磯前順一「死霊祭祀のポリティクス」

靖国、ということで、1995年、あの、小泉純一郎が、首相として、8月15日に、公式参拝、をしようとして、いろいろ物議をかもしていた頃の、雑誌「現代思想」の特集の中の、一つの論文である。
明治日本の「近代国家」化が、この前は、江藤新平、によることを何度も強調した。
しかし、このことは、なぜ、明治日本が成立したのかを、説明するものではない。
明治日本創設が、ひとえに、近代化、の実現を目指して行われた、と思っている人がいるとすれば、どうかしている。
では、なぜ明治日本はできたのだろうか。いや、成立したことがどうのこうのではない。ホメオスタシス、つまり、国家が存続するには、その国家を存続させるために働くサブジェクトの「再生産」こそ、重要であろう。国家は、常にその国家の存続のために働く存在の再生産に成功し続けるから、存在し続ける、と言える。
つまり、国体の護持である。
そのコアにあったものが、例の、招魂祭、であることは間違いないであろう。

そこ[東京招魂社における招魂]で言う祭神とは「明治維新の大業を始めとして過去数回の大戦役」にて「一死を以て護国の神」(『靖国神社誌』)に祀られた国家の「英霊」のことであり、合祀祭をはじめ例大祭などの靖国の祭祀がこの神々を慰霊することに目的があったことは、幕末の一八六二(文久二)年、東京招魂社の更なる先駆をなすといわれる、勤皇の志士が京都東山で執り行った招魂祭で読み上げられた次なる祭文からも明白である。

山行は草生屍、海行は水漬屍、大君の為に大君の為めに死めと思定めて、大御心を心と為て勤労乍、或は罪を蒙り、或は自殺て王事に死せる人、安政五年より、今に至る間に、幾百人在らむ。或は三月雪に吟行ひ、或は正月望に契友ひし類の忠士輩を、朝廷に於も、哀に甚惜み思食在は、此人等の武く清く明き御霊を、同社に鎮斎、国中に報い、皇基の鎮護とも為んと、同志諸人も疾く思立は、躬行い、殿下に此事を建白為すとも、未だ事成らず、月日経を思詫て、今日の生日の足日に、同志人々を集会て、先霊祭を為さしめ、霊魂に此由を告申さめとて、斯物為にこそ、請、忠義諸君の和魂荒魂、知も知ぬも、洩事無く、脱事無く、此祭庭に天駆来会坐て、同志諸人、酒飯山海の多米津物を捧げ、歓迎状を平く安く聞給て、和魂は朝廷に守幸へて、荒魂は蟹行横浜なる夷賊は更なり、若し軍艦の寄来むは、討罰め、......魂幸ふ神祇鎔造の此大八洲国を本議の如く高貴宇宙に徹底る強国と成給へと、同志諸人、鶉葡萄回る如く、畏み畏み白す。

古代神祇令の祝詞に則ったこの形式の祭文は、今日に至るまでの靖国神社の祭礼において踏襲されていくことになる。

幕末の一八六二(文久二)年に、勤皇の志士が京都東山で執り行った招魂祭。それにしてもこの、招魂、という言葉の、おどろおどろしさはなんなのだろう。

招魂とは、元来、「其時々」すなわち一時的に霊を降ろす、憑霊にも似た一種の降霊術とも考えられていたようであり、後に触れる三島由紀夫の小説「英霊の声」に描かれているように、当時民間に広がっていた国学神道の、広い意味での鎮魂術とも密接な繋がりを有するものであった。

