神保哲生『民主党が約束する99の政策で日本はどう変わるか?』

自民のビック・ネームは、小選挙で負けておきながら、かたっぱしから、比例で、受かってますね。
ようするに、自民党は、野党になっても、「保守派」という看板は、降ろせないだろう。
麻生さんの、ねらいとは、そこだったのだろう。比例の順番にこそ、麻生の、クーデターがあったのだろう。麻生が、最後までこだわったのは、「自分が首相を降ろされないための戦いであった」ということなのだ。もし、自分が引きずり降ろされ、人権派なり、小泉チルドレンが、トップになっていたら、この、比例区の順番には、ならなかっただろう。そうすれば、麻生フレンドたちを、比例のトップに並べて救うことはできなかったであろう。
しかし、前の選挙の勝利のコアは、小泉チルドレン、だったではないか。だとするなら、ここが自民党の中心にならずに、次の選挙を戦うというのは、なんなんですかね。
前の選挙で国民に評価してもらった、「自民党」は、国民の皆さまを裏切って、私たち、麻生フレンド、が、ぶっ潰させてもらいました。国民の皆さまが、その前回の投票によって、実現してもらいたいと託した、その思い、は、私たち、麻生フレンド、によるクーデターによって、一個も、実現させませんでした。私たちこそが、「新生自民党」、ですよー。
すごいね。
自民党は、この選挙の直前、やたらとカラーで「キレー」な、民主党ネガティブ・キャンペーンの広告を、ポストに放り込んでいましたね。
しかし、そこに書いてあることは、日教組、国旗、...。
本当に。
本当に。
本当に。
麻生フレンドは、終わってるな。
なんで、こんなことを言うの?
それは、選挙に「勝つ」政党が言うことであろう。
こんなこと、国民に、なんの関係もないではないか。
なんなんだ、この、「マスタベーション政党」は。
なんで、こんな政党を、国民が選ぶと思っているの?
日教組、国旗。いいでしょう。でも、今は、「最後のお願い」の場面ですよね? 最後の最後に、あなたが「国民」に自分を選んで下さい、と頭を下げるときに、「何言ってるの?」でしょう。
見事な、KY。
自民党は、死ぬまで、ネガキャン、なんでしょーね。
自民党は、完全な「ラウド・マイノリティ」に支配された政党だったのでしょう。つまり、今でも、街宣車で完全な「公害」そのものである、拡声器で、国民の耳に「苦痛」を与え続けることになんの、痛痒も感じない、自分たちのマスタベーションのためなら(「国益」のために)、国民が苦しみ続けることは、トーゼン、と考える、「右翼」団体、と彼らと、仲良しの保守論壇の先生がたに、完全に支配されているのでしょう。
少なくとも、麻生フレンドによるクーデターの状態の、自民党が、二大政党制の、片割れは、役不足なんでしょうね。
テレ朝の討論番組ですが、それにしても、田原総一朗は、「たぬき」ですね。安倍元総理を、討論の最初に呼んで話していたわけだ。
実は、民主党の方こそ、ウルトラ「保守」の巣窟、と言ってもいいような一部の、連中は、みじんとも変わらない。
自民党は、消費税を増税できなかった。自民党は、民主党に、消費税を上げさせるために、一時的に、撤退することは、戦略的な規定路線だったのだろう。
はっきり言おう。民主党は、もう一つの、自民党、でしかない。だから、福田元首相は、大連立を画策した。当然であろう。鳩山も小沢も、元自民党。しかし、民主党は、たんに、自民党と同じことをし続けるなら、次の選挙で、今回の自民党のような、徹底した、反発をくらうであろう。
たとえば、高速道路の無料化、は、今の地方の惨状をみれば、当然であろう。国民は、地方に行きたくても、行けないのだ。なぜなら、ただ、地方に行きたいだけなのに、厖大なお金をむしりとられるのだから。これでは、国民のみなさんは、地方に行ってはならないという、江戸時代と変わらないではないか。地方を活性化させるには、地方に国民から、世界中の人から、来てもらうしかない。そのために、なんの機会を逃す手があるの。
さて、掲題の本ですが、田原総一朗は、番組で、民主党に勝たせすぎ、というようなことを言っていた。彼は、この本を読んでいなかったのであろう。
まず読んで、恐るべき衝撃は、
民主党がこれから何をやるのか
の、まず筆頭に書いてあることが、この「幼稚園から大学」の、
学校
に、子供たちをどう受けいれるかの、完全な、
革命
だということである。

子育て支援社会保障政策であると同時に、フェアネス政策でもある。裕福な家庭で生まれるか、貧乏な家庭で生まれるかを、子ども自身は選択できない。しかし、どんな家庭に生まれようと、少なくとも同じスタートラインに並べるようにするところまでは政府の責任である、と考えるのがフェアネス政策の基本だ。

量的な拡大の根底には、本人が希望しているにもかわらず、経済的な理由から学業の機会を奪われる子どもを一人も出すべきではないという考え方がある。民主党の政策の柱の一つを成す「フェアネス」に基づく「機会均等」の実践だ。

学校こそ、我々、戦中から戦後に続く、国民の、「青春」そのもの、である。
学校。
みんな、気づいているのである。どうして、あの子は、進学をあきらめたのか。どうして、「一緒に」勉強できなかったのだろう...。
日本人は、一生、そのことに、深く心に傷をもつ存在なんだと思います。いや、どうなのでしょう。日本人は、もし、この問題さえ、解決できるなら、ほかのことは、「どうでもいい」くらいに思っているのではないでしょうか。
大学の学生運動も、突き詰めれば、このことしか、言ってませんよね。みんな、わかってるわけです。
子供の教育。これ以外に、この世界に、なにがあるでしょうか。それ以外に、人間の生きる目的なんて、あるのでしょうか。
子供を学校に行かせてあげたい、というのは、「全ての」親の願い、である。彼らは、自分たちの「体験」から、そう思うのである。始めて、義務教育が行われた、明治初頭の話ではないのだ。
始めて、国民は、自分たちが本当に「やりたい」ことを「なによりも、まず」実現しようと、語りかけてくれる相手に出会った。だから、ヴォートしたんじゃないですかね。

民主党が約束する99の政策で日本はどう変わるか?

民主党が約束する99の政策で日本はどう変わるか?