氏家幹人『大江戸死体考』

私は、死刑廃止論者ですが、なにか?ガンジー主義者ですけど、なにか?
というのは、最近の、鳩山法相のたて続けの死刑執行で、たとえば、宮崎被告の場合は、再審請求をしている最中であることを知っていた上で、刑の執行をやったと。
法律上は、判決が出た時点で、それなりの期間で殺せと書いてあるので、鳩山に言わせれば、法律違反をして裁かれたくないので、かたっぱしから人殺してまーす、ってなもんだろう。
しかしこの言い訳、見苦しくないですかね。たんに殺したかったから殺したんでしょ。法律にこの期間で殺せと書いてあったとして、破ったら、具体的にどういう量刑があると書いてあるのかといえば、なんにもないわけでしょう。
そもそも、法律は、国民を裁く(管理する)ためのもので、その法律を執行する官僚を裁くためではないわけでね。ほんと、死刑が必要だって言う奴には、戦争を始めた総理大臣をそれを国民に命令した時点で、殺人罪で死刑してほしいって話ですわな。
とまあ、そんなことは、死刑廃止論者が言うようなことじゃありませんが、早い話、自分がやりたくなかったら、自分で法律変えりゃいいわけでね、そういう立場にいるわけだし。
この鳩山、そういう意味で、歴史に名を残すでしょう。
しかし、アンケートをとると、日本人の7割は、死刑賛成なんですよね。
これは、なんなんだろうと思うんですが、幾つか、あるんだろうなと思います。そもそも、なぜ、今でも死刑があるのか。
なぜ、死刑があるのかと考えると、まずそれは、二つあると思います。
人を殺したいと思っている、ある人がいたときに、それをかなえるための、つまり、咎を攻められることなく、人を殺せるための、正当な手続きを確保しておきたい、という考えです。ここに、天皇の影があります。もし、天皇がだれかを殺したいと、命令したら、それをどうやってかなえるか。
つぎは、その逆です。恩赦です。なにかを、めでたいことと称揚するために、歴史上行われてきたこととして、罪重き人々の罪を軽くする、ということです。今でも、天皇家に、いろいろ、祝い事があると、無期懲役とかいって、30年くらいで、牢屋から出てきますよね。だから、日本での終身刑なんて無意味になっている。
よって、ロイヤリストたちは、当然、死刑絶対賛成。そもそも、王様の意に添うようにすることこそ、臣民のすべての「使命」なのだから、王様が殺したいと思っている人間を、ロイヤリストは「殺したい」。別に、それだけですけど、なにか。でしょーね。
よく言われるのが、家族の応報感情ですね。しかしこれは、三つの意味で、矛盾をもつと思います。
最初は、家族が殺したいから、その犯罪者が死ぬのであれば、家族がその犯罪者を殺すべきです。国家はなんの関係もない。
次は、そもそも、真実とは、科学とは、無限の、人間がこの世界に存在し続けるまで続く期間、続く裁判そのものなわけでしょう。冤罪も当然ありますし、いくらでも、事実の新しい側面は見えてくるわけですしね。
最後は、その家族の応報の相対性です。たとえ、どんな事件にまきこまれようと、個人、また、親族にとって、それは、一生の夢や希望とあきらめることと、ひきかえかもしれないわけです。交通事故でもそうですね。ある人にとって、この夢を実現するために、毎日、それを生きがいにして、がんばっていた。でも、交通事故で、怪我をしたために、その夢をあきらめなければならなくなった。自分の一生の生きがいをあきらめさせらえたこの事故を起した相手への応報として、相手の死こそふさわしいと、その被害者が思ったとしたら、それは一体、誰に否定できるのか。本人が、そうとしか思えないと思っていることを、いくら、客観的に相手を殺すことはやりすぎだと説得したところで無理でしょう。本人にはそうと思えないからそう言ってるのですから。
いろいろ書いてきましたけど、日本人にこれだけ死刑賛成を言わせるところの、一番、大きいのは、日本人が、死人とか、殺人に、かなり、日常的、普通のこととして生きてきた、その文化の影響なんじゃないかな、とは思うんですね。
さて、やっと、掲題の本についてですが、この本は、今の日本人、必読だと思いますね(そう言っている私も実は、この内容に食傷ぎみでして、半分くらいで、ちょっともういいなかって感じで、今書いてますが)。
そもそも、江戸時代、道とか、川とか、海に、人間の死体が、ころころあるというの、日常茶飯事の、毎日見るような光景だったんだそうですね。心中も、ほんと多かったし、辻斬りも、いっぱいあったのでしょう。
「ためし」と聞いてなんのことかさっぱり分からない、と思っている、今の、日本人は、平和な時代に生まれてよかったな、と、さぞ思っていることでしょう。
「ためし」とは、試し斬りのことであり、江戸時代なら、まず、100%、日本人なら、それだけで、その意味を理解したことは、間違いないでしょう。これほど、だれにも通じなくなった言葉も、めずらしいのではないですかね。
日本にでは、江戸時代の後期まで、試し斬りは、ずっと続いていたようで、確かにこういう風習は、中国の一時期はあったみたいですが、これほど、近代になってまで、やっていたのは、日本くらいのようです。
試し斬りというのは、刀が実際にどれくらいの切れ味なのかを確認するために、実際の人間を使って、「試す」という意味です。もちろん、生きている人間で行うのは(もう、「試す」じゃないと思いますが)、「生き試し」というそうで、江戸前期のキリシタンの資料などには出てくるようですが、基本的には、罪人が首つりなどの死刑を執行された後や道に転がっている死体や海に浮かんでる死体を使って行われたようで、主に、武士などの、上流階級の人間に献上する刀の実績として、行われたようですね。
でも、よく考えてください。武士階級が、もっていた刀ですよ。何本ありますか。何回、「ためし」やんなきゃなんないか。全然、死体の数が足りなかったみたいですね。
前の、葉隠を紹介した本のときも書きましたけど、しかし、少しずつですけど、江戸も後期に向かうにつれて、こういう野蛮な行為を忌避する傾向を見せる。

