高野悦子『二十歳の原点ノート』

最近は、60年代の、学生運動ブーム、のようである。本屋では、新刊で、のきなみ、当時の「英雄」たちが、当時の、学生運動とは「なんだった」のか、と、定年間近かの、お偉い先生がたが、人生の先輩の、ありがたいお言葉を、生き生き、当時の「英雄列伝」を語る語る。その、かまびすしいこと。
しかし、ね。
わたしは、そういう、今では、たいへん、お偉くなられた、大学者になられました、おっさん、おばさんの、たいへんありがたい、お説教を、頭を垂れて、聞きながら、こう思うのです。
たしかに、ごもっとも、その通りで、ありゃんすね。そーですね。
でも、それって、「半分」じゃないですかね。真実の、半分の側面を言ってるだけじゃないですかね。
もちろん、その、残りの半分とは、この「ノート」である。
この、本は、ある一定以上の人は、ほとんど知っている、というものなのかもしれない。1975年頃、ベストセラーとなる。
三冊に分かれた、著者が、中学校から、大学3年、まで、つけていた、日記のノートが、書籍化されたものである。著者は、大学3年、のとき、鉄道自殺により、亡くなる。
後書きとして、両親のコメントがあるように、これは、生前、著者が、「発表を前提に」記述していたものではない。私は、ご両親は、このノートの公開を認めるべきでなかったと思う。しかし、両親には、両親のその後の人生があった。彼女と親しかった、友達、兄弟。彼らの「十字架」が、この発表で、少しでも軽くなるなら、どうして、その道を選べたであろう。生きることは、そんなに簡単なことではないのだ。
著者はさかんにこのノートでも、自分を、ファザコン、と揶揄している。しかし、この後書きの、父親、の分析のなんと、無関心、なこと。両親は、さかんに、娘が「こんな」であったことに、びっくりしている、との記述をしているが、そういうことは親の書くことじゃない。親は、常に、娘のことはなんでも知っているという顔をしているものであろう。結局、この両親は、彼女以外に子供もいたわけですし、まったく、今までと変わるわけにもいかない。総括なんて、やれるわけがなかった、ということなのだろう。
彼女は、関西の田舎の三流大学であったが、確かに、学生運動に関わった。しかし、読んでもらえばわかるように、まったく、中心人物ではない。それどころか、お祭り的に時々、衝突するデモにおいて、突然現れる、ぽっと出、である。
もちろん、彼女も、戦っているときは、真剣であるが、そうでない日々は、ただの、堕落した、どこにでもいる、勉強を「しない」、大学生、である。
しかし、最初から、そうであった、というのは逆である。逆に、最初に、のめりこみすぎる。部落研に誘われ、大学の最初の一年を、かなりディープにすごす。当時の学生運動の雰囲気を考えると、しょうがないようにも思えるが、いずれにしろ、そういった活動への勧誘は今でもあるし、自分の考えもまとまらないで、そういう勧誘にすぐにのってしまうというのは、彼女の、昔からの、やさしい傾向や、正義感だったのだろう。彼女はいつもそうなのだが、むしろ、自ら決めて、辞めるとき、激しく自分の「弱さ」を攻めるんですね。積極的に辞める理由はないけど、自分は辞める。そしてそれを相手は、軽蔑的な態度をとる。彼女を嘲笑する。そのことに、どうしても、こだわらずにいられない。最後まで、自分を攻めずにいられない。

しかし彼らには仲間が、同志がいる。血みどろな自己との闘争を行なって得た連帯感で結ばれている。友がいるということは羨ましい。でも私は自己を曲げてまで友を求めようとは思わない。しょせん人間は独りなのである。今の私は行きずりの話を交わして過ぎて行く人が唯一の友である。
(1969年3月11日)

