藤原辰史『ナチス・ドイツの有機農業』

私たちは、どうも、環境問題、と聞くと、なにか、人生を豊かにしてくれる、生き物「本来」の姿に、立ち帰らせてくれる、そんな、なんとなく、心を、温かくしてくれる、そういうふうにイメージしがちだ。
それは、高校の、理科の選択科目の、生物が、どこか、文系の人に、選択されがちだったことと、共通するのかもしれない。
自然は、都会と対比され、本来、我々が、いつか「帰る」場所、とイメージされる。
しかし、これは、(昔、私もここで、「デューン砂の惑星」に関連して書いたように)そんな、感情をどうこう、考えさせるものでは「ない」、と考えた方がいい。どちらかと言うと、「工学的な」イメージこそ、ふさわしい。人間が、この自然と直面している場面で、どんなアクションを自然に働きかけるか。徹底して、そういう問題なんだ、と。
同じようなことは、掲題の本を読んでいても考えた。

フランスの哲学者リュック・フェリは、その著書『エコロジーの新秩序----樹木、動物、人間』のなかで、この「自然保護法」と「ディープ・エコロジー運動」との類似性、親和性を見いだしている。ディープ・エコロジーとは、1973年、ノルウェーの哲学者アンネ・ネスが「浅い(シャロー)エコロジー運動と長期的視野を持つ深いエコロジー運動」という論文で提唱したエコロジー運動の新しい世界観である。この運動は、緑の党から自然保護運動に至るまで世界のエコロジーの潮流を牽引する役割をいまも果たしている。「浅いエコロジー」は、もっぱら「『発展』を遂げた国に住む人々の健康と物質的豊かさの向上・維持」ばかりに力点を置き、「人間中心主義」を脱しきれていない。一方で、「深いエコロジー」は、「人間」のかわりに「生命」を中心に据える。

