呉善花『漢字廃止で韓国に何が起きたか』

韓国が、漢字廃止、ハングル専用の、学校教育政策をとったのは、1968年からだそうだ。
ハングルとは、日本語でいえば、かな文字となるのだろうが、おおざっぱに言えば、表音文字。ハングルも、単純な音声言語と考えるには複雑である。しかし、その複雑さはしょせん、その音声文字としての、レベル。
私は、江戸時代に大変普及した、「かな文字論語」などの、すべて、ひらがなで書かれた、中国古典の本を思い出した。単純に、こういう教育政策をばかにすることはできない部分はあると思う。日本語の出版物でも、最近は、なんでもルビだらけなわけですし。少なくとも、識字率の向上には、役立った面はないのだろうか。
もともと、ハングルだけでの記述が、官公庁向けの文書すべてに強要され、教育機関で、漢字を使わなくなったのは、韓国ナショナリストの政策だというんですね。純粋朝鮮的なものを追求していった結果というわけでしょう。
だから、言文一致運動の、一つの側面だったということでしょう。なんらかの意味で、「正確な」意志の疎通が、重要だったわけだ(日本の明治の、「言文一致」については、また、別の機会にでも)。
しかし、さきほど、韓国ナショナリズムと言ったが、一般に大衆へ、ハングルが教えられるようになったと言えるのは、日本植民地時代、ハングル漢字混合文として、教育されたわけだ。
多少深刻なのは、韓国の漢字はずっと長い歴史上、一部の知識人、政治家のものでしかなく、大衆には縁遠いものであったし、国語教育が普及した現代になって、早くに、こうやって、ハングル以外禁止となってしまったため、今、その言葉の元の漢字、また、その意味を追求することは、難しくなっているんですね。
著者は、大変、重要な指摘をしている。それは、もし、韓国が漢字を復活させるとしても、それは、「訓読み」という、この日本の方法の導入によることが、重要だ、ということですね。そして、著者は、そのことは決して難しくないだろう、と指摘している。
なぜ、漢字が韓国において、排除されえたか。それは、漢字が(太古の昔はともかく、今)音読みとしてしか、使われていなかったから、なんですね。
ところが、日本語においては、大変、複雑なからみあいをする。

日本語を覚えはじめて間もないころ、一つの漢字にたくさんの読みがあることで、かなり頭のなかが混乱した。韓国では「生」という漢字は「セン」という音で表すだけ。つまり日本式にいえば一つの漢字には一つの音読みしかない。「しかない」というよりも、一個の文字列に対して複数の音が対応する(読みがある)日本語のほうが尋常ではない。
「生」ならば、まず音読みとして「せい」と「しょう」の二つがある。さらに訓読みとして「いきる」「うむ」「はえる」「おう」「き」「なま」「うぶ」などがあり、人名や地名となるとそれ以外に意味不明なさまざまな音があるのだから大変だ。なんでわざわざ漢字にあてるのか、ぜんぶ平仮名で表記すれば簡単なのに.....と思ってウンザリしたものである。
しかし、それだけで驚いてはいけなかった。同じ音をもつ言葉が、それぞれ意味の異なる多数の漢字の訓読みにあてられているのである。これにも困った。
「顔に墨が付く」という用例で「付く」と教わると、こんどは別のところで「あなたの家に着く」という「着く」が出てくる。また「仕事に就く」とか「胸を突く」などが出てくる。こうなると、「つく」という言葉の正体がまことに不明瞭になってくる。そこで辞書を引いてみると仰天するのである。
「付く・着く・就く・即く」「吐く」「尽く、竭く」「突く、衝く、撞く」「斎く」「搗く、舂く」「漬く」「築く」などがズラッと並んでいて、辞書に載っている以外にも「つく」の読みをもつ漢字はたくさんあるらしい。混乱は一層深まり「つく」とはいったいどういう言葉なのか、まったくわからなくなってくる。
韓国語では「付く」を「ブッタ」というが、他の「つく」はすべて別の言葉で現わされるから、「つく=ブッタ」と覚えるばかりでは日本語の「つく」という言葉の意味を知ったことにはならないのである。
そんな具合に、漢字と訓読みとの関係では大変な苦労をしたのだが、いまでも十分に読み分け書き分けができるとはいえない。しかし、このややこしい訓読みがある程度こなせるようになってくると、自分でも驚くほど漢字の知識と日本語の力が身についてくるのである。後に詳しく述べるが、それは訓読みを通すことによって、漢語が和語(固有語)としっかり結びついた形で頭に焼きこまれていくからである。

日本語というとき、書き言葉として、日本語などというものは、存在「しない」。そのことをよく分かっているのが日本人である。では、今、日本人がこうやって使っている「書き言葉」は一体何かといえば、漢文。日本語で、文章を読めば読むほど、書けば書くほど、いやになるほど、気付かせられるわけです。
太古の、書き文字をもたない日本語をネイティブとしていた人たちが、その漢文を目の前にしたとき、なにが起きたのか、なんですね。二つのことが同時におこる。
ひとつは、解釈。まず、その漢文が何を言っているのかを理解し、これを書いた側と意志疎通ができなければ、どうしようもない。
もう一つが、自己記述。自分たちも、自分たちのことを記述したいと思うことは当然でしょう。そのとき、自分たちが常日頃話している音声言語との関係が問題になる。
しかし、漢文においては、その問題に十分対応できる仕組みが、そもそも、あったわけだ。魏志倭人伝で、「卑弥呼」と書けたのも、そうですね(日本人の語る名前は、中国人には、そう聞こえた、というわけだ)。夷狄の言葉を表現する能力が漢文には、最初からあった
そうすると、その部分を極端に肥大させれば、かなりのことが漢文には、もともとできるくらい、漢文の能力はすごかった、ということだ。

来日して五年ほど経ったころ、私はある日本人が「国破山河在」という漢文を書き、それに送り仮名をふって「国破れて山河在り」と示し、そのまま日本語で読み下してみせたことに心から驚いた。
また「欲往城南望城北」ならば、返り点などを付けて「城南に往かんと欲し、城北を望む」と読み、「天下皆知美之為美」は「天下皆、美の美為るを知る」と読むのだからさらに驚いた。そういう具合に、日本では漢文の読み方の方式が確立されているため、外国語が簡単に日本語になってしまう。まるで魔法のようだと感じたものである。

彼女は、ある転倒を体験している。
先程、解釈と言ったが、普通に考えて、解釈など、可能なんですかね。だって、漢文を書いてきた、中国人でもないものが、その文字の表現していることがなんなのかなんて、ほんとうにわかるものですかね。
もちろん、その漢文そのものにある構造は、どうしようもなく、強固であり、ここを逸脱していけば、中国人に意味は通じなくなる(逆に言えば、変な言い方だが、今、日本人の書く日本語は、かなり、中国人に、アウトソーシングできるほど、「読める」ことを、誇ってもいい。それくらいのレベルの、「漢文」を今も日本人は書いている、ということだ)。
でも、そこにあるのは、漢文を、自分たちに分かりやすいように解釈したその蓄積そのものなわけだ。それは、書くことの実践そのもの。その、延長にあっただけであり、今でも、その構造は変わらない。

「漢字廃止」で韓国に何が起きたか

「漢字廃止」で韓国に何が起きたか