人用の戦争の武器だったそうだ。どうりであれだけの被害になったものだ。なんと日本国内で販売の規制が無いんだそうだ。なぜ、戦争用の殺傷能力を持った武器が、一般市民が入手できる状態になっていたのか。こんなことで、拳銃の所持だけを規制することに意味があるのか。うーん。しかし、これは。例えば、日本刀は、今でもかなりの民間人が簡単に買える状態になっているのではないだろうか。ここには、同じ問題があるのかもしれない。
なんでもそうだが、包丁でも、少し角度を間違えて、すべらせれば、簡単に他人を傷付けてしまう。これはどういうことを意味するかというと、簡単には他人を傷付けられないような構造になることが求められていることだ。あいかわらず、非常に原始的な形のままであることの意味。
政府は、ナイフの所持の規制の強化を言っているみたいだが、こちらはどうなのかな。
秋葉原をある種のものを象徴する場所として自生的に街が生成してきたときに、そのレジャーランド性は、アナーキーな解放性を意味していた。例えば、ディズニーランドは、強固な囲い込みと制限された入構口、徹底した手荷物チェックによって、そのユルいダウナーな空間は保護されている。秋葉原を同じような場所と考えることは、そもそも空想的であり、幼稚なのだ。
結局、今回の事件の深刻さの原因は、秋葉原というある種のものを象徴している、「聖地」が汚されたと考えることなのだろう。しかし、そういう受け止め方はどこまで真摯な態度なのか。最近の秋葉原が象徴していた文化はそれほどの強度をもったものであったのだろうか。
私は極論するが、ほとんどのマンガ、アニメ、ゲーム。間違いなくただのゴミでしかない。すが秀実はそれを、JUNK と言ったが、

JUNKの逆襲

JUNKの逆襲

そのどうしようもなさからから出発しないとどうしようもないだろう。