高野さんという、自分が生まれる前に、亡くなっている、女性の、日記を読むという体験は、なんとも言えない、「異様」さがあった。
ネットで検索してみると、いろいろな記述があり、興味深かった。感動した、というのが、あたりさわりのない反応だが、ようするに、この哲学的「熱情」には、ちょっとついていけない、というのが正直なところか。
そうなんですけどね。
この前、ちょっと仕事の用事があり、京都の町を歩いていたとき、なんとも言えない、「めまい」、のような感情が、自分の中に、あふれてきたのです。
京都の町は、実に、狭い。
京都は、アメリカ軍も、爆弾を落としていないんじゃないだろうか(そういうところは、東京と全然違いますね)。京都は、驚くべきほど、その町並みを変えない。少し、裏道に入ると、何十年もそのままのような、木造の家々が続く。
高野さんの日記は、ほとんど、日常生活の記述がない。たまに、彼女が、通った場所の名前が、ポツン、ポツンと、むきだしに、現れるくらい。
三条、から、四条、烏丸通り、に、河原町
何月何日。彼女は、「確かに」、この道を通って、そのとき、彼女は、たしか、こんなことを考えていて、それを日記に書いていて、そういえば、...。
...。
「厖大な」日記の記述が次々と自分の頭の中に甦り、めまい、にも似た感情が、途切れることなく、あふれてくる。
なんとも言えない、不思議な感覚。
彼女の、この日記の特徴を一言で言うなら、「どこにでもいる」女性の、かなり、喜劇的な、日々の生活と、そのギャップを際立たせる、最後の、悲劇なのだろう。
彼女が、もし生きているなら、こういった日記にあるような、政治への関心から、詩、への関心から、まったく、の「お笑い」、なのであろう。
日本においては、政治からなにから、学問を考えるのは、旧帝国大学や、早慶くらい、でてないと、その「資格」がない。
宮台さんなんか、露骨に、エリート絶対主義(いや、彼の本音は、「酒屋の子は酒屋」と初期の本で書いてあるから、最後は、階級主義なのだろう。教養ある両親の子供は、さすが言うことが違いますね)。
世間に物申せるようになりたかったら、せめて、いい小学校、いい中学校、いい高校、いい大学、くらい入っててくれませんかね。
学問のことは、我々、有名大学の「エリート」にまかせてくれませんかね。なにが「真理」かは、こっちで決めますんで、せいぜい、おつむの足りない、「落ちこぼれ」は、我々の決めた「真理」の、暗記でも、がんばってやっててください。
そういう人たちにとって、「大衆」とは、自分たちの知識で、金をまきあげる、「愚かでバカな金づる」でしかないのだろう(国は、教育費さえ、もってーねー。じゃー、ゆとり教育っしょ)。しょせん、身分違いもわきまえず、政治や哲学や詩を語る、こういった、私たちのような愚民は、一言「かわいそうな便所の落書き」。
そうですか。
そーですねー。
すみませんねー。
確かに、彼女の読書歴は、当時の学生の、典型的なパターンと言っていい。そして、最後は、ランボーに、中原中也に、太宰治、そして、金子光晴
笑うなら、笑えばいいさ。