武田知弘『ヒトラーの経済政策』

ヒトラーが、不況を「解決」したことは有名だ。
しかし、歴史上、そんなことができたのは、彼くらいじゃないだろうか。
当時の、ブラックマンデー世界大恐慌が、最近のサブプライムローン問題と、だぶって語られることが、多くなってきている。
いくら、識者が、今は当時のように、経済のベースが壊れたわけでは、全然ないのだから、戦中と、比べること自体が不当だと言っても、むしろ、この経済をとりかこむ、政治などの反応、外経済的なものが、あまりに、似ているわけだ。
それは、この本を読むとよく分かる。そもそも、話してることが、まるでデジャブのように瓜二つなのだ。格差社会(貧富の格差)、国債発行、公共事業、少子化ニート、母子家庭、官僚の渡り。どう読んでも、今の日本のことを話してるんじゃないかと思うようなヒトラーの会話が、何回も紹介される。

そして彼は、国民にこう語りかけた。
「今から4年待ってほしい、4年で失業問題を解決し、失業問題を立て直す」
と。
この第一次4ヶ年計画の内容は一言でいえば、「底辺の人の生活を安定させる」ということである。
これはナチスにとって結党当初からの一貫したテーマである。
インフレにしろ、恐慌にしろ、経済危機が起きたとき、もっとも被害に遭うのは底辺にいる人たちである。そういう人たちが増えることで、また治安は悪化し、社会は不安定になる。
その悪循環を断ち切るには彼らをまず救ってやることだと、ヒトラーナチスは考えたのである。
そのためにナチスは、失業者や借金にあえぐ農民を思い切った方法で救済した。

ヒトラーがやったことは、まさに、「金持ちから金をまきあげ、貧乏人に配った」。彼は、本当に、それを、やっちまった。彼こそ、本当の「ナショナリスト」だったのかもしれない。
彼の行った幾つかの貧困対策は、実に、興味深い。特に、物品配布の政策は、毛布などの生活必需品は、確実に、相手に渡す、ということですね。いろいろ嗜好品が買いたかったら、お金を稼いで、自分で買う、という考え。
しかし、どうですかね。世界中に、貧困があふれている。しかし、ヒトラーが救うべきと考えたのは、彼の考える「国民」なんですね。そりゃあそうでしょうよ。そうでなければ、きりがない。あれほどの、(海外旅行までさせてやる、という)到れり尽せりのサービスじゃあ、国民は喜ぶとしても、金や外貨がいくらあっても、足りなくなるでしょう。
だから、それには、したたかな計算があった、ということですね。

1933年7月に行なわれた帝国地方長官会議でヒトラーはこういった。
「われわれのなすべき課題は、失業対策、失業対策、そしてまた失業対策だ。失業対策が成功すれば、われわれは権威を獲得するだろう」

ヒトラーはよく分かっていた。なんとしても、一度、国民の信頼を勝ち取ることが、重要である、ということ。一度でもその信頼が確かになれば、国民は、多少のことは我慢してついて来る。最初にその心を自分たちにつけることが、なによりも目指される。
さて、ドイツにおいて、ナチスの貧困対策を先に書いたが、まず、どういった文脈で、ナチスが台頭してくるのか、ですね。

第一次世界大戦開戦のとき、ドイツはそもそも戦争を欲してはいなかったのである。第一次世界大戦は、オーストリアの皇太子がサラエボで暗殺されたことに端を発している。オーストリアサラエボに宣戦を布告したために、同盟関係に引きずられてドイツも参戦したようなものなのだ。イギリス、フランス、ロシアなども、これといった深刻な対立はないまま、張り巡らされた条約のために参戦していった。

実際、敗戦国側で、まともに、その後、国が残ったのは、ドイツくらいですからね。オーストリアも解体されるし。その上に、莫大な敗戦賠償を求められる。それどころか、フランスは、ドイツの鉱脈である、ルール地方を、その後、侵略して、奪ってるくらいですから。
さて、もちろん、ナチスユダヤ人虐殺、である。
しかし、それは、たんに、そうだった、ということではない。

