石渡嶺司『就活のバカヤロー』

大沢仁という人との共著。
この二人の著者は、大学を卒業する人たちがくり広げる、就活、をジャーナルする。
この就活という茶番劇にでてくる登場人物は、もちろん、学生。そして、企業。それから、第三者として、大学、就職情報会社、だ。
この四者が、微妙なバランスをもちながら、この喜劇は、くりひろげられる。
ここには、ある構造があるのだろう。
いかに、ばかばかしいかが、繰り返し話されてきながら、あい変わらず、この茶番劇は続いている。著者は自嘲ぎみに、「この就活が有意義であった」と、後でふりかえる、学生などいないだろう、と言う。
毎年、繰り返される、この、年中行事。
しかし、著者の言う最後の言葉は、その認識を裏切るものである。

体系的で、具体的な解決策は本書ではあえて提示していない。ただ一つ言えることは、この誰も幸せにしない茶番について、「やっぱりおかしい」と問題提起する必要があるということだ。
本書をキッカケに、茶番劇で踊らされる登場人物が少しでも減り、就活が企業と社会の明るい未来をつくる行為に近づくとしたらならば、これほど嬉しいことはない。

なんなんでしょうね。この本をつらぬく、最初から最後までの、上から目線。
結局、何を、この著者たちが「問題」と思っているのかが、さっぱりわからない。この最後まで続く説教口調。辟易してくるんですけど。
いわば、就活マニュアル本のマニュアル本。もう、マニュアルは、けっこうなんですけどー。
妙な疲労感だけが残る。就活のバカヤローじゃなくて、この本のバカヤローじゃねえのか。こんな本は、さっさとゴミ箱に捨てよう。
まず気に入らないのが、ことさら、「就活」、だけをとりあげる理由だ。
仕事への入口は、いろいろある。アイデアさえ思いつけば、子供だって、始めたっていい。中卒・高卒での人も、再就職も、いろいろある。学生企業もある。バイトやパートは仕事じゃないのか。だったら、なにが本質なんだ。
じゃあ、世の中、これをりょうがするような、立派ななにかなんてあるんですか。どこも、コネ、コネ、コネ、コネ、コネ、コネ、コネ、コネ、コネ、コネ、コネ、コネ、コネ、コネ、コネ、コネ、コネ、コネ、コネ、コネ、コネ、コネ、コネ、コネ、コネ、コネ、コネ、コネ、コネ。
私はむしろ、面接で何も話せなくなる人の方が好ましい。初対面の人を前にし、信用できなく、緊張する方が、よっぽど、人間的に信用できる。会社に入れば、いやでも、ものすごい膨大な時間を一緒に過さなければならないわけだろう。
だから、むしろ、茶番劇なのは、この本の方なのだ。人間関係はいろいろある。労働形態も、雇用形態も、人々の求めるものも、実にさまざまだ。
それを最初から、嘲笑口調でくさすのは、真摯でないだろう。こういう、大卒の喜劇的なお祭りは、需要がなくなれば、勝手に違うものに変わっていくだけなのであって、しかし、そうだったとしても、このバカヤローがいなくなろうとも、人と人の雇用関係は無くならないし、常に本質的な問題であり続けるわけだ。

就活のバカヤロー (光文社新書)

就活のバカヤロー (光文社新書)