宮崎光雄『坂の上に雲はあったか』

私は、自分が思いついたとか、自分が発明した、なんていう、考え方が、大嫌いだ。たいてい、自分が思いつくようなことは、もう、世界中のだれかは、考え、その記録が残されているはずだ。常に、そう考えている。
自分がオリジナルだと思う考えほど、気持ち悪いものはない(だから、柄谷さんは、単独性、という区別をしたわけですね)。
朱子学が好ましいのは、この部分だ。彼らは、まったく新しいものを生みだそうと「しない」。えんえん、と古典の注釈を続ける。これこそ、ザ・儒学、だ。
古の賢人は、何を語ったのか、それにしか興味がない。逆に言うと、そうでありながらの、あの議論のぶ厚さ、だ。
掲題の本にも、そういう意識を強くもった。著者は、地方政治の議員もやったことのある人のようだ。ここでは紹介しないが、かなり、歴史上の、重要な事件が、多く紹介されていて、興味深い。
幕末の日本人の好きさ加減は、あいかわらずじゃないだろうか。日本人は、猫も杓子も、幕末好きだ。しかしなんだろう。それは、ディープな人ほど、司馬遼太郎、好き、と変わらなくなってないかな。
以前、中塚さんの本を紹介したが、掲題の本も、その問題意識を共有する。つまり、司馬遼太郎坂の上の雲」問題。
掲題の著者は、幕末から、維新にかけて、いわゆる、吉田松蔭から始まる、長州派閥の、朝鮮を「日本にする」ことを目指した、メイン・ストリーム、と違った、非常に重要な、ラインがあることを、強調する。
横井小楠勝海舟、のライン、である。
横井小楠、は、勝海舟、の師匠にあたる人であり、どんな本を読んでも、必ずに近いくらい、その重要さを強調されている。
彼の主張は今みると、完全に、現憲法、なんですよ。歴史は、この一時をもっても、もう一度、戻ったんです。本来の、江戸城無血開城にあった、横井小楠勝海舟、の理念に戻ったわけです。当たり前です。ヘーゲルじゃなくたって、これくらいわかります。徳川が禅譲してまで実現しようとした、「経綸」の政治。それを脇から、かっさらっていった、長州政治のなれの果てによって、日本が「滅んだ」。
もう一度、だれもがそこに「戻ろう」とするのは、当たり前じゃないですか。「おしつけ」憲法は、最後まで、日本人が作ってるんですよ。彼らが、絶対、ここを意識してなかったわけがないじゃないですか。わっかってんの?
安倍元首相が、くさしてましたね。「日本は世界の中で、名誉ある地位を占めたい」、それが、卑屈だってさ。自分たちが、自分をどうしたいか、自分をどう評価するか、なのに、なんで、世界からの評価を気にしなきゃいけないの、だってさ。なんか、オコチャマ、みたいでしょ(自称あんたなんて、だれにもうどうでもいいんじゃない?)。どこの誰から、入れ知恵されたんだか知らないけど。そりゃあ、横井小楠、を評価したら、その後の謀略史観オンパレードの長州政治の否定になっちゃいますからね。
NHK「篤姫」でも、勝海舟、は非常に重要な位置にありましたね。重要なだけじゃありませんでした。なんて、魅力的、だったでしょうか。北大路欣也さんの、名演技。ほんとうに、好意的に描いてくれたなー、ってカンドー、ですね。
でも、このことも言っておかないといけませんが、この人、いろいろな発言が、今でも多く残っていて、それが、とてつもなく、魅力的なわけです。こんな、すごい人がいたんですよ。
たとえば、江藤淳、は以下のようにそれを、熱く語っています(江藤淳、をたんなる、保守主義者と扱うのも、フェアじゃないし、そういうレッテルに意味ないでしょ。どこまでも、人物ですよ)。

かくして海舟は、死後四分の三世紀をへだてて、はじめて何者にも妨げられずに、その肉声によって語り出すにいたったのである。海舟の真意と肉声をこのように生かし得たことに、われわれは限りない喜びを感じている。

氷川清話 (講談社学術文庫)

氷川清話 (講談社学術文庫)

掲題の本では、そもそも、江戸城無血開城までの、日本政治は、完全に、勝海舟、のシナリオ通り、だろうと指摘しています。
篤姫での、坂本龍馬も、かっこよかったですねー。また、ほれちゃった(玉木宏さんは、のだめ、と違ってこれもおもしろかった)。ほんとに、あんなにかっこよく描いてくれて、ありがとう、ですね。おりょうちゃんも、ほれちゃった。
ご存じのように、龍馬、のお師匠こそ、勝海舟、ですからね。まあ、龍馬にそんなアイデアないですから(でも、行動力はピカイチ)、ほとんど、勝海舟の、いれ知恵だったと考えれば、まず、幕末は、勝海舟、のシナリオ通りに、進んだんじゃないかな。
さて、そうなんですけど、横井小楠も、龍馬も、暗殺され、実際の維新政府は、長州によって、支配された。
勝海舟は、ずっと、長州に批判的だったが、彼らがあんな感じだというのは、私もさんざん書いてきたし、もう、常識だろう。
しかし、もう一人、やっかいな人物がいる。福沢諭吉だ。
福沢諭吉は、実は、日本のタブーである。慶応では、福沢諭吉批判は、ご法度である。ということは、日本中、慶応エリートばかりですから、日本中、タブー状態になっている、ということだ。
しかし、この人、どうしましょうかね。

