小路田泰直『国家の語り方』

この著者については、よく知らない。
著者は、あれだけ、「押し付け憲法」とばかにしていた自民党が、満をじしてもってきた、今回の改憲草案が、「まったく」と言っていいほど現憲法と、「違わない」ことに、注意を喚起している。
これは、どうしたことなのだろう。結党以来の宿願だったんじゃないのか。本当のこの国の理念を、大々的に披露してくれるかと思ったらこれだ。
一部では、最初はなんでもいいから変わることが大切なんだ、なんていう話があるようだが、やった本人たちがもしそう考えていたとしたら、どこまで国民を愚弄すればすむんでしょうね。こんなものしか示せないとはね。もう二度と、結党以来の宿願などと「言うな」。
今でも、よくいますよね。民主主義なんだから、憲法を国民が変えるのなんて、当たり前。そんな一般論、何度でも、ちぎって捨ててやるさ。
じゃあ、具体的に聞きたい。「どこ」を変えます?思いつきました?環境権とか、プライバシー権でも入れときますか。
憲法9条なんて、ネタでしかないでしょ。なんですか、あの、改正案の第二項の文章。今自衛隊がやってることじゃねーか。あらためて、もう一個、自衛隊作るんですか。わかってんのかな。
なんでこんなアホらしいことになっているのか。日本中、どこにも、この「理念」を考えている人が、どうもいないらしい。だいたい、そんな9条末端だけいじるって、ありえないでしょ。全体で一つの理念を提示しているんでしょ。
おい。
本気でやれよ、こら。
言いたいことがあるんなら、全部ひっくり返して、「これがおれの憲法だ」って、胸はってみろよ。なんだよこの、ネズミがかじったみたいな、わけのわかんない剽窃作文。結党以来の宿願ってのは、ホント嘘なんだろ。だれも一度として、そんなこと思っちゃいないんだろ。もう自民党、いいよ。
著者は、ただ、そのことについて、多少、同情的だ。つまり、逆なんだ、と。どういうことか。つまり実は「変えられない」のだ。それくらい、正統性という意味で、長い歴史のある、この日本の集大成の、憲法なのだ。
私はこの本を読んだとき、昔読んだ、

天皇がわかれば日本がわかる (ちくま新書)

天皇がわかれば日本がわかる (ちくま新書)

を思い出した。著者も同じく、現代日本政治を、日本の歴史の延長にある「正統性」において、考える。
著者は、「愚管抄」の、統治形態の移り変わりの議論から、「神皇正統記」の主張する、(皇統内での)易姓革命肯定論、源頼朝の将軍制(政治の二極化)、幕末への、荻生徂徠本居宣長、の議論、そして、後期水戸学派の議論とつなげて、大日本帝国憲法が、「皇祖皇宗の遺訓」としてしか作られえなかったこと、そしてなにより、現憲法が、大日本帝国憲法の、改憲条項によって成立した、「改定憲法」、であることを強調する。
このことは、非常に重要である。今の憲法改定論者がもし、めちゃくちゃで幼稚な議論によって、醜い変更をなそうとするなら、それは、大日本帝国憲法「から」連綿として育まれてきた、底層の破壊、となるだろう。つまり、言ってしまえば、そいつは「大日本帝国憲法」否定論者を自称することになるし、日本の歴史を否定することになる。
そもそも、政治は、過去からの、問題克服の連綿たる連なりの中にある。
桜田門外の変において、水戸一派が天誅を行った、文書には、その正当化の議論で、幕府が、征夷にまったく成功していない、というのがある。征夷をやるということで、武士は、源頼朝の頃から、天下を支配する権力が正当化されていた。まあ、論理的には、その通りなわけだ。
そういうわけで、維新政府は、天皇にもう一度、主権をもってくる。しかしこれは、大変な事態を生み出す。天皇にすべての原因が帰着する体制にしてしまったのだ。あらゆる決定は、最終的には、天皇が決めた、ということになった。ということは、どういうことか。あらゆる、トラブルに対する、恨みのほこ先が、天皇その人になった、ということだ。実際、日清戦争開戦時、明治天皇は、その不満をぶちまける。

