BUMP OF CHICKEN「続・くだらない唄」

私は、とりあえず、好きな歌を一曲、選ぶ、という行為が好きだ。そんなことは不可能なのだが、あえて選ぶ。たぶん、次の日には違う曲を選んでいるのだろう。明日なんか知るか。
なぜ、選ぶのか。別に理由はない。ないけど、それが礼儀のような気もしている。そうじゃないと、横に一列に並べたりしないんじゃないかな。
彼らは、今では、完全にカリスマなのだろう。その後、出てきた他の若いバンドは、彼らのコピーにしか見えない。それくらいの徹底したものを感じる。
しかし、逆に、初期のアルバムのメッセージ性を強くだしたものからみると、正直言うと、「天体観測」以降は、あまり必然性が感じられない。刺激的だが、おもしろくない(ちょっと言いすぎだけど)。
吟遊詩人になりたいというような、そういうタイプならそれもいいと思うし、別にそういう人生もいいと思うが、もっと人を根底から揺さぶり、どうしようもなく人を変え、行動に移させるような、そういう何かって、あるんじゃないだろうか。
それは言いすぎなのだろうか。
むしろ、彼らへのその期待が間違っている。期待ではないんだ。最初から答えが、そこにあるんだ、と考えるべきなのだろう。
変な表現かもしれないが、初期のアルバムにあった、あのメッセージに、世間は、なにを理解し、行動にしたのだろう。そんなことを、素朴に考えたりもする。
ノーヒットノーラン」は、彼らにとっての、共産党宣言のような曲ではないだろうか。この歌を、例えば、一つ前の世代の浜田省吾の「BASEBALL KID'S ROCK」と比べると、あまりの違いに驚くのではないか。後者には何度も繰かえされる、野球が「楽しい」「好き」、こういう表現が前者には「一度」たりとも出てこない。だったら、やめればいいと思うだろうが、そもそもそういう選択がありえることがまったく歌詞から導き出ない。だからといって、(逃げたいとか、手が震えるという表現はあるんだけど、)エヴァンゲリオン碇シンジのように、逃げるのが「だめ」、と自問自答するという感じではない。

ライトがまだ足りないよ
「ボクはスラッガー」もっと思いこませてくれ
BUMP OF CHICKENノーヒットノーラン」)

FLAME VEIN

FLAME VEIN

こういう感じなんですね(ちょっと、少年ジャンプ的でもありますね)。こういう共産党宣言なんですね。
「アルエ」は、「天体観測」の前段にあるような、曲じゃないだろうか。あれだけ、自分が弱いとわめいていたのに、人の冷たくなった心をどうしてもほうっておけない。

いつか君はブランコにゆられて
いたいけな目を少しふせて哀しい顔でうつむいていた
「アタシハヒトリデヘイキナノ」
BUMP OF CHICKEN「アルエ」)

FLAME VEIN

FLAME VEIN

あたたかい日だまりの中で一緒に手をたたこう
BUMP OF CHICKEN「アルエ」)

FLAME VEIN

FLAME VEIN

自分は弱い。でも、勇気を信じているんですね。だれに向かって頼んでいるのか分からないけど、「自分に彼女に話しかけられる勇気を下さい」。
そしてそのやさしさの答えは、自然と体が動きだす、踊りだす、それを徹底して肯定すること。全然、いいんですよ。そういうの、共感するんです。
そして、最後に紹介するのが掲題の曲。
「湖の見えるタンポポ丘の桜の木の下」にいる彼は、そこが数年前によくここに来ていた場所。
振れない大事なモノを落し過ぎ、夢を見過ぎた、この数年。

手頃なヒモと手頃な台を都合良く見つけた
半分ジョークでセッティングしてそこに立ってみた時
マンガみたいな量の涙が溢れてきた

この手がゆっくり僕の右上で弧を描いた

THE LIVING DEAD

THE LIVING DEAD