第一次世界大戦が終わると、ポーランドなどの東方のユダヤ人がドイツに流れ込んできた。新しくできたドイツ・ワイマール共和国では、先進的な憲法基本的人権などが保証されていたため、ユダヤ人も迫害されなかったからだ。
彼らは中世のドイツ語の一種であるイディッシュしか話せず、黒づくめの身なりをしていた。総じて貧しく、いつも職を求めていたため、大量失業を抱えるドイツ社会では、必然的に嫌われることになった。
そういうことの積み重ねで当時のドイツ社会は、ユダヤ人を迫害する空気になっていたのである。
ナチスヒトラーは、その空気を感じ、「ユダヤ人の排斥」を党の方針に盛り込んだのだ(ただしナチスの網領には「ユダヤ人迫害」とまでは記されていない)。
そしてヒトラーは政権を取ると「ユダヤ人迫害政策」を打ち出した。
まずは公職からユダヤ人を追放し、やがて経済活動からも締め出し、最後には国外追放にかかった。
しかし、ここでヒトラーは大きな誤算をする。
ユダヤ人を追放しようとしても、ユダヤ人を受け入れてくれる国がなかったのである。
世界各国は、ナチスユダヤ人迫害政策を非難はしたが、だからといって、ユダヤ人に手を差し伸べるわけでもなかったのだ。世界恐慌でたくさんの失業者を抱えていた欧米諸国は、ユダヤ人移住の制限を行っており、一部の国ではユダヤ流入に対する激しいデモも起きていたほどだ。

ナチスユダヤ人の扱いを決めかねているうちに、オーストリアチェコスロバキアポーランドなどを侵攻し、支配下に収めることになった。
しかし、これらの国々は、ユダヤ人の多い地域である。
つまりヒトラーユダヤ人を追い出そうとしているのに、行く先々で大量のユダヤ人を抱え込む羽目になってしまったのだ。
しかも金持ちのユダヤ人たちは、早々に逃亡しているので、残っているのは貧しいユダヤ人ばかりである。その結果、多くの罪もない貧しいユダヤ人たちがナチスの迫害の犠牲になったのである。

ユダヤ人。お金のある奴らは、とっくの昔に、ドイツから逃亡していたわけですね。ドイツ国内に残っていたのは、ユダヤ人の多くの貧しい人たち、だったわけです。アメリカのカトリーナを思い出しますね。
ナチスは、国際会議で、ドイツ国内のユダヤ人、一人あたり幾ら、で、「ゆずる」、とかやってたみたいだけど、そもそも、お金で売る以前に、どこの国も、ひきとること自体を嫌がったわけだ。そりゃそうなんでしょう。ただでさえ金融恐慌なのに、お金のない外国人が、大量に来るというのですから。
しかし、これは今の日本でしょう。まったく、政治亡命、などの外国人の流入を嫌がってますよね。特に、ネット右翼が、ひどいもんでしょう。今の日本人には、自分たちが、いつか彼らユダヤ人のように流浪の民となって、同じような境遇にされたときのことを想像できないんでしょうね(その時は、まっさきに、そういうネット右翼の連中は、他の民族に「転向」してることでしょうよ)。
ヒトラーはこの大量にかかえた、貧困ユダヤ人に、彼の言う「福祉」をほどこしたくないんですね(これが重要だと思うんです。手厚い福祉は、背理なんです。言ってみれば、福祉とは、差別の裏返し、の可能性がある)。じゃあ、って、ほかの国に「売ろう」とするが、どこも買おう、としない。
なんと言うんでしょうか。それを、「言い訳」に、これらの事実から、「できるだけ、効率よく、処置」するために、導きだしたのが、アウシュビッツ、ってことなんでしょう。これほど、お金をかけずに「処置」できる方法なんてないでしょう。部屋に大勢閉じこめて、毒ガスですからね。まるで、豚の屠殺場じゃないですか。
しかし、それ以上に大切な点は、この事実は、戦後まで、ほとんど知られていなかった、ことなんですね。みんな、なんとなく変だな、とは思っていたし、ある日、つれ去られるんですから、ろくなことになってないだろう、というのは、うすうす分かっていたんでしょうが、実際には、「何」が起きていたのかは、知られていなかった。ユダヤ人たちは、ある日、ゲシュタポに、どこかに連れて行かれて、帰ってこない。脱走者でもいない限り、戦争に負けない限り、ほとんどばれなかった、可能性すらあるんじゃないでしょうか。これぞ、密室殺人。
言ってみれば、これこそ、近代の「理性」なんでしょうか。完全なる密室殺人をやっていた。しかし、一点、信じられない盲点がある。自分が戦争に負ける場合を考えていなかった。自分がもし勝っていたら、完全犯罪を完遂できると喜んでいたら、こうやって、あっさり負け、その当事者ヒトラーは、さっさと、自殺。
これが、国家の本質ですね。ずーたいばっかり、でかくて、でも、実際に動かしてる人間は、こんな程度の、連中。
さて、最後は、ドイツが、どういう形で、戦争に敗れていったか、ですね。

