佐々木俊尚『2011年 新聞・テレビ消滅』

センター試験に、岩井克人がでたそうで。)
今週の、videonews.com でのこの話題

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は、なかなか、おもしろかったし、刺激を受けた。
(神保さんと宮台さんのかけ合いは、かれこれ、何年になるんだろう。神保さんのジャーナリスト的時事「これどうよ」に、宮台さんのちょっと危険な香りのする、不規則発言(こういうのこそ、漫才と呼ぶべき)。よくやっているな、とは思うけど、神保さんのノブリス・オブリージュというのか、エリートなりのフェアネスの姿勢が、この長期に渡る、動画配信を持続させているんだとは思う。今後は分からないが。)
ひとまず、掲題の本である。
著者はまず、日本の草創期からの、テレビや新聞や雑誌、こういったものが、想定してきた「マス(大衆)」というものが、実際には、なくなってきていることを、最近のネットの状況から指摘する。
さらにそのことは、以下のかなり刺激的な発言から、傍証される。

「テレビは人々が積極的に見たいと強い欲望を持って見るものではなくただ何となく流れているもの、無音の環境がいやだからという程度の理由でつけている人々が多いのではないでしょうか。『一億総白痴化』『テレビはバカが見るものだ』と言われてきましたが、私はテレビを『バカが見るものではなく人がバカになりたいときに見るもの』だと思います。あまり一生懸命でいたくないときに必要なのだテレビで、そういった人間の気分がなくならない限りテレビは存在します。したがって深い意味の無い、人々の記憶や心に残らない番組を作ることこそが『テレビ屋』としての誇りだと思います。心に残るものを作ろうとするならテレビではなく映画を作ればいい。人間には抜きたい気分のときがあって、そのときにきちんとしたサービスを提供することが地上波テレビの役割なのではないでしょうか」
驚くべきことに田代氏は、テレビは馬鹿しか見ない(あるいは馬鹿になったときいか見ない)というのを自ら認めてしまっているのである。つまりはテレビはもうすでにマスメディアではなく、馬鹿しか(あるいは馬鹿になったときしか)見ない「バカメディア」であることを追認していうのだ。かつてすぐれたドラマの数々を世に送り出し、人々を感動させたTBSの現役幹部の発言とは思えない。

つまり、テレビを実際は、ほとんどの人が見ていない、と言っているわけだ。もうみんなネットを見ている。なぜなら、「マス(全員)」向けのコンテンツなど、ありえないからだ。そうなると、昔のような、みんなが見てるから、自分も見ないと、時代に乗り遅れる、というのはなくなる。そうなったら、なぜ、わざわざ見なければいけないのか。理由がないから見ない。逆に言えば、理由がないけども見る場合とは、理由なんてもの、くそくらえ、と思っているとき、つまり、馬鹿な気分になりたいとき、ということになるだろうか。
しかし、こんな状況で、一体どういった、広告が集まるのだろうか。実際に、民放各社が、軒並み赤字だったことは、確かだ。
著者の主張の大きい部分がここにあることは確かであろう。マスメディアに、広告収入が入らなくなる。そういったときに、今の図体を維持できるのだろうか。
ここから、著者は、確実に、なにかが変わるんだ、と。
もちろん、これが、たんなる、リーマンショックによる不況によるわけでない、ことは言うまでもない。

しかし申し訳ないが、このとらえ方も「ノー」だ。間違っている。新聞・テレビを取り巻いているのは、圧倒的な構造不況なのだ。

著者は、では、今後、どういった形態を辿るか、について、以下のモデルの説明から入る。

グーグルの及川卓也は、これを「コンテンツ」「コンテナ」「コンベヤ」という三つの層(レイヤー)に分けて説明している。コンテンツは記事そのものでコンテナはそれらの記事を運ぶ容器、そしてコンベヤは容器のコンテナを配達してくれるシステムだ。

ようするに、今までの、マスメディアは、この三つの「垂直統合」だった、と。だから、うまみが、すごかった。今の、マスメディア(特に、テレビ関係者)の高額給料は、ここに原因がある。実際、この三つの「垂直統合」が今でも維持されている分野の、大企業は、高額給料なんだ、ということだった。
コンベヤはいいだろう。全部、ネットになるって話だ。問題は、コンテナである。新聞や書籍は、アマゾン社の キンドル、でしたっけ。こういうのになるだろう。音楽は、iTunes ですか。アメリカは、これに独占されてる状況のようだ(アメリカでのスポティファイやマイスペースの音楽サービスは、ダウンロードさえ無用にするそうだ。日本でも、こういったサービスが普及するのかもしれない)。
では、日本において、日本の大手のマスコミが、こういったプラットフォームの「囲い込み」に成功するのかどうか、という問題がある。それについては、著者は否定的である。なぜなら、彼ら社員の高額給料が、こういったベンチャー企業を立ち上げる「機動性」に劣るから、ということらしい。

