福岡伸一『できそこないの男たち』

さっそく、第二弾、のようなものらしい。
内容は一見、よくある、男と女の違いがどーのこーの本、のようだが、言ってることは、かなり強烈だ。
ドーキンスの利己的遺伝子の、次に来る本と言ってもいいくらいだ。
私は、昔から、思っていたことがある。それは、男の顔について、だ。
なんと言ったらいいだろうか。なんか、ボヤーっとしている。輪郭もどうもはっきりしないし、肌のツヤから、つくりから、どこか、たよりない。もやもやっとして、なんとなく、形だけは、なんとか、維持されている、そんな印象だ。
これは、女性と比べてみると、一目瞭然だ。女性は、実に、生き生きしているし、キラキラ、輝いている。輪郭も、実に、クリアだ。
著者は、男というのは、女性がこの世界に産まれて、かなり、後になって、誕生したのではないか、と推測する。つまり、遺伝子の混合によって、より、環境に適応できるような、強い性戦略から、うみだされた。
しかし、その作られ方は、ずいぶんな、まにあわせの、やっつけ作業だったようだ。
その典型的な例は、Y染色体だ。
コンピュータ業界でも、あらゆるシステムは、デュアル構成だ。クラスター構成なども、最初はびっくりしたものだが、はやり、定着した。トラブルで止まったら、待機系にきりかえればいいだけだ。
生物の恒常性もほぼすべて、この仕組みになっている。そして、この最も典型的なものが、遺伝子だ。XX遺伝子は、一方がいかれても、もう片方を、使えばいいのだ。ここに、女性の美しさがあるのだろう。女性こそ、完璧だ。すきがない。
しかし、なんともなさけないことに、Y染色体は、一つだけ。これが、こわれたら、もう、こわれっぱなしで、放置するくらいしか、やれることはない。男は、こわれて使えなくなったガラクタを、体中にくっつけて、ぶらさげて、なんとか、その日その日を、やりすごしてる、というわけだ。

近年、明らかになってきた免疫系の注目すべき知見のひとつに、性ホルモンと免疫システムの密接な関係がある。主要な男性ホルモンであるテストステロンは、免疫システムに制御的に働くのである。その理由やメカニズムの詳細は明らかではない。
が、しかし、テストステロンの対内濃度が上昇すると、免疫細胞が抗体を産生する能力も、ナチュラルキラー細胞など細胞性免疫の濃度も低下する。テストステロンにさらされると、免疫細胞は細胞間のコミュニケーションに欠かせないインターロイキンやインターフェロンガンマといった伝達物質の放出能力が抑制され、その結果、程度の差はあれ免疫システム全体の機能が低下することになる。
そしてテストステロンこそは、SRY遺伝子の最も忠実なしもべなのである。先に記したように、受精後6週間目に、男性となるべき受精卵に運び込まれたY染色体上のSRY遺伝子が活性化され、一連のカスケードが動き出す。男性を象徴する器官が作り出される。その中心に睾丸がある。そして、睾丸からは大量のテストステロンが、このあと受精24週目まで放出されつづける。テストステロンは筋肉、骨格、体毛、あるいは脳に男性特有の変化をもたらす。胎児は全身にこのテストステロンのシャワーを浴びて初めて男になるのだ。
テストステロンの分泌はその後、いったん休止する。思春期を迎えると男性の睾丸から再び、大量のテストステロンが放出され、男の子の身体に第二次性徴をもたらす。テストステロンはその後も高い値を維持し、加齢とともにゆっくり減少していく。
つまり、男性はその生涯のほとんどにわたってその全身を高濃度のテストステロンにさらされ続けることになる。これが男を男たらしめる源である。とはいえ、同時にテストステロンは免疫系を傷つけ続けている可能性があるのだ。
なんという両刃の剣の上を、男は歩かされているのだろうか。

男の、あの、まるで、リミッターを外したかのように、簡単に、筋肉量が増える、運動能力は、言ってみれば、まさに、リミッターが外されていて、徹底して、免疫系が、抑止されることで、実現されている、というわけだ。
免疫系こそ、人間が、この地球上で、ミクロのレベルで、外敵の侵入から、自らのオートポイエーシスを守る、最後の砦である。男が男であることを宿命づけられて、生れた時から、自らの防御装置を、停止させてまで、なぜ、そこまでして、この世に生まれでようとしてきたのか。
それもこれも、すべて、生物の「遺伝子混合」戦略のため、というわけだ。
そのために、ひとつの強烈なシステムが、男には、埋め込まれてやがる。「射精にともなう快感」だ。女とのセックスで行われる射精では、相当の疲労があるという。たいてい、一回、いくと、男はヘタヘタしてるものだ。しかし、それを無意識の中にうもれさせるくらいの、快楽物質、麻薬、が勝手に、脳の中で、つくられやがる。
なぜ、男は、女に対して、マゾヒスティックなのか。なぜ、男は、太古の昔から、女へ、忠誠を誓い、ご奉行をまっとうしてきたのか。
男が女に、勝手な、幻想をいだくのも、当然でしょうね。
でも、聞くところによると、NGOなどで、海外で、進んでボランティアをするのは、女性の割合がかなり高い、という。女性も、(宮台さんが言うように、)死する墓前に、たくさんの「友達」が集ってくれるような、個的な「しあわせ」だけが、すべての生きがい、と思うような醜いナルシシズムに疑問を思い、自らが、進んで社会に、働きかける、そういう生き方を求めるようになってきた、ということなのだろうか。
しかし、そうでもなければ、いかにお前の産む子供が「健康」だろうが、お前の女としての「魔力」がバケモノだろうが、「お前そのもの」に、魅力がなさすぎるだろう。

できそこないの男たち (光文社新書)

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