ナチス金本位制によらず、物々交換で貿易を行っていたとはいえ、すべての国が応じてくれたわけではなかった。国際貿易の決済は、まだまだ金で行うのが主流だったのだ。
相手が強国で、金を要求してくる場合には、金で支払うことが必要になってくる。特に石油の輸出を取り仕切っているアメリカには、相当額の金の支払いを行わなければならなかった。

このように1931年に比べれば、(1937年で)ドイツの金の保有量は25分の1以下に減少しているのである。このままでは、金が枯渇し、石油の輸入や対外債務の支払いができなくなるのは一目瞭然である。

お金のないドイツ。しかし、ポーランドなどをすでに、戦端を広げている。しかし、お金はない。戦争なんて、そんな広げられる状況じゃない。日本と同じ。

ナチスはあの手この手を使って、英仏に和平工作をしかけた。
しかし、英仏は、ヒトラー内閣の退陣を要求するなど、頑として聞き入れなかったので、戦端が開かれたのだ。

ヒトラーは、やっぱり、単純な「純粋な」人なんですかね。彼も、当時の日本と同じように、簡単に和平が実現すると思っているところがあるんじゃないですかね。それなりの条件で和平をやれると思っている。いったん、暴力で相手を破壊した側は、それによって、相手が自分を脅威に思うだろう、と。であれば、自分の言う条件なら、たいてい聞き入れるだろうと思ってしまうんですかね。そこで、拒否される場合を考えてないんですよね。もう、さらに暴力をエスカレートさせるしか、方向が残っていない。言ってみればそれは、「お前がこっちの言い分を飲まないからだ」という言い訳。最近の新しい会の連中の主張が、このまま、ですもんね。
それまで、ドイツの経済を牛耳ってきた、シャハト、も当然、イギリス、フランス、との戦争だけは、なんとしても避けるべきことであった。当然である。そんな戦争をやるお金がないのだ。
ヒトラーは、その、シャハトを解任し、戦費調達の公債を乱発する。

ドイツが負けを認め和平をした場合、莫大な公債はその価値を失い、想像を絶するようなインフレを引き起こすだろう。
そのためドイツ軍は敗走をすることは許されず、各地で無理な戦闘を繰り広げ、最終的に壊滅していくのである。

最終的に、この戦端の雌雄を決したのは、アメリカ、であった。しかし、なぜ、アメリカがこの戦争に介入しなかったのだろう。

アメリカはイギリスから再三再四、ヨーロッパ戦線への参戦を求められていたが、アメリカは首を縦に振らなかった。ドイツにそれほど恨みがあるわけではないし、ドイツに投資している企業、投資家もたくさんいる。たとえばドイツに子会社を持っているフォードやGMなどは、ドイツが戦争を始めても、以前とまったく変わらずドイツ子会社を営業させ続けていた。

しかし、そうもいかなくなったのが、ナチスがその侵略地域の拡大とともに、マルクを今のユーロのような地域通貨圏をつくろうと始めたこと、だったようです。
よく考えると、ヨーロッパの各国の福祉政策から、地域通貨、ユーロ、から、ほとんど、こういった、先進的な政策は、ナチスがやろうとしていたものが多いんじゃないですかね。
そして、ユーロの勢力拡大が、アメリカにイラク侵攻を動機付けて。

ヒトラーの経済政策-世界恐慌からの奇跡的な復興 (祥伝社新書151)

ヒトラーの経済政策-世界恐慌からの奇跡的な復興 (祥伝社新書151)