二〇〇八年秋に宮崎シーガイヤで開かれたIT系ベンチャー企業のイベント「インフィニティ・ベンチャーズ・サミット(IVS)」で基調講演を務めたシリコンバレー検索エンジン企業、マハロの創設者ジェイソン・カラカニス氏は、
「一九九〇年代と比較すると今ではベンチャーはゼロに近いコストで運営できるようになった」
と説明し、それを「ゼロコストスタートアップ」と呼んだ。そしてこんな比較表を壇上のスクリーンに表示して見せた。

  • サーバー 九〇年代は二十五万ドルが必要 --> クラウドコンピューティングで低コスト化
  • オフィス 二十五万ドル --> バーチャルオフィス化なら賃貸料が要らない
  • ソフトウェア 百万ドル --> オープンソースなら無料
  • 広告 二十五万ドル --> グーグル広告を利用する
  • PR 十八万ドル --> ソーシャルメディアで宣伝しよう
  • 人材募集 二十万ドル --> クレイズリストやSNSで探せばすむ
  • 効果測定 五万ドル --> グーグルのサービスを利用する

ベンチャーなら、大企業は社員に高額給料を、払ってる間に、あっという間に、安い給料の人間でチームを作って、さっさと、インフラを作っちゃう、ということなのだろう(まあ、日本がどうなるか、は、これからでしょう)。
さてでは、やっと、本題だ。いずれにしろ、今まで、マスメディアが担ってきたものはあるわけだ。それが無くなっては、消費者へのサービスが減退する。よって、それは、別の何かが担うことになるはずだ。では、それはどういうものか。今までのメディアが担ってきたもの、とは:

  • 一次情報を取材してくる
  • その情報の評価を行って世論を喚起する
  • 調査報道によって権力を監視する

この中では、問題は「一次情報の取材」であろう。ここは、どう考えても、今の、ネットが行ってないことだ。よって、通信社だけの機能をもつ、メディアに縮小する...。いずれにしろ、今の図体は維持できなそうではある(ですから、コンテンツ産業が無くなる、とか、そういう話ではないんですね。そういったものは、今の映画のような形態で、成立していけばいいんで、上記のような、垂直統合コングロマリットの維持が、だんだん難しくなっていくだろう、ということなのでしょう)。
次に、今のネットの状況から、どういったイノベーションによって、その機能は、より、補完的になっていくか。まず、現在のネットを分類して:

  • 1.パーソナルメディア ラブレターや自分用のメモ書き、あるいは周囲の友人しか読まないような身辺雑記のブログなど、少人数で共有される情報
  • 2.ミドルメディア 特定の企業や業界、特定の分野、特定の趣味の人たちなど、数千人から数十万人の規模の特定層に向けて発信される情報
  • 3.マスメディア テレビや新聞など数百万人から数千万人に発信される情報

ようするに、この、ミドルメディア、をうまく、今のマスメディア並みに、有用な情報に整理・取捨選択してくれた、ポータルサイトこそ、今後の課題ということらしかった。どうやって、そういった「自分たちの需要をかなえてくれる」ポータルサイトが誕生してくるか。
こういう目標が語られるということは、いずれにしろ、この目標をかなえてくれるような、サービスの追求が始まる、ということだ。なんにせよ、今のネットメディアは、厖大な情報が、あふれすぎている。それらを、うまくハンドルして、コンパクトに「だれか」まとめてくれよ。
私がちょっと気になったのは、このネットでの多くの発信を、上記の意味で「編集」されなければならない、という、その感覚についてだった。昔大手メディアにいた人たちの側が、自社でされていたような、記事のより分け。たしかに、こういったものがあれば便利であろう。まあ、実際、今でも、ブックマークランキングのようなものによって、整理されている。もっと見易い整理もある。
つまり、気になったのは、ようするに、コンテンツ作成側が、こういったところで扱われたかったら、その「要望」に協力的な、コンテンツの編集に協力しろ、ってことなのかな、と思ったということだ。なるべく、有用な情報単位で、一つのコンテンツとして、切り出しておいておくれ、というような。まあ、そうなってなければ、扱いにくいので、無視する、など。
そういった流れで、videonews.com の方では、もっぱら、twitter の話題だった。今、twitter を見られるといいと思う。多くの有名人が、かなり、価値のある発言を、どんどん、ここで行われている。
当然、こういうことは再販制度ともからんでくる。再販制度があるということは、その分に余計、消費者は、お金を払っていることになるわけだ。これも、規制緩和の話なのだろう。ちなみに、自分で、本を作るのは、今でも簡単という話もあった(ISBN 番号って、簡単に取得できるんだそうですね)。

2011年新聞・テレビ消滅 (文春新書)

2011年新聞・テレビ消滅 (文春新書)