すが秀実『吉本隆明の時代』

私が、というより、日本の歴史に興味のある人のだれもが、どうしても、ひっかかっているのは、間違いなく、1960年代を中心にもりあがった、全共闘運動、ではないでしょうか。
もちろん、今でも、団塊の世代の青春の1ページのように、郷愁をこめて、想い出されるような、どうでもいい言説は、ときどき、散見されるし、当時の、かなりの中心人物が、あらためて当時を振り返る言説も、もちろんある。
でも、「結局、これは、なんだったのか」、という、そういう「全体」を提示しようという、言説には、なかなか、おめにかかれない。
それって、なんなんだろうかな、と思うんですね。
恐らく、いろいろな、人が、実際、「実践的」に関わっているというのもあって、なかなか一面的に語れない、というのが一番の原因なんでしょうね(裏返して言えば、みんな、当事者なので、とてもじゃないけど、距離を置いて、語れない、ということなのでしょうが)。
また、革マル派中核派、のように、その実践を、その後も、ずっと続けていく人たちもいるわけですから、余計に、そうなるのでしょう。
田母神という元自衛隊の人の言説が去年、話題になりましたが、むしろ、「歴史」を問い直す発言が、こうやって、不況になってきて、さらに、多くなるのではないか。そうしたときに、その歴史って、なにをもってそう言ってるのか、なんですね。
まず、近現代史、をどこまで歴史と考えるのか。現在との連続性を考えるなら、どうしても、近現代は、重要なはずでしょう。しかし、当事者が、現在も多くいる関係もあって(隠したいことも多いでしょうから)、どうも事実がクリアになっていかない。
もう一つは、全共闘運動なんてものは、おそらく、普通の歴史じゃあ、とりあげられないでしょう。なぜなら、「国家」の政治じゃ、ないからです。しかし、そこで議論されたことが、まったく無かったことであるかのように、無視されることに疑問をもたないのだろうか。
ひとたび、歴史を口にするなら、喧嘩上等。やるなら徹底的に細部の細部まで、やってやろうじゃないか。
さて、掲題の、すがさんは、最近、1968年、をキーワードとして、全共闘運動の問題に、とりくんでいる、ということだ。
今回の本も、その一連の仕事の中の、一つのようだ。この、吉本隆明の当時の仕事を中心に描かれた「全体」は、さらに、多くのことを考えさせてくれる。

事態が一変するのは5月19日、政府自民党衆議院の安保特別委員会と本会議で、警官隊を導入して安保条約・行政協定の採決を強行した時からである。これによって、来る6月19日には新安保が自然承認されることが決定した。国民会議の宣伝カーからは、安保が強行採決されたのでデモ隊に「流れ解散」を指示するアナウンスがなされたが、それはデモ隊からの罵声と怒号で聞き取れないほどであった。それは議会制を無視した強行採決への非難であるとともに、デモの高揚を流し去ろうとする議会主義政党への失望である。5月19日の事件は、すでに「国民的に」普及していたテレビをはじめ、ラジオや新聞で即座に報道された。これを境に、「アンポ反対」から「岸を倒せ」へとスローガンも変化していくのである。

これが、有名な、5.19革命、ですね。立花隆が、安倍元首相の本を、批判したとき、「安倍さんはまったく分かっていない」、と言っていたことですね(少なくとも、この時点では、安保の問題ではなく、民主主義の問題だった、と)。
ただ、この本でもあるように、この問題は、そもそも、代議制、は、民主主義の制度として、その正当性を主張しうるか、という問題なんですよね。
代議制とは、ていのいい、独裁国家の隠れ蓑、でしかないでしょう。むしろ、そのむきだしの真実を決定的にさらけだすためにこそ、この時の大衆運動の、もりあがりがあったのではないか。
そう思うんですけど、そして、これだけ、問題がこうやって痛切に提示されながら、あいかわらず、楽観的に、代議制、に賭けるしかない、みたいな話なわけだ。
代議制が唯一無二なら、デモは、無駄なあがきなだけでなく、代議制を邪魔する、民主主義の敵、にさえなりかねない。しかし、どうです。どっちが、民主主義を、体現していると思うか。
一つだけ言えることは、代議制民主主義の方も、そういううしろめたさがあるんで、問答無用で、デモを弾圧して、国民感情を逆撫でするだけの、岸元首相のような、KYを、無条件リスペクトするのは、安倍元首相、くらいってことですかね。