このディープ・エコロジーとナチズムとの類似性を、リュック・フェリは、「帝国自然保護法」の「文化的なものと自然的なものの混同」という点にみている。

例えば、エコロジストのウィリアム・エイキンは、地球の環境にとって最適な人口を推定し、現人口の90%の「除去」を公言している。

確かに、ディープ・エコロジー、そのものは、たいへん興味深いと言えないこともない。しかし、なんなのだろう。
いや、むしろ、これが、エコロジストという「優等生」たちの、真の姿、と考えた方がいいのだ。別に、彼らは、好きで、悪魔に魂を売る、のではない。人間の「理性」に導かれ、それ以外の答えがありえない、と思わざるをえない、という「結論」に導かれて、なんですね。彼らは、そのような認識を共有してこない連中を、徹底して考えようとしない、不純な「日和見主義者」と思わずにはいられない。(それは、新左翼の頃の議論から、構造は同じであって、)言わば、人間の「理性」とは、本来、どういうものなのか、そういう、これは、昔からの問題だとも言える。そういった思考こそが、この、北極の氷が、あらかた、溶けて、なくなろうとしている、この時代にこそ、まさに、エコロジカルな言説において、目立つようになってきた、ということなのだろう。
さて、有機農業、というと一般には、いいことだらけ、の、エコロジー・ファッション、と思われ、今じゃ、猫も杓子も、エコ、ですよ、というわけ。
ですか。
しかし、よくよく、考えてみよう。農業、とは何か。ビジネス、である。そうであるなら、ビジネス・モデル、の確立が、なによりも重要であろう。ちゃんと、軌道に乗らなければ、なにものでも「ない」に等しい、のである。
農業がなぜ、それなりの期間、「成功」するのか。それは、化学肥料、によって、リン酸、窒素、などを、「定量的」に、与えることによって、定量的な大きさの、「製品」の生産に成功するから、だ。
実は、このことこそが、世界の政治システムの全てを決定してきた、と言えないこともない(いや、どうして、言えないことなどあろう)。あの、ロシア、が共産革命に成功し、コルホーズを実現できたのは、なんのことはない。「トラクター」という、第二次産業の成果によってであった。ロシアの人々は、この出現によって、この選択の合理性の中で、ロシア革命を受け止めたことを忘れてはならない。
しかし、有機農業、となると、これは難しい。堆肥を土に与えるには、充分に発酵させ、「腐らせる」ことが必要である。非常に手間もかかるし、農家にとって多くの時間を取られる作業である。また、中途半端なものを土にまけば、逆に毒にもなるわけで、リスクも大きい。
しかし、逆説的だが、それでも、有機農業、は必要、なのだ。それは、どういう意味か。
大地を、人工的に管理しているつもりになっていても、そんなことは人間には、「不可能」だから、だ。土は痩せ、そのうち、まったく生物の存在しえないような、ボロボロの土地になってしまう。「自然」に帰すことが、重要になる(そういう意味で、ダーウィンが、晩年、「ミミズ」、の研究をライフ・ワークとしたのは、象徴的である。ミミズ、という、この生物によって、人間が「何もしなくても」、自然は、ずっと、この大地を耕されてきた。ミミズこそ、最も「優秀な」トラクター、と言える)。
逆に言えば、昔の野菜は、今の化学肥料と農薬まみれにして、モンスター化された野菜より、ずっと、多くの栄養価が高かったと言われますね(そういう視点を計測されて売られている、八百屋を今だ、見たことはない、が)。
それでも、この、有機野菜、という、エコ、な感じに、どこかしら、神秘の魅力を感じてやまない人も多いであろう。
もともと、有機農業、とは、あの、人智学の、ルドルフ・シュタイナー、が提唱した、DB農法、を起源とする、と言われる。シュタイナー、は、独得の、占星術、を使って、この農法を、ドイツ、オーストリア、の農民に布教をしていた。人によっては、意外に思うであろう。なぜ、農民たちが、シュタイナーの神秘主義を、傾聴していたのか。しかしこれは、不思議でもなんでもない。彼らこそ、種を撒く時期などを、占星術、などの「伝統」的な慣習を使ってきていた、むしろ、シュタイナーの、ネタ元みたいな関係なのだから(私たちは、近代科学を自明とする、現代農業従事者、をイメージしすぎるのだ。農業とは、本来そういうものではない)。
シュタイナー、については、あの、ナチス・ドイツ、においても、多くの隠れ信者がいた、と言われている。しかし、公式には、ナチスも、シュタイナー、を「非科学的」という理由で、弾圧した。しかし、これらの、隠れファンの存在は、なんとも、しようのないもので、ナチスの農業政策に対し、多くの影響を、BD農法、は与える、ことになる。
多くの人は、現代をなにか、「新しい」時代のように思っている、ものである。なにか、毎日、新しいことが初まっている、時代の最先端にいる。しかし、現代の、我々が直面していたようなことの、たいていは、実は、戦前において、「起きている」のである。その中でも、ナチス・ドイツは、その福祉政策といい、現代となんら変わらないくらいに、「ほとんど今」、起きている課題に直面し取り組んでいた国家と言えるであろう(そのことについては、ちょっと、以前書きました)。彼らが悩んでいることの、なんと、私たち、そのものであること(それは、ある程度、日本の明治初頭、までにも言えるであろう)。
例えば、ナチの初期を代表する、食料・農業大臣、の、ダレー、(後に、政権半ばで、パージされ、戦後、戦犯を免れる)、は、次のように言う。

