福岡政行『公務員ムダ論』

著者は、公務員を「すべてなくせばいい」と言っているわけではない。著者が問題にしているのは、「なぜ、これだけ税収が落ち込んでいるのに、公務員の給料が、低く抑えられないのか」、であり、「なぜ、公務員の給料が、一般の市民、より、確実に高いのか」、という、しごく当然の疑問から、来ている。

公務員給与を適切に決定するための基礎資料を得ることを目的として、毎年、都道府県、政令指定都市等の人事委員会と共同で「職種別民間給与実態調査」を実施し、公務と類似の仕事をしている従業員について、その給与の実態を把握している。

それでは、「民間準拠」とはどのようになっているのだろうか。さらに、調べてみる。次のような一文があった。

調査対象事業所は、企業規模50人以上で、かつ、事業所規模50人以上の全国民間事業所のうち、農林業及び一部のサービス業等を除いた5万2458事業所である。

この文に見られるように、調査概要は企業規模50人以上のものである。2007年の資料によると、100人以上であり、実態を反映していないとしての批判を受けて、50人以上で行った。しかしそれでも民間サラリーマンの厳しい現状を正しく把握するものではない。
中小零細企業で企業規模5人以下の労働者は800万人、30人以下の労働者は900万人で、全労働者の約三割の1700万人であることを考えれば、まだ不十分だ。50人以下の企業の従業員は、自営・商工業主や家族従業者や第一次産業の農業関係者を含めれば、3000万人近い数字となる。全労働者の半数近い数字である。民間サラリーマンの平均給与429万円が、実態を正しく反映している数字であることは当然である。