このような中で、60年代の諸メディアの布置も大きく変化せざるをえない。文学的商品は資本によって系列化を余儀なくされていく。吉本が指摘するごとく、「新日本文学」のような雑誌は、出版資本主義の攻勢の前で空洞化をあらわにしていく。中小のリトルマガジンや大学新聞は、資本の系列の周縁や末端に位置を占めるか棄却される。

当時の学生運動の論客が発表していた媒体は、学生新聞や、アジビラ。70年代以降、吉本隆明にしたって、大手出版社のマスメディアで、商品として、発表していくわけで、ここに、発表についての、ある変化があることは確か。そんなことを思ったんですけどね。大手出版社によって、全国で売られるような文章になっていくと、自然と、そういう、いろいろなところに気を使うような、そういう文章だけが、パブリックなものとなっていく。もう、それまでの、言説のパワーのようなものは、ありえないのか、とも思ったんですけど。

商品が流通・交換されるのは、個々の商品に投下された具体的な労働が、抽象的には「等価」だと見なされているからである。簡単に言えば、どんな労働に従事しようとも、同一時間の労働には同一の賃金が支払われていると見なされる(職業に貴賤なし!)。ここで、市場において個々の人間が相互に対等に交通するという市民的倫理が成立し、労働者は普遍的な「市民」へと陶冶されることができる。グラムシにおいては、マルクスの言う労働の「抽象的」側面こそが、人間的「普遍性」へと止揚される契機として捉えられていると言えよう。60年安保における構造改革派や丸山真男ら市民主義者は、日本の社会が、この普遍性を展望しうるまでに成熟したと考えたわけである。
もちろん、現実の資本制国家の枠内では、資本や、階級、国家といった阻害要因によって、このような普遍性にはたやすく到達しえない。そこで、市民社会におけるさまざまな場面での「市民的」=「倫理的」なヘゲモニー闘争が要請されることになり、有機的知識人の必要性も、ここら導入される。「民主主義を守れ」という知識人の提言による安保闘争後期のスローガンも、そのようなものとして捉えられる。しかし、そのヘゲモニー闘争の根幹には、労働の「抽象性」がすでに傾向的に成立していると見なされねばならない。より端的に言えば、労働組合の賃上げ闘争や搾取に反対する闘争をはじめとする、政党・文化団体等の様々な「ヴォランタリー・アソシエーション」(丸山真男)が有効に作動していることが前提となっている。それが、成熟した市民社会の条件だからである。
他方、ルカーチにあっては、労働の抽象性はまったき「疎外」として考えられている。ルカーチの物象化論(疎外論)は、爛熟した市民社会における労働を、数量化=物象化され質的なものを疎外するようなありかたをしていると捉えた。つまり、労働の抽象的な側面、あるいは商品が交換価値として数量化されることを批判して、具体的有用労働と使用価値的側面をポジティヴに突き出すのである。ルカーチにとって、商品の交換可能性の保証であるところの労働の抽象性や交換価値は、むしろ、自己のものであるはずの生産物が他者に譲渡(疎外)されるための否定的な側面とみなされるのである。