ユダヤ人は永遠に生きる。それは決して「選ばれし民」だからではない。最高級の一貫性と強固さをもって、ユダヤ人の民族性をユダヤ人の種の法則および生命法則に服従させているからだ。ユダヤ人の種の法則は、健康で種の異なる人種に吸い付く寄生虫根性であり、吸い尽した民族からまた別の健康な民族へと漂う漂流本能である。すなわち、ユダヤ人の法則は、あらゆる非ユダヤ民族をみずからに従わせ、それによってこの世界の支配権を得るという、抑制しがたい支配欲なのだ。/ ユダヤ人たちがその民族性をその諸法則およびその民族性の生命諸法則に服従させつづけてきたのと同じ一貫性と強固さをわれわれがもち、われわれの生存任務とわれわれの種の生命諸法則に、すなわち、われわれのゲルマン的民族性に、みずからを従わせたときにはじめて、われわれドイツ人は、ユダヤ人に打ち勝つであろう。/ 我が民族の諸法則は、栄誉と祖国。/ 我が民族の生命諸法則は、次の言葉にまとめられる。すなわち、血と土。/ 血と土は、われわれの運命だ。/ 血と栄誉は、われわれの法則だ。

ハイデガーが、存在、と言うとき、それは、こういう、ドイツの土地の空間、を意識しているわけで、ユダヤ的世界感覚と、対立的に把握しようという意志が、よく分かるであろう。それは、この有機農業を構成する、畑、とその周りを構成する、「森」の生態系全体を、意識している、となる。
私たちが、ナイーブに、「森」、や自然ということを語るとき、つくづく、気をつけた方がいい。
私たちの「言葉」は、「あなたの」言葉、ではない。
それは、歴史的に「使われてきた」言葉なのであって、そのメッセージは、(どんなに自分の意図は別でも)別の解釈を強いられる。
しかし、どうですか、ね。ドイツ、の森の、「どこに」自然が残っているんですか、ね。あんな西欧の、完全に「人工的に」管理されてしまった、木々。あれの、どこが、「森」なんですかね。
我々は、アウシュビッツの「実体」にふれたことがない。しかし、こと、今回の議論の文脈においても、非常に「重要な」事実がそこにある。

ナチスによる、「無駄なくせ闘争」、の、スローガンに対する、特徴の、]第二に、表現が非常におおげさであること。「有害生物」、「宿敵」、「破壊者」、「防御せよ」という表現は、当然、一般的にいって暑さ、霜、害虫などには使用されない。そこには、主婦に闘争心をかき立てようとするバッケやショルツ = クリンクたちの意図がある。しかし、それよりも重要なのは、この文体が、ユダヤ人攻撃のプロパガンダの文体とほとんど変わらないことである。文体だけではない。実は、ヒムラーたちは、倉庫の害虫対策のために、I・G・ファルベン傘下のデゲッシュ社によって開発されていたツィクロンBをそのままユダヤ人ガス殺の道具に転用してしまうのである。

アウシュビッツなどの秘密組織が、有機農業を行う、労働施設、と世間に見せていた、(つまり、ユダヤ人虐殺の隠れ蓑として有機農業を使っていた)話は有名である。この本では、実際に、虐殺されたユダヤ人の、肉体(多くは、その人骨)が、有機農業の「肥料」として使われていた(と思われる)実態も紹介されている。
ヒムラーなどの、ナチス・エリートにとって、彼らの求道してきた、認識の行きつく先において、「不要な」害虫と、「不要な」人間(ユダヤ人)は、認識においてだけでなく、その処遇の仕方においてさえ、一致する、区別されない、そういう徹底した所にまで、到達していた、ということなのだろう(つまり、その「不要」ということに対してさえ、この「ディープ・エコロジー」は、その位置付けを与える、というわけである)。
労働は自由にする(アルバイト・マハト・フライ)。
有名な、アウシュビッツなどの、強制収容所、の入口の門に書かれてあった、言葉。もってくる所が違えば、普通に話されている、そんな格言である。しかし、こと、この場所においての、この言葉の意味は、非常に、重大である。
まったく、違ってくる。
(しかし、こういうものこそ、言葉、の性質だと言えなくもないのだろう。)これからも、何度も、何度も、こういう、言葉の、「デコンストラクション」に、直面し、我々は、混乱を繰り返していくのであろう(今までも、そうだったように)。