浅見雅男『皇族誕生』

最近、新刊書でみかけて読んでみた。
実に、興味深い内容ではあった。
宮家は、江戸時代は、4つしかなかったが、明治時代に、ものすごい数に増える。その理由としては、明治天皇の子供が、次々に早死していることに、危機感があったから、ということらしい。
だから、皇族から、天皇が、優先順位をもって、選ばれる、というわけなので、皇族が、多くないと、選ばれる人がいない、ということになる。
おおまかにはこういうことなのだが、細かくみていくと、いろいろなことが書いてある。
まず、明治の最初の皇室典範においては、宮家の養子が認められていた、ということだ。すぐにこの規定は廃止されたようだが。これを運用しようと、した側としては、おそらく、同じような他の宮家から、養子に来てもらって、自分たちのイエ、宮家の存続をすることを念頭においたもので、まったく天皇の血族と離れた人を入れる意図があったとは思えないが(当然なのかな)、とにかく、そういう規則があった。
あと、明治の皇室典範には、側室制度があるわけだが、どうもこの、側室になれる女というのは、当時は、それなりの身分じゃないと無理だったようだ。そのため、当然のように、そういう身分にはとてもおよばない、身分の低い、ただのお手伝いさんみたいな人をてごめにして、子供ができたんだけど、皇族にはできない、そういったケースが何回かあったそうだ。
もちろん子供など、遺伝子でも調べきゃ、だれの子かはっきりはしないものだが、しかし、あまりにもあきらかな場合だったのだろう。
しかし、こんな規則がある限り、どんどん近親相姦が進まないか。どんどん弱い遺伝子にならないか。そう思うのだが、実際、日本の歴史を通観しても、そういうミヤビな人たちばかりの近親婚ばかりやって、支配階級の血族的な連帯を強めることばかりやってますよね。
こういうのを見てると、逆に、日本のイエ制度において、血縁として、なんの関係もないところから、平気で養子をもらう慣習は、この反動じゃないかと思えてすらきますね。
たしかに、日本には、名字といいますか、姓名の姓が、あっても、結局、正統なものは、みんな天皇家から派生した、源氏とか平家とか、そういうのばっかりですから。本質的に、姓名の姓はないんですね。全部、ひとつに収斂してしまう。姓名の姓による、近親相姦の回避の意識が弱いのも、当然といえば、そうなのだろう。
そして、一番大きいのが、皇籍離脱の条件や、宮家廃止の条件、宮家創設の条件、こういったものになるであろう。
もちろん、ほっとけば、いくらでも、宮家は増えて、皇族はネズミ算で増えて、その分、税金がかかることになる。そこで、伊藤博文など、多くの政治家は、なんとか、宮家が廃止になる条件を、法律で明確にしようとして、最後はそれなりのものになっていたようだ。
そもそも、戦前あった、宮家は、すべて、天皇そのものからは、あまりに血縁が離れすぎていた。その当時の法的には、全員、皇籍離脱でも文句を言えないような、血のつながりだったわけですよね。
最後に、この本の白眉は、その皇族の多くが、軍隊に所属していたことにフォーカスしていることだ。天皇は、陸海軍の頂点であることから、皇族が軍人になることは、運命付けられていて、このことが、大日本帝国軍の特徴の一つとなっている。
皇族が軍隊に入るということは、どういうことになるのであろうか。

(陸幼の上級生が訓練のときに)よく後からついて来て、『殿下、大丈夫ですか』といって心配していましたが、私は一度も落伍したことはなかったと思います。訓練の時間だけは、皇族も一般生徒と差別がなかったことを、心からうれしく思ったのだろうと思います。(略)ほかの生徒と一緒になって、ガムシャラにかけている時「皇族の孤独感」をまったく忘れてしまうのが、何よりもうれしかったのでしょう。教練の銃剣術の時も、相手が、私だからといって、遠慮して力一杯ついてこないと、何ともいえない、いやな寂しい気がしました。

マルクスは、戦争も、「交通」の一つと言ったそうだが、軍隊の中で、皇族は、庶民と「出会う」のだ。彼らは、特別扱いを、極端に嫌った。実際は、ほとんど、戦争の前線には立たなかったようだが、そもそも、そういうおせっかいが、耐えられないのだ。彼らは、こうやって、軍隊の中で、市井の庶民と同じに扱われ、同じように行動し、連帯意識がもてることが、この上なく、幸せだったのだ。
有名な、稔彦王ですね。彼は、天皇の妹と婚約した後、フランスに留学していて、そこで、マルクス主義の講義を受けたりもしているそうだ。そして、いくら呼び戻そうとしても、なかなか帰ってこなかったことでかなり問題になったようだ。留学する前に、天皇に向かって、皇室離脱をちらかせていたりと、かなり挑発的に、確信犯的にやってたわけで、じゃあ、そのまま皇室離脱させたらという話もあったようですが、天皇の妹と婚約してるわけだから、そんなことをしたら、その妹まで、離脱させなきゃならないわけで、実現はされなかったようだ。
2.26事件のときも、いろいろ噂のある人だし、平泉澄との関係もよく言われますね。ただ、戦後すぐの総理大臣になるんだけど、(しょせんそういう立場というだけですから)政治の手腕については、評価はかなり低い。あまり才能のある感じじゃなかったのでしょう。そして、総理をやめた後、一挙に、多くの皇族が皇籍離脱する。平成2年、102歳で、亡くなったそうです。

皇族誕生

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