ETV特集「ミャンマーに医療のかけ橋を」

ミャンマーで、医療活動をしている、NGO「ジャパンハート」、彼らの特集。
ミャンマーは貧しい国であり、医療保険もない。彼らも 治療はただだが、薬代などは、有料。ミャンマーの人たちも、固い決意をして、なけなしのお金、を握りしめて、彼らのところへやってくる。だから、一回の治療で直してほしい、そういうニーズをひしひしと感じる。
もともと、日本遺族会が、戦争中、この地域に、迷惑をかけた。なにかできることはないのか、ということから始まった活動なのだそうだ。
私は、日本人は、戦後ずっと、強迫神経症、に悩んできたんだ、と思っています。戦争、日本のアジア植民地政策によって、多くの近隣の国々の人々への加害者となってきた。また、その当事者の世代は、最後まで、その事実と正面から向き合うことができず、だんまりを決めこんで、墓場まで、その感情を、もっていってしまった。
しかし、その記憶は、決して、そういう形では消えない。次、その次の世代へと、反復強迫のように、苦しめ続ける。
戦後、日本人には、民族的な、サルベージが必要だったのだ。
しかし、その機会は、だんだんと、こうやって、時間をかけることでだったが、そういう機会にめぐりあえるようになってきた、ということなのだろうか。
むしろ、こういうかつて、迷惑をかけた、国々の人へのお手伝いをできる、こういうことこそが、「私たち」こそが「救われる」ための、第一歩なのだ(もっと、多くの人が、医者になるための教育を、受けられるようになるといいんですけど)。
この会の代表の、吉岡秀人さんが、非常に大事なことを指摘している。
それは、ここでの活動が、たんなる、「消耗」であってはならない、というのだ。たんに、自分を与え与え続け、自分からなにもかもが出ていって、なんにもなくなる、ではだめなんだ、と。
このボランティアに参加している、若い世代の語る言葉は、実に、論理的だ。つきつめて考えていないと、ああいうふうには、言葉は出てこない。
しかし、その医療環境は、想像を超えている。レントゲン撮影も、CTスキャンもできない。まさに、痛み学、だ。帝王切開ができないからと、直接、お腹を押して、出産させやがった。
直せない足の少年に、なんと、2時間かけて、説明していた。絶対、この少年は、救われたはずだ。