田中久文『丸山眞男を読みなおす』

あい変わらず、桜庭一樹さんの、『ファミリーポートレイト』のショックから、たちなおっていませんね。
人間は、生きる。しかし、それは、他人が理解できるようなことなのだろうか。他者を、理解できると思うことは、傲慢なのではないだろうか。
私たちは、今の世の中、普通に、義務教育は、だれでも、最低、通過してきているだろう、という予断をもつ。しかし、よく考えれば、身障者は、いかにも、利発そうな人もいるのに、同じクラスで、学んでなかったりする。
私たちは、そういう人と、「恋愛」できるのであろうか。こんな質問は強烈だろうか。
恋愛とは、共感ゲームのようなところがある。私たちは、理解できることで、「安心」する。ウムハイムリッヒ、つまり、不気味、であるとは、この共感ゲームの「外部」にいる存在、のことになる。
コマコは、学校に行かない。学校に行かされないように、他の大人の目にふれないように、隠れて、生きる。そんな状態で、中学までは、学校というところに行ったことがない。
どうだろう。私たちは、コマコを「愛」せるだろうか。
もちろん、彼女は、高校生からは、(不良ばかりいるようなところであるが)高校に通う。また、小さい頃から、周りの大人が、彼女に文字を教えたり、学校の代わりのような授業をしてくれる人もいた。
なにより、彼女は、その寡黙な生活を、読書にささげる日常をおくる、キャラクターとして描かれる(なにせ、高校生で、ヴァージニア・ウルフ全集、を読んでる、とか言うんですからね)。
ある名場面があるんですよね。コマコは、小学生くらいの頃、ある図書館で、ファンタジーの登場人物の勇者と「なる」。彼女は、その作品にのめりこんでいくうちに、自らが、その勇者となり、マコ、を「救う」。彼女は、その、しめきられた、だれもいない、図書館の中で「だけ」は、いつもの、人前ではなにもしゃべれない、内気な彼女ではなく、どんな屈強な男たちもなぎ倒す、エネルギーに満ちあふれた、真の勇者、となるわけだ。
さて、そんなことを思いながら、私は、じゃあ、戦後、日本の最大の思想家、丸山眞男、は「この問題」をどんなふうに考えていたのだろう、なんていう、下世話な興味がわいてきた、わけです。
掲題の本を読むとわかることは、丸山自身の戦後は、彼自身の思想の、相対化の、歴史だった、とも言えることです。
戦中の、丸山の近代日本思想研究は、荻生徂徠に、日本の「近代」の祖型を見出すところから始まった、
しかし、徂徠の主張を知っている私たちにとって、いくら、近代=作為、だったとしても、ここまで評価するというのは、なにか異様に思える。事実、戦後においては、彼の戦中の主張への、さまざまな面における、相対化こそ、目指された。
しかし、その、相対化の果てに、丸山は、なにを主張することになったのだろうか。

中華-夷狄という考えかたはいうまでもなく中国の儒教が生みだしたものであるが、江戸時代の日本の儒学者のなかには、それを日本に適用し、日本こそ中華であると考えるものが現れるようになった。そこから「上位」論も生まれるのである。しかし、同時にまた儒教、特に朱子学は江戸時代の日本人にとって国家平等の理念を導きだすための論理的媒介の役割をも果たしたと丸山はいう。ちょうどヨーロッパにおける国家平等の観念が、ストア主義とキリスト教に由来する自然法思想の背景の下に形成されたように、わが国においては朱子学に内在する一種の自然法的観念が、諸国家の上にあって諸国家を等しく律する規範の存在を認める上で一定の役割を果たしたというのだ。
日本に最初に紹介された国際法に関する書は、ホイートンの『万国公法』といわれているが、それは中国語訳によるものであった。そのためもあって、日本では国際法は「天地の公道」「万国普遍の法」「宇内の大道」といった漢語で通用するようになるが、そこではほとんどつねに儒教の「天道」が連想されていたと丸山はいう。また、グロチウス以来の西洋の自然法思想は、人間が先天的に保有する理性のなかに法の起訴を求めているが、それは朱子学が「道」を一方では宇宙の「天理」に、他方では人間の「本然の性」(「性理」)に基礎づけるのと照応している。したがって、狭義の国際法だけでなく、広く国際道徳・国際信義が守られなければならないという西洋近代の考えかたを日本人が理解する際、こうした儒教自然法観念、すなわち宇宙を支配している条理が、同時に人間社会においても「道」として妥当しているという考え方が媒介となったと丸山はいうのである。

どうなんですかね。おそらく、これは、江戸時代の鎖国によって、強いられていった認識、この日本での、井の中の蛙、みたいなものがあって、しかし、そうであっても、外への視点がなくなっていたわけではなった、といったものとして、朱子学がそもそももっている、普遍性が、大きな力をもった、ということなのでしょう。
ただ、掲題の本の後半にもあるが、中世日本においては、むしろ、そういう普遍的な世界が、そこにあったと見るべきなんでしょう。ある種、江戸時代という、閉じたところから出発している、という認識から導かれるようなもの。
もちろん、はるか昔から、シルクロードをへて、イスラムの文化などは、少なくとも、中国の首都周辺では、普通に普及していた(前に李白を紹介したが、ワイン、葡萄酒を、飲んでるんですよね)。しかし、そういう陸続きの文化伝播ではなく、「直接」、船によって、はるか西の、西洋文化が、やってくるわけですね。
例えば、丸山は、佐久間象山、を評価する。彼こそ、幕末明治において、西洋文明と正面から、対決した人物と言えるであろう。

象山は幕末において、いち早く西洋の自然科学を学ぼうとした人である。しかし、自分をそれまで培ってきた朱子学的教養を捨てて西洋についたのではない。むしろ逆にどこまでも朱子学の精神にしたがって、それを時代状況のなかで最大限読みかえ、それを媒介として西洋の自然科学を学ぼうしたのである。

どうだろう。日本は、幕末まで、もちろん、西洋を知らなかったわけではないのだろうが、ほとんど関係なしで、生きていた。しかし、そのさまざまな、文物が流入してきたとき、どのようなかたちで、受け入れていったのだろうか。
そこには、たんなる、(もともとあった、枠をあてはめるだけの、)共感ゲームでは、いつまでも、たどりついていかない壁があるだろう。なんらかの、応用が生まれている。
おそらく、おんなじようなことなんじゃないかな。
正規の教育を受けなかった人というと、エリック・ホッファーを思い出しますが、彼も変わった人ですよね。でも、「おもしろい」。独学で、そういう正規の教科書を、図書館で読んでいったとは、伝記にありましたけどね。
ただでさえ、世の中、金太郎飴、ですからね。これくらいの方が、個性があって、いいのかもしれない。しかも、最近は、不登校の時代、ですから。近いうちに、「学校という共通感覚」、が必ずしも、マジョリティじゃない時代も来るんでしょうか。
さて、この本の後半は、さらに、鎌倉仏教、戦国時代のキリスト教、闇斉学派の評価など、いろいろ考えさせられる(読んでる途中)。丸山を、たとえば、日本人の古層、を発見した人、みたいな、そういう抽象的な議論でまとめることこそ、ミスリーディングなのだろう。もっと、彼の思考にそって、読んでいくことで、戦後日本の最大の知性、の目の前にあったもの、その展望から、みえてくることは、まだまだ、あるのだろう。

丸山眞男を読みなおす (講談社選書メチエ)

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