フロンティア「万里の長城の秘密」

NHK の番組。現在の、万里の長城は、明の時代にできている。
みなさんは、ここまでの建築物が、人類によってつくられたことを、どのように思うだろうか。当時、北方は、モンゴルの襲撃を受け、略奪、侵略に悩まされていた。
考えれば、中国の歴史は、ずっと、日本を含めた、周辺諸国の襲撃、に悩まされ続けてきた、と言えなくもない。
しかし、この、「人類最大の」建築物が、一体、どのように作られたのかは、多くのことを想像させる。
中国が長い間、権力を誇る朝廷が続いてきたことには、どこかにこの、万里の長城、の思想があったのではないかと思われるのである。
そもそも、どのような思想から、これだけの建築物が生まれたのであろう。
それが、天才軍師・戚継光(せきけいこう)であった。
その、主要部分が作成されるのに、7年足らず、だったという。
興味深いのは、これは、軍事オペレーションとして作成されていることだ。つまり、「軍隊」が作成したということ。もちろん、実際は、「傭兵」。というか、地元の農民を訓練しただけなのだが。
番組で、興味深く描かれていたが、戚継光は、彼ら「傭兵」に、給与を払うのは当然として、後には、彼らの家族を、この土木作業を行う近くの村に呼び寄せ、一緒に暮すことを許したのだそうだ。つまり、もし、たんに「国」の事業を行う、奴隷、や、戦士、が必要なら、彼ら、労働者の家族や親族など、なんの関係もないであろう(実際、日本軍の末期は、各家族の大事な働き手を、赤紙で、どこだかわからない場所に、ひっぱっていっただけだった)。すると、なにが起こるか。現場の人間たちの、主体性が変わるのだ。実際、食料不足に悩まされたそうだが、彼ら労働者の中で、近くにあった、あんずの木を、増やし、しのいだ記録もある、という。
作成途中の段階であるが、戚継光は、モンゴルの襲撃を受けたとき、(万里の長城を利用して)返り討ちにした、ケースもあったという。しかし、これは、「これ以上の建築は不要ではないか」という疑いを権力者に生む。それだけ、この建築にお金がかかっていた、ということなのだろう。結局、この万里の長城は、戚継光のパージもあり、未完成のまま、今に至る。
実際の、明の滅亡は、自滅に近いもので、国内の権力争いの果てに消滅していくに近い。言ってみれば、万里の長城、の外にある、これによって「守られていた」はずの、満州族によって、滅ぼされ、清が誕生する。
しかし、いずれにしろ、万里の長城の建築が、「侵略」とまったく反対の、防衛的な思想に裏付けられていたのは、興味深い。そして、さらに重要なのは、この建築に従事した人たちが、さまざまに自分たちを記録していることである。つまり、彼ら現場の建築に関わった労働者には、この事業に、主体的に「誇り」をもって関わっていた、という意識があったことを意味するのではないか。
私には、日本軍によって、さかんに宣伝された、「しかたない侵略」というイデオロギーの、欺瞞を考えてしまう。
国を守るとは、どういうことだったか。日本軍がやるべきこととは、むしろ、「万里の長城を建築すること」、だったのではないか。私はどうかしているのだろう。