島田裕巳『中沢新一批判、あるいは宗教的テロリズムについて』

さて、みなさんは、この本を読んでどんなふうに思われたであろう(今回は、ちょっと長くなりすぎた。反省)。
みなさんの中には、「おのれ、中沢憎し」となった人もいるでしょう。しかし、私は、あえて、そういう立場をとっていないことを、最初に、断っておきます(この本の世間の評価も知りません)。
この本は、2007年に、出版されたそうだ。しかし、この島田さんは、あの、地下鉄サリン事件から、「懺悔」と称して、多くの本や論文を出版してきた。むしろ、その後の方が、世間向けには、大々的な宣伝をして、島田さんの新刊は、売り出されているのではないでしょうか。
島田さんは、事件の後、世間やマスコミのデマによって、大学を辞め「なければいけなくなった」と、その経緯を以下のように言う。

地下鉄サリン事件から半年が経った1995年9月末、『日刊スポーツ』が、私が麻原彰晃からホーリーネームをもらい、幹部の待遇を受けているといった記事を、一面のトップニュースとして大々的に報じた。この記事をきっかけに、テレビのワイドショーで連日私のことがとりあげられ、私が学生をオウムに調査に生かせ、入信させたなどという、事実に反する報道がなされた。それはまた、大学への抗議電話となった。それだけ大学に大きな迷惑をかけてしまった以上、私は大学を辞めざるをえなかった。
『日刊スポーツ』の記事はまったくのでたらめで、私は大工を辞める前に名誉毀損で新聞社を訴えた。裁判の審理の過程で、『日刊スポーツ』の記者が、若いまだ十代のオウム信者の言ったことをそのまま信じ、裏づけ取材をしないまま記事にしてしまったことが明らかになった。その信者が、記事が出たあとに自殺していたことも判明した。

オウム-なぜ宗教はテロリズムを生んだのか-

オウム-なぜ宗教はテロリズムを生んだのか-

その後、裁判で、勝訴し、幾つかのデマは、濡れ衣だったことを「証明できた」そうである(しかし、私はむしろ、ここで、さらっと、その若者が自殺したことを書いてみせる彼が「恐い」んですけどね)。
しかし、自分で本の中に書いてあるように、彼は、事件前、さかんに、オウムを評価し続けていた。「朝まで生テレビ」での、幸福の科学との応酬のときも、「比較的に」オウムは、いい、というような形で(まさに、比較宗教学、である)、オウムの、すばらしさを、吹聴し続けていた。
そして、事件の直前である。
彼は、以下の、「決定的な」行動を行っている。

その少し前の1995年元旦に、『読売新聞』がオウム真理教の名前をあげないまま、上九一色村サリンを生成する際の残留物が検出されたと報道し、オウム真理教と前年の松本サリン事件との関連が疑惑として報道されていた。そのなかで、私は『宝島30』誌の編集者とととも、第七サティアンを訪問し、その経緯を雑誌に寄稿した(それは、『宝島30』1995年3月号に「徹底検証 オウム真理教 = サリン事件」として特集されている)。
その時点では、情報も乏しく、私は、オウム真理教のような宗教団体が、サリンを生成し、無差別殺人を敢行するなどとは想像もしていなかった。そこで、宗教使節に改造された第七サティアンを見ても、その下にサリン・プラントが隠されているとは考えなかった。『宝島30』誌に寄稿した文章のなかでは、オウム真理教サリンを生成したという報道を明確な根拠がない一つの「お話」として否定するとともに、オウム真理教側が、自分たちはアメリカ軍によって監視され、攻撃を受けていると訴えていたことも、もう一つの根拠のない「お話」として否定した。
私としては、教団の外側で言われていることと、内側で言われていことを同時に否定することでバランスをとったつもりだった。

