NHKスペシャル「女と男」

なんだ、第3回(最終回)は、ちょっと前に紹介した本の、姉妹的な内容でしたね。
こちらは、「人類滅亡の日」、を、主題にしているところが違っている。
人類の歴史において、男だけがもつ、Y染色体は、消滅の一途をたどっている。このスピードだと、少なくとも、600万年後、には、なんにも残らないくらい、みじかくなると。こういう、マクロの未来の話から始まる。
X遺伝子というのは、どんどんXX同士で補修し合い、混ざり、どれが、だれの子孫のものかが分からなくなっていく。それに比べ、Y遺伝子は、なんにも変わらない。チンギスハーンが世界中に子供をつくると、世界中に今でも、チンギスハーンのそのままのY遺伝子をもつ男でいっぱいだ。しかし、変わらないということは、どういうことか。壊れて、どんどん、ポンコツのガラクタになっていくということだ(それが、どんどん短くなっているということらしい)。
このことは、私たちが、「進化」とは、一体、なにをしていることになるのかを考えるときに、大変重要なことを示唆している。進化は、本当の意味で、「無限」の未来に渡る繁栄を目指したものでは、決してない、ということだ。こんな、少なくとも、あと何百万年後には、絶対維持できないような未来を選択しやがる、「中期」的には、それがベストの選択だったから、一番強い環境選択となった、というだけなのだ。
恐竜だけではない。哺乳類にも、必ず、「偶像の黄昏」は、訪れる(そういえば、zaurus 生産中止の発表があったんだっけ。なんとか別の形での復活をにおわす発表でしたけどね)。それが、「進化」の、超マクロ的な「論理的」帰結、つまり、進化であるということが、そのまま、超マクロ的単位での滅亡が最初からプログラムされている、ということと同値だ、ということなのだ(残念だが、千代に八千代に、とはいかないみたいだ)。
コモドドラゴン、という存在を最初に見たとき、これこそ、生きた化石、「恐竜」、が現代に蘇えった、と誰もが思ったのではないか。オーストラリアの方のどっかの島に生息するんだったか。一見、ワニのような形であるが、赤血球が倍くらい、あるんでしたっけ。しっぽも含め、2、3メートルはある巨体が、ものすごい勢いで、「走る」。島から島へ「泳ぐ」。フツーに、大の大人の男と戦って、勝って、ペロリと食べちゃう。
その、コモドドラゴンが、神をも恐れぬことを、やりやがった。処女懐胎、である。
オスのいない、動物園で、勝手に、子供ができてた、という話だ。
しかし、これは、人間では、起きえない(イエスは、マリアがどっかの男とチョメチョメ(フルッ)やんないと産まれない)。
なぜなら、哺乳類が作られるために必要な、胎盤の形成には、Y遺伝子にある、SRY遺伝子が、重要な役割をはたすから。コモドドラゴンは、タマゴだから、できた。
ところが、今、この地球上に、哺乳類なのに、Y遺伝子をもたないものがいるんだそうだ。日本に生息する、シマネズミ。
じゃあ、今までの話はなんだったの、という気持ちにならなくもないが、ようするに、ある遺伝子の突然変異により、X染色体のどこかが、その本来、Y遺伝子にあるSRY遺伝子のかわり、をしているのだろう、ということだ。
でも、そんな都合のいい突然変異が、どこでも起きるとは、考えられないから、何百万年後には、地球上には、そのシマネズミしか、哺乳類はいない、なんてことになるのかもしれない。
しかしですねー。こういう、哺乳類レベルの超マクロ的な話以前に、中期レベルでの、こと、人間の生殖戦略は、かなり、勝ち残りタクティスとしては、疑わしい、のだそうだ。
たとえば、人間と、チンパンジー精子を顕微鏡で比べると、大変なことに、気付く。チンパンジーのオトコノコ、元気なのよねー。しかも、いっぱいいっぱいオナカいっぱい(ノードが濃い)。
なんで、こんな差になっちゃうの、というわけだが、それは、お互いの生殖戦略の違いに起因している。チンパンジーはキョーレツなスワッピングやりまくりの乱交型なのだ。メスは多くのオスと性交を行う。ということは、何回やってもオンナノコにたどりつかないヒヨワなオトコノコでは、あまりに成功率が悪い。キョーリョクなビンビンに元気なオトコノコをシャセーするオスに、先をこされてしまうのだ。
ところが、こと人間社会は、女性、囲い込み型。一生、(まるで所有物のように)一人の男の専用、となる(シャア専用ザク、みたいなものだ)。一回、失敗しても、ダイジョーブ。昔のイギリスの囲い込み農業のように、外に邪魔されないようになってるんだから、好きなだけ、何度でも繰り返してれば、いつか成功するでしょう。つまり、全然、弱っちー男の遺伝子が、いつまでも、淘汰されずに、残るということ。
私もこのブログで、家柄にこだわり、近親相姦を繰り返してきた、天皇家の、その遺伝子戦略をずいぶんな因習だと揶揄したものですが、むしろ、私たちこそ、「天皇」だった、ということなんですね。
だからと言って、これが、「問題」だと、私が思う、ということではない。人間は、長い間、この選択をしてきたのであって、それには、その合理的な意味があったはずなんですね。これだけの話なら、少なくとも、当分は、人間の繁栄も続くんでしょう(今の人間の地球上での繁栄は、どこか、風前のともしび、最後のあだばな、そんなような様相に見えなくもないですけどね)。
むしろ、最近の科学ニュースは、もっと、短期的な話で、もちきりだ。それは、(フィンランドでの調査だが)男性の精子の濃度が、一年単位で、どんどん減っている、というやつだ。なにが、直接の原因かは分かってないのだが、環境ホルモン、電磁波、まあ、なんでも疑える。
番組の最後は、アメリカでの、精子ビジネスと、同性愛者たちの、子育て、の映像であった。
アメリカの女たちは、有名大学のイケメンの男の精子を、冷凍保存されている、精子バンクから買って、その子供を産むんだそうだ。イケメンの写真見て、自己PRの音声を聞いて、「この精子がタイプ」、とかやってやがった。どーぞご勝手に。
同性愛者のグループで、複数の父親(精子提供者)、複数の母親、が協力して、それぞれ、「みんな」で子供たちを育てている姿は、なるほど、とは思う。
しかし、両方とも、強烈ですね。どちらも、上記の意味での、精子の競争戦略による、より強い種を未来に残そうという戦略を、まっこうから否定するものだ。
神をも恐れぬ所業とは、このことなんでしょうね。アメリカは、キリスト教の国ですから、そういう宗教家が、警鐘を鳴らすのも分からなくない。