たしかに、当時の、ものを読むと、こういった、オカルト的な、儀式が、よくあらわれるんですけどね。当時の流行と言っていいのでしょう。
いずれにしろ、当時流行した、この、オカルト行為が、この国家の中心、礎として、置かれた、ということなんだと思うんです。
死んだ人の魂を、靖国神社に呼び寄せるのが、招魂祭。そして、その魂が靖国神社を離れて他に行かないようにする、神として鎮座させるのが、合祀祭。どうも、この明治の始めにできた国学系の靖国神道というやつは、いつまでも、成仏させてくれない、死んだ後も、天皇のために働かされる、かなり、強烈な思想のようですね(事実、柳田国男は、日本の伝統的なお盆などの祖先信仰から考えても、靖国が、相当異質であることに不快感をあらわしているわけですね。神道の伝統からも、かなり、オカルト的なんじゃないですかね)。
京都東山の招魂が、どれだけ強力な、思想運動であったのかを考えることは、重要なのではないか。
水戸学派の、会沢正志斎、の、新論、が描いた、祭政一致国家。これこそ、明治日本の、中心、いや、全て、であろう。この国の国民であることは、この国の宗教を信じ生きる存在であることと不可分の関係であると定義すること。
九州を中心に、猛烈な勢いで吹き荒れた、廃仏毀釈運動、は、そのまま、本気だったのじゃないか。国民に、これから、仏教式の、先祖供養をさせない。先祖を祀ることが許されるのは、維新の天皇のために死んだと認められた、志士、彼らだけしか認めない。つまり、靖国の神しか、死者を弔うことを認めない、それくらいの、強力な信念があったのではないだろうか。
この国学が開いた地平、有機体的な国家において、儒教的な倫理すら、破壊の対象なのであり、国民は、ただただ、天皇を生きのびさせるために、全生涯を捧げることを求められ、それを行ないえた、天皇を守るために行動して死にえた、存在だけが、祈りの対象として、許される。
個人や家族、イエ、は、儒教にとって、すべてのベースであったが、ここではまず、そのベースを、根底から、破壊することによって、この国家有機体の、ホメオスタシスが、まわり始める。
天皇のために、なんとしても、今すぐにでも死にたいと思っている、潜在的な特攻隊志願者、を、国内に、どれだけキープできるかによって、国家は、その存在を、さまざまな場面における、鉄砲玉として、使えることが計算できる。国家存続の危機において、あとは、その鉄砲玉を、ばらまけばいい、というわけだ。
もうお分かりであろう。そのホメオスタシス。国家は、滅びたくても、滅べないのだ。なぜなら、いつまでたっても、国民がいなくなるまで、国家存亡の危機の臭いをかぐたびに、この鉄砲玉は、暴発し続けるというのだから。なにしろ、それだけが、死後、魂の供養が許される、というわけですからね。
私たち日本人にとって、この世で、生き続けることに、なんの価値もない。この世に生を受けた瞬間から、いつでもいい。ある瞬間、天皇を守る、天皇を救うために、行動して死ねること、それだけが、その日本人の魂の救済なのである。だとしたら、生き続けることそのものに、なんの価値もないことは、おわかりであろう。なんとかして、その瞬間をつかみ、死ねることだけが、快楽だというわけだ。日本人は、国民全体が潜在的な自殺予備軍というわけだ。
たとえば、なぜ、保守派は、あれほどまでに、沖縄集団自決での、沖縄国民を、日本軍の命令でないと、擁護するのだろうか。沖縄戦死者の、一部は、靖国に祀られている。ということは、その人は、「自発的」に、天皇を守るため、命を捨てたのでなければ「ならない」のだ。実は、この問題は、鳥羽伏見の戦いにおいて、京都東山で祀られた、戦死者の頃からある。彼らのほとんどは、天皇のために、命を捨てる、とか、そういう観念をほとんどもっていないで戦っている。当時は、まだまだ、天皇と言っても、メジャーな存在ではなかったわけだ。しかし、祀る側としては、なんとかして、「天皇のために」命を投げ出したんだ、ということにしなければならなかった、というわけだ。ここに、靖国神道の、ずいぶんと、強引な、宗教活動の実体が分かってくる。
本当に、それは、本人の遺思を継ぐものなのだろうか。
そう考えると、この、靖国神道が、神と仰ぎながら、その当人が、どういう存在なのかに、「まったく」興味をもたない、勝手にこっちの「天皇のために死んでくれた」という思い込みを投影した、そう祈りに来る側に思い込ませるために、わざわざ、いつまでも成仏させずに、この大地にしばりつけておく、こういう、まったくその故人をその人格において尊敬も尊重もしない、ずいぶんと、乱暴な宗教であることが分かってくる。
どうして、日本人に、キリスト教徒が少ないのか、ということがよく言われる。もっと言うと、なぜ、日本人は、無宗教、なのか、と。しかし、これほどの愚問はないであろう。なぜなら、日本人は、天皇教の教徒なのだから(天皇教の教徒でなければならないのだから)。むしろ、信教の自由があると思うこと、他の宗教を信仰していると思うことの方が、なにかの冗談なのだ。
私は、あまり意識していなかったが、自民党の、憲法改正論議の、もっとも、中心的な主題は、明らかに、政教分離を緩めること、であったことは、今考えると自明なように思われる。明治日本、その延長としての、戦後日本は、果して、政教分離など、できるのであろうか。無理であろう。なぜなら、この国(明治国家)の成り立ちからして、祭政一致、こそ、その中核であったわけだから。そうであるとするなら、何度でも、この亡霊は、よみがえり、政治の主題として、ぶり返し続けるのであろう。