日清開戦に際して、明治天皇が「神宮並びに先帝陵の奉告勅使の人選に就きて叡旨を」聞こうとした宮内大臣土方久元に対して、「其の儀に及ばず、今回の戦争は朕素より不本意なり、閣臣等戦争の已むべからざるを奏するに依り、之を許したるのみ、之れを神宮及び先帝陵に奉告するは朕甚だ苦しむ」と答え、さらに「再び謂ふなかれ、朕復た汝を見るを欲せず」と怒りを露わにしてみせたのも、まさにそのことへの警戒心があればこそであった。明治天皇は、日清開戦という、とてつもなく大きな政治決断の責任を、ただやみくもに押し付けられることに、激しい拒否反応を示していたのである。

しかしこれほど国家権力を行使したい側にとって、おいしい制度はないだろうな。裏でいろいろ決めた鬼畜行為を、テンノーに刃をちらつかせて、うむを言わせるわけだ。明治の政治家、軍人は自分たちが何をやってたのかを知らなかったのだろう。
それにしても、これは、恐しい事態である。以前にも書いたように、伊藤博文を中心とした明治朱子学者は、天皇を「無謬」の有徳者(神)、にしやがった。戦後の官僚が、絶対に自分たちの失敗を認めなかったように、そういう意味で、天皇には間違いは、論理的に「ない」ことになりやがったのだ。そこから、なにかが間違いにみえる事態は、とたんに、「不敬」、の問題にトランスフォームされる。「論理的」にそこにしか落ちていかない。
この事態がどれだけのことであるか。あらゆる日本の場所で、天皇の意を汲んで、多くの天誅テロリストが、暴発する。その代表的な例である、2.26事件では、この事態に天皇自身が、自分直属の近衛隊を組織して、鎮圧しようとしたが、実に皮肉な話だ。
著者の主張は実に、シンプルである。
津田左右吉が、天皇機関説が、最初っから、「正し」かったのだ。それは、上記の意味で、それ以外の選択が単なる後退でしかない、という理由で、「理論的」に正しい、というわけだ。
実際、学会の主流は、あれだけの国体明徴運動という粛清がありながら、敗戦まで、ずっと、津田理論であった。津田理論へのまともな反論などついに存在しなかったのだ。
日本の長い歴史をみても、もう、民主主義しか、ありえない。というより、「ずっと」民主主義だったのだ。当然なのだ。
もし、近いうちに、憲法問題となることがありうるとしたら、それは天皇であろう。
そもそも、「神皇正統記」の(皇統内での)易姓革命肯定論、には、一つの盲点がある。それは、天皇家の、血統の問題だ。人間の生殖能力は、他の生物に比べてもあまりに弱い。それがこういう、やんごとないイエになるとさらに、ひどい状況を呈する。上記の源頼朝論でもそうだが、ずっと、日本は天皇家を政治の中心から、遠ざけることに成功してきたんじゃないのか。ずっと、下剋上という、易姓革命、でやってきたし、それは今の、政党政治というシステムにさえ、担保されざるをえないわけだ。
さて、しかし、私はここまで読んできて、この本に、強烈な不満がある。それは以下のような問い掛けが、弱いところだ。
なぜ、あのような国体明徴運動、によって日本は、だれにも止めることのできない、だれもコントロールを「していない」暴徒の集団になってしまったのか。私は、あの最後のていたらくこそ、「内戦」、そのものだったんじゃないか、とも思う。だれもが勝手に、国内では、気に入らない奴を「非国民」のレッテルをはり、官憲のえじきにし、国外では、現地住民をまるで自分の奴隷のように蹂躙していた。
少なくとも、当時の政治家に、その国体明徴運動を止めることができなかったのに、今さら、その政治家が、また、しょうこりもなくしゃしゃり出てきて、「押し付け憲法」からの脱却だと。前はできなかったけど、今回はできる、ですって。もう少し御自分をおみつめなすったらどうですかね。片腹痛い話、でしょ。

国家の語り方―歴史学からの憲法解釈

国家の語り方―歴史学からの憲法解釈