火坂雅志『天地人』

NHK大河ドラマ直江兼続」、ですけど、最初っから、ものすごい視聴率ですね。大変なことになっていますね。
私は掲題の原作を読む前に、

坂口安吾「無邪気で素直なハリキリ将軍」

実伝 直江兼続 (角川文庫)

実伝 直江兼続 (角川文庫)

を読んだ。このエッセイですが、新潟出身の安吾が、直江兼続についての、率直な印象を述べているものである。ご存知のように、安吾は、織田信長を、ずっとライフワークとしてきた作家である。その安吾が、その信長と同時代を生きた、地元の英雄、上杉謙信をどう評価しているか、というのは興味深い。
一言で言えば、「無邪気で素直なハリキリ将軍」、ということです。
謙信は、この時代に、「仁義」がどうのこうのと言って、やたら、前時代の権力を尊重するのだが、それでは天下はまとまっていかない。だから、戦国時代なわけでしょう。ずっと、武田信玄と合戦をやり合うのであるが、謙信は本当に勝つ気があるのであろうか。えんえんと、合戦をやっては、いっこうに自分が天下をとるという素振りがない。
安吾は、そういう意味で、人間的な評価は別として、信長は別格なわけだ。
同じようなことは、直江兼続、にも言える。関ヶ原の合戦は、石田三成と彼と、徳川家康の勝負だったと言っていいはずなのに、しかし、どこまで本気で「自分が天下をとる」ということに真面目であったか(原作では、後から悔やんでも悔やみきれない、印象的な場面がありますけどね)。
しかし、なぜ、そういうこと、そういう評価になるのか。根本的に認識を変えなければならないことが、ここにはある。それは、「裏日本」についてである。
網野善彦さんが言っていたことでもあるのでしょう。ずっと、歴史上、裏日本は、むちゃくちゃ、「豊か」だった、ということだ。だから、謙信だって、あんな、あまっちょろいことを言ってられる。
新潟は、冬のあの雪山をみてもわかるように、多くの良質の水が、とめどなく存在する、今でも、天下一級の米どころだ(これだけ、世界中、水不足が言われているときに、これだけ大量に、これだけ良質の水)。偏西風でしたかね、冬はどか雪で大変ではあるが(忍耐強い性格になるとありますね)、新潟、富山のあたりは、緯度も低いし、年間を通しては、生活しやすい。しかも、江戸時代を通じても、水上交通は物流の基本であって、さまざまな地方の物産は、北陸沿岸にそって、京都、大阪へ、運ばれていた。新潟は、商業都市として、江戸、大阪に継ぐ、史上空前の繁栄を、ずっと維持してきた(それは、人口統計からもわかる)。
そもそも、アテルイに始まる、東北、エゾ文化は、ずっと北日本にあったわけだし、その文化・生活レベルは、上記のことからも、この地域が、人類史上をみても、「ずっと」地上の楽園だった、と言っていいレベルであろう。
さて、火坂さんの原作であるが(新装版で読んでる)、基本的に、上記の安吾の認識の延長で書かれている印象を受けた(このエッセイも事前に読まれていたのでしょう)。
原作を読んだ私の印象としては、秀吉の朝鮮出兵が、彼らの、天運の変わり目かな、とは思った。

「唐入りに義はござりませぬ。あるのは、利を追いもとめる心だけ。空虚ないくさになりましょう」
兼続は、端整な顔に憂いをたたえて言った。
「しかし、太閤殿下のご命令に従うのが、われわれの義」
景勝の表情は硬い。
「下に従う者たちがとやかく言っては、国が乱れる」
「されど......」
「迷ってはならぬ、山城守。豊臣家にわが上杉の家運を賭けると決めたのは、そなたではないか」
「は......」
「一度決めた以上、それをつらぬき通す。不識庵謙信さまの教えだ」
「............」
景勝が覚悟を決めている以上、兼続にはもはや言うべき言葉はなかった。
だが、
(何のためのいくさか......)
兼続は思った。
いくさには、大義がいる。大義なきいくさは敗れる。それは、合戦の常識である。兼続の師で、不敗をうたわれた上杉謙信は、生涯、みずからのいくさに大義をかかげつづけた。
むろん、天下統一が果されるまで、秀吉にも、
乱世を平定する。
という崇高な大義があった。乱れた世を治め、安定と繁栄を築こうではないかという秀吉の言葉に、兼続は共感し、その政権に協力してきた。
しかし、
(この唐入りは逆に、世に乱れをまねくのではないか......)
茫漠たる不安が、兼続の胸をよぎった。

原作では、基本的には、上杉は、あくまで、後方支援、ということになってますけどね。
関ヶ原の合戦で、石田三成が敗れ、天下は、完全に、徳川家康のものとなる。ということはどういうことか。上杉の時代は、終わった、ということである。
しかし、ここから、彼の本当の「戦い」が始まる。
戦の時代から、政治の時代へ。晩年は、山形で、地方自治、を花開く。
いつも思うんですけど、大河ドラマは、意外と、原作に準拠してるんですよね。
それにしても、NHKの、深謀遠慮を感じますね。井上靖の『風林火山』で、信玄、の(おそらく架空の)参謀、山本勘助、を描き(勘助の、由布姫、への、狂熱的な愛が、話題になりました)、今回は、まんをじして、謙信、の次世代の、参謀、兼続、ですからね。謙信は、戦国時代最強の武将と言われ、なにより義の将軍となってますんで、どうしても、評価がアンフェアになりがちですからね。先に、信玄、を十分親近感をこめてやっておくくらいじゃないと、バランスがとれない。
ついでに言えば、上記の安吾のエッセイで、謙信、兼続、の、「無邪気で素直なハリキリ将軍」と同じ位相として、安吾の一つ上の世代の、海軍の山本五十六、をあげてますけど、年末には、「坂の上の雲」が始まる、というわけですか。
それにしても、直江兼続、とは、不思議な存在である。
寺で、みっちりと、漢籍を学んだ、幼少時代。
秀吉の朝鮮侵略では、向こうの国に行ってやったことといえば、城内で、だれも見向きもしなかった、朝鮮の漢籍を、ひたすら、もち帰ったという。
多くの側室をもつのが当たり前の時代、ずっと、あこがれ続けた女性、お船への、終生にわたる一途な愛をつらぬいた、その人生(兜にまで、愛でしょう)。

天地人〈上〉天の巻

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