徳川頼宣の例を挙げてみましょう。先ほど申し上げたように試し斬りが大好きだった頼宣ですが、見事ん切りっぷりを披露したあと嬉しくなって儒者の那波道円に「中国にこんなによく切れる刀はあるか?俺ほどの切り手はいるか?」と尋ねたのがよろしくなかった。
「いえいえ、これほどの名刀、殿様ほどの使い手は中国広しといえども......」とヨイショするかと思いのほか、日頃から頼宣の「野蛮な」趣味を苦々しく思っていた道円は、ここぞとばかりに諌言を呈したのでした。

異国(中国)にも龍泉、大阿という宝剱がありますし、夏の桀王や殷の紂王のように人を殺して楽しむ悪玉もいました。およそ殺人を面白がるのは禽獣の仕業で人間の行いとはいえません。わが日本でも罪人の処刑役を務めるのは「穢多」ではありませんか。

同じく死刑に処せられる罪人を、その罪の軽重に応じて差別化するために制度化された死骸試し斬りの規定。裏返せば、人々は自分の遺体にさらに刃物を当てられることを心から嫌い、恐れていたのでしょう。だからこそ、姫路城主榊原(松平)忠次の次のような逸話も、美談として『藩鑑』に採録されたのだと思います。

姫路城下で、藩の御中間を務める某が、十歳ほどの町人の子供を殺害した。「酔狂に切殺し候」、酒に酔っての殺人だった。某は「成敗」(死刑)されることになったが、忠次公は、それでもまだ不十分と、小納戸役の者を召して「今日の罪人を小姓共に取らせ候間、ためし候よう」申し渡した。泥酔のうえ御中間という立場におごって町人の子を切り殺した罪の重さを考えて、某の死骸は、小姓たちの試し斬りに回されたのである。

一方殺害された子供の親類一同は、殿様のこの処置に涙を流して感謝したとか。処刑後の試し斬りは、重罪を犯した者に対する付加刑の意味を持っていたのです。

この試し斬りというやつは、なかなか大変だったようですね。よく切れたかどうかは、切った跡を確かめないといけない。そこで、傷口を開いて、肋骨がずれることなく、普通の間隔で二つに切られた後も並んでいれば、切れ味がいい。逆に、肋骨の位置がいろいろ、ずれると、切れ味があまりよくない。......すさまじく、血なまぐさい、凄惨な現場ですな。
ちょっとふれられていましたけど、人間にこうやって刃物があてられるというのは、杉田玄白などの西洋医学が入ってくるまで、ほかになかったんですよね。それまでは、東洋医学しかなくって、言ってみりゃ、脈みて腹さわって薬飲むだけですから。その西洋医学は、刃物で体を切りきざんで、治療するわけですから、なにかここにも、その象徴的な意味の崩壊がありますよね。
江戸の街は、死体がゴロゴロしていたわけですが、上でちょっと平気のように書きましたけど、そもそも、死体って、腐りますからね。不衛生なんですよ。よく、たたりとか言いますけど、そんな腐った人間が、「ためし」とか言ってゴロゴロしてるんじゃあ、たたり(という病気)も起きますわなあ。

大江戸死体考―人斬り浅右衛門の時代 (平凡社新書 (016))

大江戸死体考―人斬り浅右衛門の時代 (平凡社新書 (016))