祇園祭

今週は、ちょうど、山鉾巡業でしたね。日本三大祭と呼ばれる、この、祇園祭、は、起源としては、疫病の災厄の除去のため、平安時代、くらいからと言われて、実際、今の形になったのは、江戸時代の少し前なのだろう。
それにしても、不思議な、祭である。中国の、さまざまな、故事、を題材にしていることもそうだ。まさに、小島毅さんの、内藤湖南、流用の、応仁の乱、で日本一変説、を裏付けるようではないか。平安時代の京の人にとって、国際的な関心が、強かった(いや、デフォルト)ことは、間違いない。
戦前を知っている人にとって、なぜ、こういった祭が、天皇礼賛のオンパレードでないのかを、疑問に思うのではないか。
天皇というものが、いかに、「明治」以降に突然、表舞台に引きずり出されてきたか。明治からなんですね、日本中の神社が、天皇を頂点にした、天皇教、として「統合」されたということが(言ってみれば、そこで、まったく違うものになったのでしょう)。
しかし、もともと、神道、とはこういうものなのだろう。
どうでもいいけど、なぜ、トロイ戦争、がこんなところに出てくるのでしょうね。