島田という人は、こういう人なのである。
簡単に、「一番重要な部分」の言質を引っくり返す。軽いのだ。上記の、非常に重要な時期に、「サリン・プラント、なんかあるわけないだろ。実際、学者のこの私が、この目で見てきたんだから」、と、さんざん触れてまわってマスコミで小金を稼いでいる間の、地下鉄サリン事件、というわけだ(薬害エイズ事件のときの、安倍とかいう年老いた学者を思い出しますね)。
そういう彼が、今でも、学者を続けているというのだから、驚きだ(と言ったら、言いすぎですかね)。
しかし、その島田さん。
「悪」の(陰の)総本山は、別にいる。
と告発したのが、この本である。
それが、中沢新一さん、だというわけだ。
最近の、中沢さんの社会復帰が、お気にめさないようである。
中沢新一、といえば、彼こそ、あのニューアカブームにおける、中心人物の一人であり、絶えず、物議をかもす、論文を出版してきた、だれもが、「読んできた」日本の論客、である。他方、私は、この、島田という人の本を、今回を除いて、今まで、一度も読んだことがなかった(特に、昔の、オウム礼賛本など、死んでも読みたくないが)。
掲題の本の最初の方で、島田にとっての、大学生時代の2年先輩として、いろいろ世話になっていることが書かれている。
だとすると、この批判本、はなんなのだろう。
この本で、中沢を意識して発言している関係者は、上祐、高橋、そして、島田であり、共通しているのは、中沢に、グルイズムの否定をして「ほしい」と思っていること、である。上祐は、新団体を意味あるものにするために中沢の過去の著作が邪魔だから、いらだつ(中沢本人に過去の著作を否定させたいのでしょう)し、高橋も、完全に過去を断ち切るに、中沢にその言質をとりたかった、島田も、同じ学者として、自らの「転向」をそれによって、担保を得たい。
しかし、変な話であろう。中沢なんて、関係ないじゃないか。「自分で」こうだと思うことを、勝手にやれってことだろ? 今学会を席巻している学説がなんだろうと、自分がこれが正しいと思うから、そう主張するんじゃないのか。
中沢の『虹の階梯』を否定したいなら、自ら、チベットに行って、仏教を学んでらっしゃったらどうです? そして、ここに書いてあることはおかしいと、もう一つの『虹の階梯』を書かれたらどうでしょう。
しかし、それに対しても、なんとも、弱気なことを言う。

脱麻原の方向をめざすなら、麻原の著作や説法に頼らず、それをいっさい参照しないようにしていかなければならない。そのとき、麻原の著作や説法に代わるものが求めたれる。だからこそ上祐は、「はじめに」でふれたように、新しい経典の解説書を作る必要があることを表明しているわけである。
ところが、そうした新しい解説書が神秘体験を求める信者に魅力的なものになりうるという保証はない。実際、麻原でさえ、神秘体験のイメージを提供するという点であ、『虹の階梯』を凌駕するだけのものを作れなかった。麻原にできなかったことが、上祐や他の幹部、信者にできるとは思えない。そうなると、信者たちは、神秘体験のイメージを得るために、『虹の階梯』に頼っていかざるを得なくなる。

ようするに、自分たちの、才能のなさだけは、どうしようもない、ということみたいだ。
しかし、そんな、なさけな事態も、関係ないようだ。
島田さんにとって、地下鉄サリン事件、という大きな問題が、目の前にあり、この事件の「答え」が、なんなのか、が、ずっと彼の追っている問題なのである。
地下鉄サリン事件、は、「誰」が、化学兵器サリン」を、多くの人混みがあり、密閉されている地下鉄に、まいたか、その因果関係がはっきりしている。また、オウムは、それ以前に、何度も、「サリン」をまいて、「経験」をつんでいた。
この、現代日本に生まれた、「悪」、は、なんの反論も許されえない、「悪」、として、その後の、日本に刻まれていく。
ある事態の価値が、「悪」と決まれば、それに言及することは、容易になる。村上春樹が、最初に書いた本は、被害者へのインタビュー集であった(もちろん、その後、加害者側のインタビューを行いバランスをとったが、その順番は重要である)。
島田さんは、基本的にこの延長で考える。オウムの「テロ」は、現在、世界中を席巻している「自爆テロ」を考える上でも、重要な試金石なのであろう。この「謎」がクリアされなければ、先へは進めない。
そして、島田さんが、最後にたどりついたのが、彼の2年先輩である、中沢さん、だということだ。
オウムに対する、中沢さん、とりわけ、その『虹の階梯』は、オウムの一部を構成していると言ってもいいほどの重要な意味がある、と、島田さんは解釈する。するとその、『虹の階梯』に示されている、グルイズム、が、いまだに、そのまま本に記述され、改訂されていないことに、島田さんは、違和感を覚える。
つまり、そのグルイズムの思想を、中沢さんは、事件の後も、捨てていない、と。なら、中沢さんは、今でも、サリン事件を肯定し、オウムを肯定している、と島田さんとしては、判断する。
日本に再び、あの、サリン事件を起こさせないためには、こうやって、島田さんが、最後の最後に、突き詰めていった先にあった、中沢さんを、「どうにかしなければならない」、そういう結論に至った、ということらしい。
そういった視点で、中沢さんの仕事を見ていくと、こういった「大量死」につながることを「危険思想」と考えているのか、という疑問がわきおこってくる。むしろ、そういう事態が、ましな面をもたらしてくれる側面もあるのじゃないか、という肯定的な解釈の側面まで、持ち合わせているのではないか。
ここまで来て、島田さんとしては、その「義憤」を、こういった、告発本、として、表さずにはいられなかった、ということのようです。
しかし、一読すれば分かるように、これは、相当レベルの低い、難癖、のオンパレードである。もちろん、中沢さんについて、多くの知見があり、興味深くはあるが、もともと、学者とは、そういう、きわどい境だからこそ、研究しているのであって、その言葉じりを、むりくり解釈してみたところで、売れはしても、質の悪いゴシップ雑誌を読まされているようなものでしかない。
特に、以下の部分を読むに、もうこの人は学者をやめるべきだと思う。

