NHK日曜スペシャル「金髪のヨハネス」

SS親衛隊、の長官、ヒムラー、は、アウシュビッツとは、反対の、秘密組織、をつくった。
レーベンスボルン、である。
ナチス、の優生学思想、は、ユダヤ人、の絶滅に限るものではない。
アーリア人」の、繁栄、こそ、その目的。
官僚、という、「機械」。
もし、集団、の動き、を、機械、の比喩で、考えるとき、その機械をコントロールしているつもりの、エリート、たちは、どういった、プラン、を描くであろうか。
徹底して、その目的を、最短距離、で達成する、「合理的」な、ものとなるだろう。
恐しい。
ヒムラー、は、「アーリア人」、を、徹底して、増やすことこそ、ユダヤ人絶滅、と同じくらいに、重要であると考えた。特に、戦争によって、ドイツの男たちが、死んでいく状況においては、そのことは、喫緊の課題であった。
そう考えると、いかに、日本帝国軍、が、こんな当然の問題を「まったく」考えずに、戦端を拡げている「喜劇」を思わせる。まったく、「兵站」を理解しなかった。日本帝国軍。日本の軍隊とは、最初から最後まで、「なんちゃって」だったということなのだろう。やってたことは、延々、帝国陸軍、と帝国海軍、のパワーバランス、の、かけひき、ばっかり。それで、なんかをやってた、つもり、なんでしょうね。こうやって、戦争に「敗れた」後、この「喜劇」をどう考えればいいんでしょうね。
いずれにしろ、ヒムラー、は、「アーリア人」、を、増やそうと考えた。
そして、まず、やったことは、親衛隊SS、に、「アーリア人」、の子供を、少しでも多く産むことを求めた、わけだ。
しかし、この話は、きな臭い。
そこが、レーベンスボルン、が、アウシュビッッツ、と同じように、秘密組織、である所以である。
ヒムラーは、婚外子、を大いに奨励したのだ。
ですから、レーベンスボルン、は、直接には、SS親衛隊、の、婚外子、を育てる施設だったということ、だというんだから。特に、ヒムラーは、最も、アーリア人、の特徴、金髪、青い目、白人の肌、こういったものをもつ、ポーランド人、との、婚外子、をたくさん作ることを奨励した。
私、も、ずいぶんと、オブラート、に包んだ表現をするもんですね。
当時、の、ナチスが電撃作戦によって、周辺国、をことごとく占領していっていた、時代。ついには、あのフランスまでが、降伏する。
こんな状況での、ドイツ人を、世界がどう見ていたか、など、言わなくても、分かるであろう。かなり、強引な、性行為を、そういった力関係を背景に、忍従したケースも多々あったのだろう。
SS親衛隊、の、暴力、性欲のはけ口、として、どれだけの、ポーランド人が使われたか。婚外子などと言うが、場合によっては、レイプで産まれた子供と、どこまで違うといいきれるのか。
世界中、こんな話ばっかりですね。
日本帝国陸軍、の、南京事件、を「レイプ・オブ・南京」と映画化したら、この日本では、「放映禁止」ですか。しかし、こんなことは、「世界中」どこでも、起きている。
ナチスが負けた後の、ロシア軍の、暴虐は有名だが、日本も、「鬼畜米英」、にこういう目に遭わされると、ぎりぎりまで、抵抗した、というわけだ。オシムの故郷の、旧ユーゴスラビア、が、悲惨な内戦を行い、どれだけの、悲惨な結果の果てとして、今があるか(アフリカの、現在の悲惨は、言うまでもないですね)。
ただ、人間の生殖は、一つの、弱点をもっている。
確実、に時間がかかる、ことだ。子供が、母親から産まれるには、少なくとも、10ヶ月はかかる。
しかし、ナチス、の戦争は、そんなに悠長にかまえていられるるわけのないほど、どんどん、戦局は拡大する。
そこで、ヒムラー、はどう考えたか。もう、背に腹は変えられない、ということだ。ヨーロッパ中を探り、「アーリア人」の特徴のある、子供を、かたっぱしから、その外国人の母親から、さらって来て、「アーリア人」として、育てればいい、と考えた、というわけだ。年端の行かない子供なら、自分を「ドイツ人」だと思って育てられるであろう。結局、ヒムラーにとって、アーリア人、の特徴、とされる、金髪、青い目、白人の肌。これらさえ、みたす存在なら、本当は、だれだってよかったのだ。ちゃんと、ガキの頃に、ドイツ人だって、洗脳できれば、もう「ドイツ人」なんですからね。
ソフィーの選択、という映画について、前に紹介した記憶があるが、こう考えると、美しいユダヤ人女性を、陰でかくまい、その非常に幼い子供を、「アーリア人」として、ナチスが育てようとしていた、ということも、あながち、ないことではなかったのかもしれない)。
しかし、なんとも、はや。
この、ヒムラー・ハーレム。
一体、成功、と言えるような、しろものなのか...。
そんなはず、ないだろ。
それは、掲題の番組の、ヨハネス・ドリガーさんのように、戦後、レーベンスボルンの子供たちが、今でも、「苦しみ続けている」ことが、証明している。彼が自分のその出生の秘密を知り、母親を探し初めたとき、すでに、一年前に母親は、他界していた。
この事態を生み出したものは、なんであろう。官僚ではないのか。エリートたちではないのか。優等生が、自分の出世、自分の保身のためにやったことではないのか。なぜ、自己利益をあらゆる悪徳にかえても、手放さない官僚。こんな連中を、「エリート」として、あがめためまつることを、強要されなければならないのか。
しかし、そんなことは、彼にとっては、なんの関係もないことなのだ。
彼は、もう少し早く気付けていたら、と、その、後悔、にうちひしがれる。しかし、彼は、たんに絶望するだけではなかった。
彼の母親は、彼をナチスにとりあげられ、育てられることに、最後まで、抗議の文書を、ナチスに送りつけ、抵抗していたことを知る。
そんな、彼でさえ、もうそんな親の世代なのである。子供もいるような、成人も後半にさしかかる年齢なのである。
歴史を過去のものにする、この時間の流れは、ただただ、残酷に過ぎ去る...。