法隆寺

最近は、仕事が忙しく、なかなか、ゆっくりできなかったが、この前、少し時間があったので、仕事の帰りのついでで、奈良の法隆寺に行ってきた。
といっても、秘宝御開帳の時期ではなかったので、救世観音像、は見れなかったので、なにをしに行ったんだろう、という感じではあったが。しかし、それが、秘宝の秘宝たるゆえん。見えないから、ありがたみもあるということなのだろう。
さすが、世界遺産、なのだろうか。大変、きれいで、もう、観光コースみたいになっていた。金堂や、百済観音像や玉虫逗子、は、最近できた、百済観音堂という、博物館のようなところに、ガラスケースに入れられて、飾られていた。ほかの仏像も、このようにした方が、保存には、絶対、いいのではないか。
百済観音像が、あそこまで大きく、立派だとは、実際見るまで、意識していなかった。この仏像こそ、日本の多くの仏像の中でも、最高傑作、と言っていいだろう。この、完成度。
私にとって、法隆寺は、やはり、最近読んだ、倉西裕子さん(すみません。間違えました)の、救世観音像、や、百済観音像、の本に大きく、影響されている。あれだけ、熱狂的につづる、吉野さんの文章には、ある視点の転換があるのだろう。その二つの仏像を、普通の仏像と考えては、いけないのだ。まさに、聖徳太子と同時代に、生まれた、日本書紀、最下巻、の「あの世界」、の聖徳太子教、のまさに、中心的、御本尊、と考えるべき、ということなのだ。この二つの像を、どこにでもある、ありふれた、仏像と考えてはいけないのだ。
奈良の山の住宅街の中で、ひっそりと、観光遺産として、遺される、法隆寺。ここはもう、昔のような、政治の中心地、ではない(江戸時代でさえ、こんなような観光地だったのだろうか)。しかし、その、飛鳥時代、から、鎌倉時代まで続く、聖徳太子教、の雰囲気は、そこここに、十分に、感じられたのではないか。
日本書紀を、ここ最近、興味深く読んできた、最近の自分にとっては、もう、それ以前のなにも知らなかった自分のように、ただのどこにでもある、観光地の、どうでもいいもののようには、眺めることはできなくなっていたようだ。