僕[太田のこと]は何年か前に、オウムに与えた影響について、中沢さんに聞いたことがあります。そうしたら、自分のつくり出した思想や書物が、その先影響を与えたことに関しては気にしないとおっしゃった。
太田光憲法九条を世界遺産に』)

しかし、本当にそれは、「気にしない」と言って、すますことのできることなのだろうか。

学者に、その発表する研究結果の、社会への影響の「責任」をとらせる「べき」と言うなら、学問は、成立しないであろう。政権交代が起きるたびに、学者が、「思想犯」として、牢屋に入れられることになるであろう。こういう、プロパガンダをやりたいのなら、そういう、おかかえの政治団体で、活動をされたらいい。
ようするに、島田さんが考える最大の問題は、「二度と地下鉄サリン事件を起こさない」ということであって、それ以外の、社会の価値は、考慮する価値なし、なのであろう。とにかく、二度と地下鉄サリン、さえ起きなければ、あとはどうでもいい。その延長で考える、まさに「社会学者」的発想なのである。

私には、そもそも信仰や修行といった宗教の中身に対する関心は薄く、それはオウム真理教についても例外ではない。私は、オウム真理教という集団を通して現代の社会に生きる若い世代がどのような状況におかれているのかが見えてくるのではないかと考え、そこから彼らに関心を抱いた。その点で、私は主に社会学的な観点からオウム真理教をとらえようとしてきた。

そう考えたとき、中沢さんの一連の発言は、島田さんにとっては、どうしても、「もう一度、サリン事件、を」と呼びかけているようにしか思えない。
しかし、そう決めつける、この本の論調は、重大であろう。一人の学者が、今も変わらず、「殺人教唆」している、と言いはる、島田、というこの男。
つまり、頼むから、警察は早く、中沢さんを、逮捕しろ、と言ってるのだ。
そういう意味では、これは、一つの、ある一人の個人の、思想信条の自由を、破壊しようという、学者生命を奪おうとする、活動であることが分かってくる。
著作の書き換えの要求ということが、どれくらい、国民の権利である、思想信条の自由、から、物議をかもすものであるか。
しかしそれも、こと、「テロ」の名目の前では、「たいしたことではない」、ということか。
彼が、中沢さんに、著作の改訂をさせたとき、「初めて」彼は、中沢さんに「勝った」と思うのだろう。このルサンチマンはすさまじい。
私は、このやりとりに、曽野綾子が、大江健三郎、の沖縄ノート、を何十年も糾弾し続け、最後には、裁判にまで行っている(しかも、かなりの劣勢なわけだ)事態に、だぶってくる。
いろいろ書いてきたが、問題は、島田さんが、どういった社会であるべきか、どうあるべきと考えているか、であろう。
これが、有田なんとか、や、江川なんとか、のような、人権弁護士レベルの視点で、悪の権化、オウム、と言っているなら、話は早い。しかし、あんたは、「宗教学者」であろう。しかも、この団体に、少なからず関わった。
しかし、ここには、言わば、島田さんの、宗教観は、一つもない。あるのは、中沢さんが、島田さんを、ある時期から、「まったく相手にしなくなった」、という事実にすぎない。そのシカトに耐えられなくなって、こういった著作物を通じてまで、「自分を無視しないで」、と半べそで呼びかけずにいられなくなった姿であろう。
島田さんは、当時をふりかえり、以下のように言う。

オウム真理教が、週刊誌の糾弾キャンペーンや、坂本事件とのかかわりなどで社会的な注目を集めたとき、私を含め宗教学の研究者が彼らを好意的にあつかったのも、現代の世俗化された社会に、修行の実践を軸に活動する新たな宗教団体が登場したことに、新鮮な驚きを感じたからである。