報国の心は殆ど人類の天性に存するものにして、その元素は何等の事情事変に遭うも、或は専制、暴制等の働を用るも、決して消滅すべきものに非ず。
一国の人心を興起して全体を感動せしむるの方便は外戦に若くものなし。神功皇后三韓征伐は千七百年の古に在り、豊太閤の出師も既に三百年を経たれども、人民尚おこれを忘るること能わず。今日に至ても世上に征韓の論あるは、日本の人民が百千年の古を思い出してその栄辱を忘れざるの証なり。或は征韓論者は敵を撰ばず、漫に外国征伐を好む者なりと云わんか。若し果して然らは、外国は必ずしも韓に限らず、英仏も外国なり魯西亜も外国なり。之を征伐して可なり。或は英仏魯は強国にして敵すべからずと云わんか、去って南亜米利加に向うべし。弱国の伐つべきもの甚だ多し。或は遠く南亜米利加に行かざるも、亜細亜洲中に於て暹羅、安南等の諸国は遥に我下流に弱小ならずや。此を是れ捨てて特に朝鮮征伐の論を唱え、全国の人民もこの論を聞けば、仮令い征伐の念なき者にても、朝鮮と日本との区別をばよく了解するは何ぞや。戦争の人心を感動して永年に持続するの力は強大なるものと云うべし。故に今西洋の諸国と対立し、我人民の報告心を振起せんとするの術は、之と兵を交るに若くはなし。事少しく過激に似たれども、人心の全体に感じて永続すべき方便は、この一策の右に出るものあるべからざるなり。
今や我も既に醒覚したり、勝敗は固有の強弱に在て存すべきのみ。この勝敗は姑く名言すべからざるものとして、尚一歩を退け、仮に我兵力弱くして戦利あらずとせんか、一杯以て社会の機関を転覆するに足らざるは明なり。況や一敗あれば又一勝あるべきに於てをや。一、二勝敗の損失を以て全国人民の報国心を振起し、百年の利益に見込あえばこそその損失は憂るに足らざるなり伝々。
福沢諭吉『通俗国権論』)

こんな小者が、学校の創始者だそうで、ケイオーボーイはかわいそうですねー(皮肉になってねーな)。
どうも、福沢諭吉は、人の上に人をつくらなかった、天にかわって、人の上に人をつくるのに、忙しかったみたいですね。
また、福沢諭吉、という男を、勝海舟も、けっこう言ってるんですよね。そしたら、諭吉さん、勝さんを、口汚く、ののしる、ののしる。

福沢は、この(『ヤセ我慢の説』)中で、徳川幕府の兵馬の権を握る立場の一人であった勝が、予め敗北を予測して徹底抗戦することなく大権を投棄し、講和話に堕したとし、これは日本古来のヤセ我慢の美徳にもとるのみか、三河武士の旧風にも反するもので、国家の存亡のいって専ら平和・無事に誘導するような人士では、敵国外患に対しても人士をふるって苦辛にたえることなどとうていできない。

新政府の基礎を固くして百年の計を為すに当たって、不臣不忠の敵国人物として殺されなかっただけでも不思議なほどだとまで書き

こういう人が、今、一番、日本で尊敬される人として、お札のガラにまでなっているってわけです(なんてったって、野口英世が、お札になってるくらいですからね)。
福沢さんよ。見事に、勝海舟が夢みた、時代になったな。
ただ、掲題の本は、多少福沢に同情的ですね。学校経営なんて、今でも、多くを国の金で維持していることは、自明だ。私学とか言ってもそんなもん、さまざまに、時の政府に、おべっか使わなかったら、ありえんのでしょう。
また、掲題の本は、長州にも、理解を示しますね。あんまり、孤立させても、いけないってわけです。実際、吉田松蔭は、完全に、キリスト、になったんです(これも、日本の戦国時代からの、キリスト教徒の伝統でしょう)。
もし、もう一度、日本が、ひとつになれるなら、若者がもう一度、たちあがれるなら、それは、私は、(西郷さんでもいいんだけど、)龍馬、なんじゃないかな、と思うんですけどね(そうじゃなかったら...。忠犬ハチ公、ですか)。
龍馬こそ、日本中のだれもが大好きなんじゃないかな。そんな人、そうそう、いませんよ。

坂の上に雲はあったか―明治国家創成のミスキャスト

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