右田裕規『天皇制と進化論』

著者は、この、戦中の、一つのアポリアに、とりくむ。
なぜ、昭和天皇は、生物学者、だったのか。
これは、よく考えると、ほとんど、ありえない事態であろう。
アメリカの教育界は、今だに、進化論を学校で教えることに、反対の勢力の攻撃が、やむことがない。まあ、当然といえばそうだ。なにしろ、聖書に、人間は、アダムと、イブが作ったと書いてあるのだ。アメーバから進化してきた、猿と類縁の、禽獣と変わらない起源をもつとなったら、それこそ、矛盾、だ。
なぜ、こんなことが重要であるのか。人類がどこから来たか、は、人類が、どう生きるべきなのか、どういう使命をもっているのか、そういった、人間の生きる目的に、直結するわけですね(そしてそれが、死んだ後、どこに行くのかに、関わってくる)。まじめに、宗教を考えている人であればあるほど、決して、おろそかにできないわけですね。
しかしね。
この状況は、日本だって同じはずなのだ。

たとえば11年(明治44年)に同省が翻刻・発行した第二期国定歴史教科書(『尋常小学日本歴史』巻一、児童用)は、次のような記述から始まる。

第一 天照大神
天照大神天皇陛下の遠きご先祖なり。其の御威徳の極めて高くあまねきこと、あたかも天日のかがやけるが如し。(略)大日本帝国憲法は初め大神が御孫瓊瓊杵尊をして治めしめ給ひし国なり。

ところが、全体を通して、この進化論に対する、弾圧というのは、日本では、ほとんど起きなかったのではないだろうか。もちろん、言論の検閲を行なう、検察などは、それなりの検閲を行っていたようだが、どうも、完全な、進化論の撲滅という感じではない。
例えば、明治、大正、昭和、と、進化論、の大ブームの火付け役でもあった、丘浅次郎は、こんなことまで言っている。

人間は猿類の一種であって、他の猿等と共同な先祖から降ったといふ考が初めて発表せられたときには、世間の人々から非常な攻撃を被つた。今日では此事は最早確定した事実であるが、尚之を疑うて攻撃する人々が決して少くない。併し、此様に攻撃の劇しい理由を探ると、決して理会力から起るのではなく、皆感情に基づく様である。(略)折角今まで万物の霊であったのを、急に畜生と同等な段まで引き落さうとは実にけしからぬ説であるとの情が基礎となつて、種々の方面から攻撃が起つたのに過ぎぬ。我祖先は藤原の朝臣某であるとか、我兄の妻は従何位侯爵某の落胤であるとかいうて、自慢したのが普通の人情であることを思へば、先祖は獣類で、親類は猿であると聞いて、喜ばぬのも無理ではない(略)。(丘浅次郎『進化論講話』)

ここで、天皇でなく、藤原家を、揶揄しているのが、おもしろいですね。直接天皇について言う必要なんてないわけだ(あの立花隆天皇本で、揶揄されてる、加藤弘之のように、天皇が神の子供という話は、生き物が、この世界にあらわれる「前」の話ってことで、棚上げ、だってことにしたって、言いたいことは、ほかに、いくらでも言えるってわけです)。今の日本でも、閨閥つくりに、忙しいもんですよね。
そして、なによりこの事態を象徴するのが、天皇自身が、「生物学者」になってしまうという、ある種、喜劇的な事態だ。
明治天皇、も、大正天皇、も、そんなことはなかったという。そして、かなり、本格的なんですね。イギリスの学会に、何本も、論文を送り、最近の皇室報道じゃないですけど、あの、南方熊楠、と対面のセッティングまで、宮内庁はやっている、という。
この本全体の論調としては、二つ書いてあって、一つが、戦局が進行するにつれて、国家全体の方針として、科学を重点的に、重視するようになっていた、ということですね。この辺りで、天皇の、科学者、としての姿勢が、いい宣伝になっていた。
もう一つは、陸軍などがそうだった、というのですが、優生学、をかなり、重視していたようだ、ということらしい。
進化論、というのは、二つの側面があって、一つが、人間、の平等性、といいますか、みんな、猿から、みたいな側面。もう一つが、優生学的なもの。いや実は、細かく見ると、人類にとって、有害な、遺伝子、ってあるんだ、と。だめな遺伝子は、なんとか撲滅して、優れた遺伝子を残さなきゃ、という話ですね。陸軍などは、台湾、朝鮮の植民地化から、強い遺伝子とは、日本民族で、彼らは、弱い遺伝子だったから、植民地化された、みたいな物語を、心地よく思ったのでしょう。
しかし、どうでしょうか。現場サイド、つまり、天皇側近の人たちにとっては、なにより、これによって、天皇自身の、精神的安定が、なにより、よかったんでしょうね。これほどの、むちゃくちゃな事態から目をそらさせるくらいに。なんてったって、楽しそうですからね。昭和天皇自身が。こんだけの、プレッシャーの多いご時世で、文学にのめりこむわけいきませんし、この辺りが、一番、バランスがとれてると言えないこともない。
しかし、戦局も深まり、国民の貧困も極まっていくにつれて、どうも、上記の話とは違った理由で、その天皇の生物学趣味は、おおっぴらには、できない雰囲気になっていく。

「まちがった情報」は、たとえば五・一五事件二・二六事件の被告(陸軍所属)の一部にも共有されている。彼らの尋問調書には、事件に参画した動機の一端として次のようにある。「牧野内府が今生陛下の生物学に御趣味を有せらるるに乗じ専ら其方面の御研究に大御心を注がせ賜ふ様に為し政治に御心を向けさせ賜ふことを妨げたり」(五・一五事件の被告)。「陛下に対し奉り、植物学の御研究をお進めし、天皇の大権の御発動を御裁下のみを縮小し奉り、自己等の地位権勢を以つて国家を動かさんとする元老、重臣の横暴」(二・二六事件の被告)。彼らの目に「御研究」は、天皇親政を妨げる側近の「陰謀」としてだけ映っていたのである。

やはり、この、二・二六事件、というのは、日本の政治史の中でも、大きい事件ですね。この事件こそ、維新政府の、考えた、ビジネス・モデル、を根底から、破壊した事件なんじゃないですかね。
ここから、日本は、一度も、そのモデルのチェンジに成功しないまま、ぐだぐだで、今日まで来ている、ということなのでしょうか。

天皇制と進化論

天皇制と進化論