中島隆博『荘子』

私はこの、荘子、という書物を重要だと思っている。
その理由はなんだろうか。
それは、これこそが、諸子百家の、百家騒乱とした、議論の応酬を最終的に終わせたものと考えている部分があるからだ。
つまり、これが「答え」なのだ。
荘子を、道家、というカテゴリーで分類することは、さまざまな誤解を与えるであろう。
荘子の特徴は二つある。一つは、この、「文法的」な議論である。もう一つは、儒教への、限りない接近である。荘子をたんなる、儒教の否定と考えることは、(そう読める後世追加された部分があるとしても)後世の党派的議論である。(本質ではないし)退屈の一語であろう。荘子は、限りなく、儒教に親和的である。そうであるからこそ、儒家からも、道家からも、不満に思われ、低く扱われる。
しかし、そういう、党派的な議論に、現代の私たちが、つきあわねばならない、いわれはない。
荘子は自由なのだ。
さて、私たちはこの、荘子、という書物をどのようなものと考えたらいいのだろうか。
この本では、そういった疑問に対し、アカデミックな研究の立場から、整理する。
著者はまず最初に、荘子が、老子に「先がけて存在した」可能性、そういった、学説を紹介する。

その上で、チャンは、『老子』と『荘子』の順序を入れ替え、「『荘子』の編纂は紀元前四世紀で、『老子』の編纂は紀元前四世紀末か三世紀初である」と主張したのである(アンヌ・チャン『中国思想史』、一0三頁)。

このことは、重要であるだけでなく、さまざな空想を私たちにさせる。確かに、老子は、体系的に整理されているきらいがある。また、儒家との距離も気になる。それよりなにより、このことは、荘子道家のような立場を前提とした、老子的な感覚を前提としたものでは「ない」可能性を想起させる。
老子とは、以下のような認識ではないかと思っている。

また、『老子』三四章の注にある、「万物はみな道によりて生じるが、生じてしまうとそのよって生じたところがわからなくなる」という表現や、(以下略)。

なににせよ、老子は、どこか洗練され、抽象的な印象が強い。
著者は、もう一つ、荘子の特徴を指摘する。それは、仏教との関係である。
このことは、ことに、日本人にとって、これ以上ないくらいに重要であろう。
仏教は、インドを経由して、中国で発展し、日本に渡ってきた。当時の、中国において、仏教をどのように、つまり、何によって、読んだか。それが、老子であり、荘子であった。中国人は、インドの言葉で書かれた仏教を「翻訳」するにおいて、老子荘子の、ターミノロジーを使用した。つまり、仏教は、荘子によって、「読まれた」。荘子によって、整理されたのだ。中国で発展し、日本で今日まで、続く、この、東アジア仏教は、荘子的世界で説明され、独自に進化した。
そういう意味で、我々は、荘子を通さずに、仏教を見ることができない。しかし、それを貧しいと考える必要はない。その独特な発展は、本国インドで早々と消滅せざるをえなかった事態と比較しても、いかに、荘子の示す世界が強力であったか、を思わせずには、いないであろう。
その他としては、著者が紹介する、荘子読解の中の一つ、ジャン = フランソワ・ビルテール、の、『荘子講義』が、印象的である。

第三構では、この忘却と「游」が論じられる。三つの重要な引用がなされる。第一の引用は、孔子顔回の対話である。

孔子が言う。「どういうことだ」。
----「わたしは仁義を忘れました」。
----「それはよい。しかし、まだだ」。
他日、ふたたび顔回孔子を訪れる。
----「わたしは進歩しました」。
----「どういうことだ」。
----「わたしは礼楽を忘れました」。
----「それはよい。しかし、まだだ」。
他日、ふたたび顔回孔子を訪れる。
----「わたしは進歩しました」。
----「どういうことだ」。
----「わたしは坐忘しました」。
孔子は顔つきをかえて尋ねた。「何を坐忘と言うのか」。
顔回は言う。「体を堕て、聡明を堕て、形を離れ、知を去り、大通(大道)に同化しました。これを坐忘と言うのです」。
孔子が言う。「同化すれば好みもなく、変化すれば常がない。おまえは賢者になったのだ。わたしは、お前の後に従おう」。

「坐忘」というのは、一見すると外界と他者に背を向け、自分に閉じこもった最も完全な非活動に見えるが、ビルテールに言わせれば、それは西洋的な物の見方の限界にすぎない。それは、あらゆる状況において正しく必然的な仕方で対処し活動できるということだ。そして、それは「游」という言葉でも表される。二つ目の引用は、孔子と老たんの対話である。

孔子が老たんに会いに行った。老たんは、新たに沐浴したところで、髪をざんばらにして乾かしていた。じっとしていて、人ではないようであった。孔子は隠れて待っていた。しばらくして見えて言った。「わたしは目が眩んだのでしょうか。それともほんとうにそうだったのでしょうか。さきほど、先生の形体は、ポツンと立っている枯れ木のようでした。物を忘れて人を離れて独に立っているようでした」。
老たんが言う。「わたしは物の初めに遊んでいた」。
孔子が言う。「どういう意味ですか」。
---- 「心苦しんで知ることはできないし、口を開けて言うことはできないが、試みにあらましを語ろう」。
(『荘子』田子方篇)

ここで「物の初めに游ぶ」と老たんが言ったことを、ビルテールは、「実践的な関心や意図から離れていくと、意識はおのずと、鎮まった固有の身体の知覚によって游ばれるようになる。これが游の形式である」(ジャン = フランソワ・ビルテール『荘子講義』、九五頁)と述べる。

常にそうであるが、テクストとは、解釈である。この読解が正しくない、と言うことには、本質的なところでは、意味がない(荘子だって、しょせん、漢字の羅列なのであり、あらゆるテクストは、文字の羅列でしかない)。
明らかに、ビルテールは、西洋の伝統的な、ストア派からスピノザからと、連綿と存在する、思想から、荘子にアプローチしている。
そのことの「不純」さを、嗤う態度は、日本の古代に遡り、原初日本を「つかまえた」と信じる宣長主義のようなものであり、どっちがお笑いか、という話であろう。ハイブリッドであることから逃げることは、人間の本質ではない。人間の根底には、どんな民族、個人にも、通底する認識がある、と思うことことは、確かに、たんなる「信」でしかないかもしれないが、それは、カントにも通じる、近代の認識なのだろう。
ビルテールの上記の解釈には、事実以上に「正しく」思われ、人を、興奮させるものがないだろうか。
荘子は、荘子以上に、荘子なのだ。

『荘子』―鶏となって時を告げよ (書物誕生―あたらしい古典入門)

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