三島由紀夫「わが友ヒットラー」

三島というのはどういう作家と考えるべきなのか。菊池寛の書く小説は、テーマ小説といわれたそうですが、三島の特徴とは、そのテーマ小説だと思いますね。
そうやって、いろいろ興味深いポイントをついたテーマをみつけてくる。
この小説も、なかなか考えさせるんですよね。
突撃隊SAというのは、言ってみれば、街のごろつきのような連中である。若くけんかっぱやい、教養もない連中。ヒットラーが、政治家をこころざしてから、トップの座をかちとるまでの間、私の兵のようにして、いろいろの対抗勢力に圧力をかける先頭となって、ヒットラーの手足となってきた。こういった連中は、ひとまず、政治の一角に勢力を占めるまでは、いろいろ便利だったりする。無茶苦茶やってくれますからね。そして、ヒットラーと突撃隊SAの幕僚長レーム。この2人の関係がおもしろい。

レーム 1921年11月、ホフブロイハウスの集会で、われわれ突撃隊が赤をやっつけたときは愉快だったなあ。赤のやつらその旗の色で、そのふやけた真蒼な顔を塗りたくる羽目になったのだ。
ヒットラー そしてあの長靴の一件さ。アドルスト鼠の一件さ。
レーム そうだ、長靴だ、思い出した。あのとき乱闘から引き上げて、ふと気がつくと、俺の体は何ともなくて、身代りに俺の長靴が剥がれて口をあいていた。
ヒットラー 爪先に大きな穴があき、靴底が剥がれて口をあいていた。
レーム 俺は早速靴直しに出そうとした。すると、アドルフ、お前が反対した。
ヒットラー 何と云っても戦跡をとどめた突撃隊幕僚長の長靴ほど、われわれの神話的な闘争を記念し、隊員の士気を鼓舞するものはないと信じたからだ。そこでお前は長靴を新調し、俺は事務所の棚の上へ、恭しく磨き上げてその長靴の片方を飾った。
レーム あれにチーズなんぞを入れた奴は誰だろう。
ヒットラー さあ、今以て犯人はわからない。これもきっとユダヤ人にちがいない。
レーム チーズを入れた奴がある。そこで後、俺がお前の事務所に訪ねたら、静かな事務所のどこかに怪しげなカリカリする音がしていた。そこで俺が長靴の穴から鼻を突き出した一匹の鼠を発見したというわけだ。
ヒットラー お前は怒って鼠を殺そうとした。
レーム それを止めたのはお前だった。
ヒットラー そうだ、チーズの件はともあれ、お前の歴史的な長靴にすべり込んだ勇敢な鼠が、俺には何だか縁起のいいものに思われたんだな。
レーム それから毎晩、お前がチーズを補給するようになったんだな。
ヒットラー 鼠はだんだん馴れてきた。俺とお前が2人きりで長い夜話をしていると、必ず鼠があらわれて、おそれげもなく近づいてくるようになった。そこで名前をつけてやる必要が生じた。
レーム ある晩行くと鼠が出てきた。首に緑いろのリボンをけていた。見ると、エルンストと書いてある。俺は烈火のごとく怒ったね。(両人顔を見合せて笑う)しかしその場はそしらぬふりをして、あくる晩になって今度はお前が......
ヒットラー 今度は俺が怒ったわけだ。なにしろ、鼠が赤いリボンを首に結んでいて、それにアドルフと書いてあるんだからね。(両人笑う)俺たちはつかみ合いの喧嘩をした。10年前まで、......そうだ、あのころまで、俺たちは兵営士気の、カラッとした、とっくみ合いの喧嘩をするほど若かったのだ。......もちろん腕力ではお前にかなう筈もない。とどのつまりは、俺が妥協案を持ち出した。......そしてその晩以後、鼠は白いリボンを首につけるようになり、鼠はその名をアドルストと呼ばれることになったんだな。

しかし、もうヒットラーのたどりついた場所は、こういった人間関係の延長でなにかをできる場所ではなかったのだ。

ヒットラー 冗談ではないぞ、エルンスト。事態はもう来るところまで来たんだ。俺は国防相フォン・ブロンベルクからこんな声明書をつきつけられた。これは軍部の総意と見ていいし、プロシヤ国軍の伝統が、ここへ来て大声で叫んでいると見ていいものだ。
レーム 「総理大臣アドルフ・ヒットラー閣下には、政府自体の力を以てこの政治的緊張を即座に緩和するか、もしくは大統領に戒厳令発布を奏請して陸軍に権限を移譲するか......」
ヒットラー その二つに一つを選べと言って来たのだ。
レーム 二つに一つを......
ヒットラー そうだ。それも即刻......
レーム これはおどしだ。恐喝だ。軍にこんな度胸が......

結局、軍隊という官僚組織がどういった存在であるのか。この総括もまともにできないまま、日本も戦後の自衛隊の存在がますます大きくなってきている。
軍部がいかに、暴走を繰り返し、政治家に事態の追認をさせ続けたか。いかに政治家からのシビリアンコントロールを骨抜きにしていたか。いかに延々と続く派閥闘争にあけくれていたか。過大評価も過少評価も許されない。これからも、何度も訪れるであろう、民主政治の危機。それは、このアジア各国の政治を見れば明らかですね。日本だけ例外と思っている人ほど、平和ボケしてるのでしょう。
さて、ヒットラーがドイツの独裁者になるとき、すでに突撃隊SAのような、ごろつき連中は、たんに邪魔でいろいろもめごとを起こす迷惑な存在でしかなくなっていた。

レーム 何があやふやなものか。人間だから、時には動揺もしよう。心変りもしよう。しかし余人はいざ知らず、アドルフは俺の友達なのだ。

こう言っていたレームも、休暇にだされたすぐ後に、ヒットラーによって粛清され、突撃隊の中核は抹殺され、国民はヒットラーから、レームや突撃隊の不正行為のため処理したと説明され、彼らの存在は、歴史から忘れさられていった。

サド侯爵夫人・わが友ヒットラー (新潮文庫)

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