ステレオポニー「青春に、その涙が必要だ!」

ステレオポニーといえば、テレビアニメ「DARKER THAN BLACK」の、オープニングの「ツキアカリのミチシルベ」が印象的だった。
DTB の HP に行くと、ネットラジオ、というのがあって、声優さんたちが、各回の話題をいろいろ話している。そこでも、OP をよく聞いていた、という話でもりあがっていた。
DTB については、私は、ある種の比喩なんだと思って見ていた。こういう詩的な設定のアニメというのは、非常に増えているように思う。やはり、ネットのウィキペディアなどで、かなり裏の設定をまとめてくれる人がでてきるので、そういうものを前提で見るようになることも、状況を変えているのか、とは思う。
契約者を、その特殊な能力やその対価の面から考えることは、生産的でないと思った。ようするに、彼らを特徴づけているものとは、その「ためらわないで人を殺す」面なのだと思う。それこそが、彼らを特徴付けており、それゆえに、「強い」のだ。
そう考えると、私は、彼らが、終戦前の日本の戦争の姿を思わせる。そこでは、必ずしも、兵隊だけが、人を殺したわけではない。みんな貧しかったわけで、さまざまな争いがあったはずだ。
だから、この世界というのは、その戦前の姿と、現代がオーバーラップされているのかな、と思って見たりしていた。
では、ドールとはなんなのだろう。外伝では、銀(イン)が、かなり、おしゃべりだそうなので(ネットラジオで言ってた)、機会があれば、見ながら考えてみましょうかね。第三部は、ほぼ間違いなくあるのだろう。最終回で、黒(ヘイ)が、銀(イン)を殺したのは間違いなさそうだが(ネットラジオでも言ってた)、じゃあ、第三部では、銀(イン)はいないのかどうか、これも、外伝をみないとよくわかんないのか。あと、黒イン、白イン、ってのも今だによく分かってない。
さて、「ツキアカリのミチシルベ」という歌ですが、なんというか、これから、未来に、自分が一体、どうなっていってしまうのか、という不安な気持ちをもちながら、タイトルにあるように、「月の明りに、自分の向かう、道しるべ、となってほしい」、という願いを込める。
しかし、彼女は他方で、こんなふうにも言う。

何があっても
何があっても
信じてたいから
あの日の遠い記憶 呼び覚ますから
忘れないでね 胸に刻みつけ
答えは自分の中に
必ずあるものだから
あきらめないで
強く生きることをやめないで

ツキアカリのミチシルベ(初回生産限定盤)(DVD付)

ツキアカリのミチシルベ(初回生産限定盤)(DVD付)

私の以前に書いた、「月の思想」に、まるで、対応するかのように、月と自分の心、の「姿」は、シンクロするんですね。
いずれにしろ、この歌は、ちょっと、(アニメの展開と対応してだが)未来への不安を投影した、ブルーだけど強くいよう、という、深刻な曲であった。それで、まあ、ファースト・アルバムを聞いてみると、たしかに、そういう感じのしないでもない、その予兆を感じさせるものもあるのだが、どちらかと言うと、子供っぽい、ストレートな歌詞ばっかりと言っていい(こんなことでもなければ、私が絶対聞かないだろうな、といった感じ。でも、ウィキペディアのガールズバンドを見ると、ほとんど知らない。ちょっとその反省も込めて)。
しかし、それが、若者なんじゃないか、とも思った。

時々 落ち込んで 時々 悩んじゃったって
楽しめたなら それが 最高じゃん!

胸の高鳴り 抑えきれないから
真っ直ぐなコトバで
打ち明けてみたいんだ

乾いた身体を 癒してゆく為に
その笑顔が 僕には必要だ
クヤシクって 堪えた
嬉しくって 叫んだ
青春に、その涙が必要だ!

若者は、無知、である。
彼らが知らないことを、「責める」大人が多すぎるのではないか、とは思う。
就職でもそうである。もっと大人が、親身になって、彼らの人間を理解しようとしてやるべきなのではないだろうか。
大人たちが、自分のことで、手一杯なことは分かる。
しかし、いつの時代でも、大人たちは、若者たちを温かく、手を差し伸ばし続けてきたのではないだろうか。

ハイド.ランジアが咲いている

ハイド.ランジアが咲いている