市民社会、というカテゴリーは、(ヘーゲルが使うわけですけど)なんというか、結局、なにについて言ってるんだろう、という所があるんですよね。この本の、花田清輝も言ってますが、「市民とは誰なのか」、いや、むしろ、「だれかを市民と言っているその人の言う市民とはなんなのか」、なんですね。そのイメージというのは常に、一面的で、どこか、その人の体験から、パッチワークされた、一方的なものでしか、ありえなくなっている。
結局、学問として、こういったマスに、どうやってアプローチをするか、というのは、常にそうだけど、なかなか、つらい作業になってしまう(もちろん、学問的なアプローチでは、統計を使うなど、いろいろやってるんでしょうけどね)。
すがさんの整理の文脈では、

同じくヨーロッパ・マルクス主義の源流であり、今日の思想にも多大な影響力を及ぼしているグラムシルカーチという1920年代の状況に応接した思想が、かくも異なった発想によっている

ことの興味深さを、指摘したい、ということのようですが(そして、グラムシ丸山眞男で、ルカーチが、吉本隆明黒田寛一、だと)。

昨年秋、加藤執行部ができて、全共闘の要求して来た7項目のほとんどを容れるようになったころ、全共闘系から「問題は7項目をのむかどうかでなくてのみ方がなのだ」ということを言い出した。今から思えば、あの時が、東大紛争の大きな転換期だった。つまり、東大紛争の疑似宗教革命的な性格はあの頃から露わになった。のみ方がいいかどうかは心構えや良心の問題であって、外部的行動では判定できない。したがって大衆運動ないし社会=政治闘争の問題にはありえない。(中略)内面性と良心にかかわることをいともたやすく大衆の目前で告白を強いる「自己批判要求」ないし「果しなき闘争」というまったく不毛な運動の思考形態はこうしてひろがって行った。それはノン・セクト・ラヂカルが安田城のヘゲモニーをにぎった時期とほぼ一致している。「良心の自由」の何たるかを知らない点だけでも、それは完全に戦前型を脱していない。一体何がニュー・レフトなのか!
丸山眞男『自己内対話』)

まあ、有名は話ではありますね。全共闘の、自己否定。
上記の、(丸山眞男、言わくの)5.19革命、があって、でも、その後も、ベトナム反戦もあったりして、学生運動は、続く。続くんだけど、それって、なんだったのって話で、じゃあなんで、消滅したの、と。
みていくと、よくわかんないんだけど、少なくとも、こういった、自己否定、が最後の方で、やたら目につく。
丸山眞男は、上記の時点で、こういう風潮を痛烈に批判したのでしょう。じゃあ、今からみたとき、丸山眞男こそ、全ての答だったのか、っていう問題なんですよね。もっと言えば、彼だけが最後の答なのか。

フーコーが丸山の名前をあげている日本での講演「政治の分析哲学」(渡辺守章訳)から忖度する限り、フーコーは英訳で読んだという『日本政治思想史研究』における、荻生徂徠儒教敵「作為」概念を、ヨーロッパにおいて「国家の形態の成立(この場合、それと相即敵な「市民社会」形態の成立、ということと同義であろう----引用者)に重要な役割を果たした」ところの、当時フーコーが「牧人=司祭型権力」と呼んだものとアナロジーしているように見える。それは、「社会」を創設した「大正デモクラシー」のイデオローグたちの「作為」につうじるものである。
しかし、丸山が徂徠の「作為」概念を積極的なものと考えたのとは反対に、フーコーは、それを批判的に捉えている。丸山への言及がリップサーヴィスでないとして、本章で述べてきたような意味でフーコーが丸山に興味を持つことは十分にありうる。それは、フーコーが丸山の「作為」論を読み変えていたということであろう。つまり、「国家/市民社会」概念が作為的な「統治のテクノロジー」であるならば、それに対抗するパースペクティヴも、また可能なはずだというふうに、である。

この本でも、近年、丸山眞男の再評価が一方でありながら、批判的なアプローチもいろいろある、と紹介はされてますね(たとえば、酒井直樹さんの仕事、子安宣邦さんの仕事)。
じゃあ、なにが答え、なんでしょうね。ほんと、学者の人にこそ、いろいろ考えて整理してほしいものですね。

吉本隆明の時代

吉本隆明の時代