歌とは何か

BUMP OF CHICKEN については、なんども、とりあげてきた。
彼らにとって、歌とはなんだ、と定義しているだろう。こんなことが、ちょっと気になってきた。
そういう、きっかけとなった曲が、これ、だろう。

ようやく聞こえた やっと気付いた 泪を乾かすチカラ
当たり前の事に気付いた 自分自身知らなかった自分自身
落としたモノ 失くした類 探す道を歩ける勇気
僕の中の情熱のランプ 今にもマッチは芯に触れる
(「ランプ」)

この歌詞に、不思議な感じを受けた、若い人も、(恐らく)多いのではないか。
自分の中にいる「自分」。
自分が気付かなかった「自分」。それは、自分自身? 彼は、自分の挫折、絶望、に立ち向かうための、「勇気」を、「もう一人」の自分、と描く。なぜなら、絶望に沈む自分自身には、そうとでも思わなければ、想像できない「存在」なのだから。
結局のところ、「ランプ」とは、だれなのか?
いや。
そう問うてはいけないんです。
「ランプ」とは「ランプ」なんです。この曲そのものなんです。

本当はスターになりたい君が
怯えながら唄うその歌は

一番君を解っていて
何度も君を守ってきた
どんなとんがった雨からも

さぁ!まわりを見てごらん
最初に君が立つべき舞台はすぐ近くに
(「彼女と星の椅子」)

歌は、たんなる歌なのではない。歌は、あなたに、問いかけてくるのです。「他者」なのです。
そして、あなたは、とまどうのです。
この、個人的な体験に。
まったくの、他の人には、関係のない、この「自分」の体験。
しかし、そこから、出発するしかない。
そのことは、私たちを、戸惑わせます。
いったい、誰、に話しかけているのか? いったい、だれが聞いてくれるのだろう。
自分の声は、届くのだろうか。そんな奇跡が起こると考えるなど、あまりにも、傲慢で、だいそれた、おそれおおいことじゃないでしょうか。

あなたが花なら沢山のそれらと
変わりないのかもしれない
そこからひとつを選んだ
僕だけに歌える唄がある
あなただけに聴こえる唄がある
(「花の名」)

そんな、「あなた」への、ひとときの、まぼろし...。いや、それは奇跡。ただただ、いいしれぬ、感情が自分をみたしているのに気づく。そうですね。私たちは、また、いつもの、日常に戻っていくのですね。
夢から覚めてゆく。そうなのかもしれません。
...なにげなく、口をつく。そんな、独り言。

唇から 零れ落ちた ラララ
ほんの少しだけ 大気を揺らした ラララ
とても 小さな声 唯一人が聴いた唄 ラララ
(「才悩人応援歌」)

それは、歌、なのでしょうか?
そうでしょうよ。立派な応援歌にきまってますよ。だって、ほかならぬ、あなた「が」聞いているのですから。