しかし、この発言は、多くの人に、違和感を与えるであろう。中沢新一、さんが評価するなら、なんとなく分かる。なぜなら、チベット仏教を、今でも信仰するものとして、オウム真理教が、最初、登場したからだ。しかし、島田さんは、違う。彼は、元ヤマギシ会の、信者、であり、その後辞めている(つまり、転向者)。

ただし、当時の山岸会には、学生運動を経験したような若者が多く、組織のなかは統率がとれていなかった。人の出入りも頻繁で、共同体に定着する人間はそれほど多くはなかった。そこで、組織全体の引締めが計られ、山岸会は消費者に自家製の生産物を独自のルートを通して販売する農業共同体としての道を模索するようになっていく。その過程で、組織の根本的な改革がなされ、その混乱のなかで、私は山岸会を脱会する。

つまり、自らの信仰をその後、表明することなく、宗教学者(宗教関連論文コレクター)になったにすぎない。下世話な言い方をさせてもらうなら、国民はこの学者に、「いい飯のタネ」にされた、というわけだ。そして、それは、今もずっと続いている。
私は、この一連のオウムの凶悪犯罪を考える上で、何よりも重要な人物は、村井、だと思っている。

麻原は、自らの初公判において、意見陳述を行っているが、その際に「聖無頓着の意識」についてふれた。聖無頓着とは、仏教の「四無量心」に由来するオウム真理教独特の表現で、周囲で起こっている事柄や出来事に対して、いっさい関心をもたず、それに煩わされないことを意味する。その点で、聖無頓着はデタッチメントと同義である。
ここで思い出されるのは、村井秀夫のことである。これは、拙著『オウムと9・11』でも指摘したが、彼は現実を超越したかのような透明感を漂わせていた。麻原は、そうした村井が、弟子のなかでただ一人神の領域に足を突っ込んでいると高く評価した。しかし、村井は一方で、オウム真理教が犯した数々の犯罪において中心的な役割を果たし、坂本弁護士事件でも松本サリン事件でも、その実行に関与していた。その村井の姿は、夢見心地で街を破壊していくという、中沢の描くゴジラの姿と重なってくる。