みごとに失恋----?
アッハッハッハッ。君。失恋とは恋を失うと書くのだぜ。失うべき恋を君は、そのなんかいう奴との間にもっていたとでもいうのか。共有するものがなにもないのに恋だって? 全くこっけいさ。君は昨日もいってたじゃないか。「何もない空間で、車輪を急回転に空回りさせただけだ」ってね。君はそのなんとかいうやつを愛していたって? 君、そんなふうに愛ちう言葉を使ってもらっては困るネェ。君はそのなんとかというやつを愛そうとしていただけなのだ。君のエゴは、たえず、そのなんとかいうやつ私有しようとしていた。君はそのエゴをかくそうとして愛していたなんて言葉を並べただけなのだ。そうさ。君にいま残っているものは憎しみさ。アッハッハッハ。こっけいだねえ。君という人間は全く楽しい人物だ。そんなことを書いて、ひそかに喜びさえ感じているんだから。

暗やみの中で 静かに立っている私
今日はじめて夜の暗さをいとしく感じる
暗い夜は 私のただひとりの友になりました
あたたかく私を つつんでくれます
夜は

己れのエゴを熾烈に燃やすこと!

己れのエゴの岩漿を人間どもにたたきつけ
彼らを焼き殺せ!
彼らに嘲笑の沈黙を与えよ!

ちっぽけな つまらぬ人間が たった独りでいる。
(1969年6月19日)

私は、最後まで読んだが、日記の最後の日、彼女は、完全に自殺を決めていないと思うんですね(ちょっと、いろいろ意見があるところだと思いますが)。私には、そう読める。彼女は、何度も失恋し、つらかったが、まだ、生きようとしていた。
しかし、ちょうど、昨日買おうと思って買った、「睡眠薬」を、かなり簡単な気持ちで、大量に飲んでいることを匂わす記述で、このノートは終わる。そして、その何日か後、自殺する。
つまり、そうなんですね。
ちょっと前にも書きましたが、ここにも、「科学文明」の、影があるわけです。
本当に、近代科学は、必要なのでしょうか。
商業主義で、多くの車が売られ、商業主義で、多くの薬が売られ。
大学とは、今でもそうだが、「無意味」な場所である。あそこは、生徒に、授業料を払わせ、子供から、荒稼ぎをする場所である。えらそうに「真理を教えてやる」といって、小銭をかき集める場所。
彼女は、大学2年のとき、酒の席で、ある大学生に、半レイプされる。うぶなおぼこの二十歳前のヴァージンと、自らを自称する彼女が、である。

そんな部屋の中で、ベッドに入るのに信頼していいかとプレーボーイ氏に聞くなんて、全くの子供。それがもうすぐ20歳になる女がしたことなんだ。
(1968年12月17日)

彼女は、そのとき位から、完全に、自分の「価値」を絶対的に考えなくなる(もちろん、そのことを決定的にショックであったとは日記でも書かない。しかし、その相手と、「完全」な絶交を貫徹する)。精神的に不安定な部分を日記にも書きだし、半分、自殺ごっこのようなことをやったことを、日記にも書くようになる。
私は、全共闘は、完全な、「欺瞞」だと思う。彼らは、女性を必要とした。それは、彼らの活動が、男尊女卑なものであるこというレッテルをはられないようにするために、必要であったにすぎない(そのことは、現代の、日本の会社、でも同じだ)。
そのことを、この日記を通して、日本の女性たちは学び、それ以来、日本に、学生運動は「なくなる」。
日本のその後の、女性たちは、この日記を読み、彼女と、「正反対」の生き方を選ぶ。政治を「徹底的に」シカトし、幼い段階で、好きでもない(しかし、金をまきあげられる)男とつきあい、自分がさみしい「からこそ」当然の要求として、男を次々と求め、結婚し、幸せに「なる」。
しかし、変わったのは、この男社会に、順応した「つもり」になってる、彼女たち、のナイーヴな「殻」くらい、ということなのか。一体、ほかの、「なに」が変わったというのか...。

二十歳の原点ノート [新装版] 十四歳から十七歳の日記

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