忘れているが、彼こそが、あらゆる事件の「主犯」なのだ。ほぼ、直接、手を下している。私は、ずっと目の見えなかった、麻原の生涯の饒舌を、擁護する気は、これっぽっちも、ないが、この、村井という人間には、底知れない「恐怖」を感じる。
私は、当時の、オウム信者一人一人、がどれくらい、この凶悪犯罪にコミットメントしていたのかの、分析こそ、なによりも重要だと思う。しかし、そういう意味で、法廷は、どこまで、意義深かったのか。
島田さんの宗教観では、グルへの絶対帰依というドグマこそ、「すべての元凶」とされるようだ。しかし、当たり前、であるが、直接、手を汚している人間が、そこにいる。もちろん、そうしなければ、戦中の軍隊のように、当事者が消されるだけなのかもしれない。しかし、そうやって、「諫言」は無意味であり、逃走も不可能であり、とするなら、どうして、島田さんは、宗教という「組織」「共同体」を、今でも、意味のあるもののように、研究し続けているのか(私が、島田さんを、耐えられないのは、この、楽天主義、だ、と言っていいのかもしれない)。
幕末の志士たちは、たとえ、テロによって、闇討ちにあって命を落すことになっても(実際、ほとんどの、有名な方々は、それで、命を落としている)、「諫言」を最後までやめなかった(島田さんこそ、今だに、麻原のマインド・コントロールから抜けられていないのだろう)。
最後に、少し、自分が、オウムや、宗教について、思うところを書いて終わろう。
オウムの問題は、私には、二種類、あるように思われる。一つは、もちろん、大衆運動、としての側面である。オウム信者という、集団、が起こした事件である。もう一つは、科学、である。
人間が、集団となるとき、共同体としての、人間を考えること。これについては、今までも、いろいろ書いてきたし、いや、ほとんどそのことしか書いてないと言ってもいい。そういう意味で、オウムの若い信者たちが、「集団」で、一般人を、「ポア」し続けるこの一連の事件に、ただただ、恐怖を感じないではいられないのは、まったく変わりません。
しかし、私は、そう簡単に、個として生きる、など言えるのか、とは思う。企業の中においても、さんざん、残業をさせて、くたくたになるまで働かせて、過労死、などと言うが、むしろ、そういう事態になっているのに、そういう相手を、「見ている」、一緒に働いている企業戦士が、そこにいるわけである(こちらは、また、いつか、続きを)。
さて、科学というと、どうしても、戦前の、帝国日本軍、を考えざるをえない。私は、平泉澄の、伝記を読んでいて、どうしても印象的なのは、彼が軍の関係者から、この敗戦濃厚の状況を、一発逆転する、科学兵器が「存在しない」と告げられたときの、反応である。実際、彼は、ここから、敗戦受諾に、肯定的になる。
彼でさえ、あの戦況を、日本軍は、一瞬でひっくり返す、最終兵器が、きっと、開発されると思っていた。実際は、核兵器という「最終兵器」がこの日本の広島と長崎に落とされたのだが。
日本の戦中の、生物化学兵器開発、毒ガス開発、は有名である。核兵器の開発は、日本も行っており、「だれも」が、先に、核兵器を開発した方がこの戦争に勝てるだろう、と話していたという。
こういったことは、たいへんに、示唆的である。私たち、今の時代には、ななか想像がつかない。しかし、当時、絶対的なまでに、科学の力への信仰が強かったのだ。
先に、最終兵器を開発した方が、実際に、あの戦争に勝利した。
だとするなら、もし、日本が、先に最終兵器を開発できていたなら、もしかしたら、フィリップ・K・ディック、や村上龍の小説のように、日本があの戦争に勝利していたかもしれない。
科学とは、言わば、人類の進歩なのではなく、人類のさまざまな権力関係に、再構成を迫るものなのである。新たなテクノロジーが登場するたびに、既存の権力関係が解体され、そのテクノロジーに合わせた、権力地図の塗り替えが起きる。
科学技術が未来をバラ色にするわけではない。科学は、国民への新たなサービス提供のインフラとなりうるが、逆も言える。新たな、人間支配の道具にも、なりうる。
例えば、現在、政府は、国民総背番号制、を推進している。そして、ナイーヴにも、この制度を礼賛する、識者まで、出てくるしまつだ。しかし、そんなことを言うなら、国民の、脳にでも、GPSから監視カメラから、埋めこんで、完全に「管理」なさったら、どうですか。犯罪など、一網打尽、でしょう。
このことは、医学技術にも言える。人間を救えるだけの、生物学的技術があれば、「当然」その、反対への能力も、すさまじい。
つまり、医学技術は、「いくらでも」人間を壊せる。壊すということは、殺す、わけではない。廃人。完全に破壊する前に、薬物によって、強烈な幻覚と快楽を与えると同時に、強烈な再飲欲求を発生させるものを与えれば、当分の間は、それによって、金に困ることはなくなる。高額を払ってでも、やめられない状態にあればあるほど、おいしい金ヅル、というわけだ。
この薬が、神経系にさまざまに影響を与える限り、こういったものが、「芸術家」によって欲されることは、今後も、終わることはないであろう。これは、スポーツにおける、ドーピングと、同値なのだ。しかしもし、薬が、頭をよくする、とかなれば、受験ドーピング、なんてのも出てくるであろう。デスノートのように、自分の寿命を縮めても、自らの信じる価値には変えがたいなら、いや、クスリの影響なんて、深刻に考えるほどじゃないという、あやしい出所の情報にふれればふれるほど、ハードルは低くなる一方であろうし、そもそも、非合法ほど、闇市場で「もうかる」ものはない。人間を支配するなど、どうも「簡単」なようだ。
こういった科学技術信仰に、警鐘を鳴らしたのが、橘孝三郎であり、権藤成卿、だったのであろう。彼らは、この、科学技術そのものに、警鐘を鳴らした。その意味を、今、どれだけの人が理解するであろう。
日本の文明開化が、イギリスによる中国へのアヘン戦争からであったことは、象徴的である。言ってみれば、日本は「今」でも、アヘン戦争をやっているのだ。
いずれにしろ、平泉史学はそういう意味では、透徹していた。彼の日本史研究は、人間の歴史がずっと、「主人と奴隷」の関係であったこと、を、確実に理解していたわけで、その認識がブレることはなかったわけだ。戦後の、日本のこの自由社会は、言わば、仮の姿。冷戦体制が、ひととき見させてくれた、架空の秩序、架空の曖昧さでしかない。いずれ、君主という絶対者の他は、ただただ、奴隷(臣民)という時代が、この先の未来においても、また、さまざまな、新しいテクノロジーによって、人類のほとんどの歴史を覆う。そういう確信があったのだろう。
それもただ、歴史の審判を待つしかないということなのだろう...。

中沢新一批判、あるいは宗教的テロリズムについて

中沢新一批判、あるいは宗教的テロリズムについて