こんなものではすまない。退職金からなにから、公務員には、さまざまな「サービス」が付きまくり、である。なんてったって、国の税収の半分を、はるかに越える金額が、公務員の給料に消えていくのだ。私たちは、どうやら、公務員の方たちに、貢ぐために、日々をあくせく働く、公務員の「下僕」だったようだ。
しかし、こういう言い方は、おかしい、とも思わなくもない。なぜなら、私たちは、公務員が存在しなければならない、と認めているのだから。こうやって、認めておいて、今さら、「不況になったんで、あなたたちの給料、ちょっと下げさせてもらっても、いいですかね」って、おそらく、彼らは、あらゆる、手練手管を使って、それを妨害してくるであろう。
この事態は、ちょっと前に書いた、「国家の無限拡大性」に似ている。国家は、そのポテンシャルとして、その領土をどこまでも、広げていこう、という欲望をもっている。隙あらば、他国を侵略し、自分の領土を広げることを、求めずにいられない。そして、この衝動は、「地球上のすべての、大地が、その国家のものになるまで、終わらない」(しかし、この場合に大事なのは、そもそも、その国家が生まれた最初から、まわりには「別の国家」があった、ということなのだが...)。
同じように、公務員の給料も、決して、高止まりすることはない。どこまでも、彼らは、つり上げていく。見た目上、給付額を下げようと、無理である。そうなったら、別で、さまざまな自分たち用のサービスを、こっそり予算計上してくる。そして、この運動は終わることはない。
だとしたら、どうしたらいいのだろう。
もちろん、一つしかない。
ダウンサイジング。
ダウンサイジングの考えは以下です。一回やったことは、もし、もう一度、やらなければならないなら、それぞれのフェーズで、なにが問題になるかを、予想できるはずです。であるなら、最初から、それに対応した、準備を盛り込んだ、タスクの配分ができるはずです。もし、そういった作業を怠れば、一回目と同じだけの苦労を繰り返すことになるでしょう。やっている人には、充実感はあっても、「なんの進歩もしていない」ことになります。
しかし、ここで注意がいるのは、同じことをやると言っても、今回は今回なりの、新しい事態が考えられる、ということです。今回、独自の問題をあらかじめ、もりこんでおくことを怠り、無理に前回と同じように振舞えば、逆に、前回以上に苦労する可能性もある。
いずれにしろ、あらゆることは、この方法によって、全分野の、ダウンサイジングが実現されることになります。どんどん、お金は少くすむようになり、人は少なくてすむ。
もう一つ、重要な視点があります。それは、この繰り返しが、たんに、その場面に閉じない、ことです。他の現場で、イノベーションの革新があって、こういったことより、はるかに有効な方法が開発されるかもしれません。そういった場合に、その新しい手法を取り入れるかどうか、の判断が生まれます。
たとえば、以下の例で考えてみましょう。小説「スカイ・クロラシリーズ」、のある登場人物の学者は、自分の命を投げ出して、地球を守るわけですね。もし彼らに、それだけの重大な仕事をしてもらいたいのなら、それなりの「給料」を払うことが必要です。そして、ちゃんとそれを「義務」にするのです。その代わり、ほとんど、その学者がやらなくてすむようなことは、別途に、作業を「仕分け」させて、パッケージで、だれか別の人にさせればいい。その人には、頼むから、地球平和のこと「だけ」をがんばってもらう。だって、それ以外のことをされて、こっちが疎かにされたら、かなわないでしょう。ちゃんと、その人には、その人の仕事に対応した、給料を払う。余計な雑用の給料は「払わない」ということなんですね。こういう人が、給料が少なくて、不満に思うのは、どんぶり勘定で、「この仕事はお前に任せる」、ってやるから、その人が一人で「囲い込んで」、なんでもやることになる。もちろん、事業の最初のステップでは、そういう「英雄」的な行為は、必要かもしれませんが。事業は常にダウンサイジングしていく。その人の仕事がこれくらいで、それの対価はこれだよ、とちゃんと仕分ければ、不満もでてこなくなる、というわけです。
(問題は、給料が少ないことではない。どの作業が、いくら、になっているのかが、クリアでないからなんですね。)
では、現代のこの、デフレ社会において(デフレの評価はともかく)、人々は、この少ない収入を、どのように考えればいいのか。日本中が、さまざまに、ダウンサイジングされるということは、あらゆることを行うのに、お金がかからなくなる、ということです。つまり、目指すは、「なにもかもが無料(ただ)に近くなる社会」だということです。そうすれば、収入が少なくても、人々は苦にしなくなります。
(昔は、腐りそうなものは、すぐに食べられなかったら、干物などの保存食に加工しておいて、食糧の少ない時期にとっておいた。現代は、スーパーで売れなかったら、廃棄。こんなんで、いいのか。ですね。なにもかもを、無駄にしない社会にすればいい。そうすれば、ほとんど、生産物なんていらない。使い回せばいい。)
ところが、ここには、やっかいなモンスターがいます。
税金です。
だって、国による、サービスをやめるわけにはいかないだろー。
しかし、そうでしょうかね。
町内会、って、公務員によって構成されていましたっけ。回覧板、まわして、とか。むしろ、面倒なトラブルとか、一番やっかいな部分を、最初から、こういった、地元のボランタリーな組織に、押し付けておいて、それで、なんのサービスなんですかね。最初から、国によるサービスなんて、サービスなどと言うほどのものなんでしょうかね。
問題は、それほどの、政府機構を、その地域が必要としているかどうか、です。それだけの、たいそうなものをもっていることが、「あらゆる優先事項を考慮しても」割に合うのかどうか。人によっては、セキュリティ論から、危険思想のテロリストが、クーデターを起こしたら、どうするのか、と言うかもしれません。しかし、そういったことが起きるとしても、それは、起こす側にも、メリットが必要でしょう。それなりに、合理的でなかったら、やらないでしょう。また、たとえ、そういうことが、あらゆる困難を乗り越えて、実行されたとしても、人々は、逃げればいい、とも言えるわけです。こっちの方が、少ないコストで実現できるなら、すべてが終わった後、どちらに余力が残っているか、で、その手法が、どこまで、成功と言えるものかの判断とされるでしょう。
道路(農道)を作るのも、その、町内会で、必要かどうかを話し合ってもらって、やりかたを考えればいい。業者に頼む方が、みんな忙しいし、きっちりしたものが必要だったら、そうやればいい。でも、とりあえず、車や自転車が通れればいい、なら、どうせ、仕事もしないで、年金で食べている老人がいっぱいいるんだから、彼らが家から出てきて、コンクリやアスファルトの敷き詰めをやれば、その分、人件費が浮く。問題は、この程度で、いいかどうか、を現場に判断させればいい、ということ。
最近、リフォームの民放テレビ番組を見ていたら、大きな旧家を、完全暖房の家にしていた。
まあ、なんということでしょう、
じゃねーよ。
子供は風の子だろ。ちょっとくらいの、すきま風、へっちゃらだよ。そもそも、たんに、幼稚園や保育所が必要なだけなら、なんで、旧家のリフォームなのよ。金かかって、しょうがないでしょう。まるで、あらゆる、幼稚園から保育所から、全部これだけの設備をもってなきゃ「子供がかわいそう」と言わんばかりじゃないか(子供は親にお金がなかったとしても、それを理解する知性はあるんですから。彼らに考えさせればいいんじゃねーの)。
しかし、人によっては、こんなことを言うだろう。そんなことを言っても、過疎村のようなところでは、お金をもっている人がいないんだから、国が税金でインフラを作ってやるしかないじゃないか。発想が逆なのである。周辺の村々は、その辺りの村がお金がなく大変なことぐらい、近くにあるんだから、分かっているわけでしょう。だったら、自然に、その村を助けなきゃ、って話をするようになるわけでしょう。そうしたら、周辺の村々で、「連合して」お金を出し合って助けてやればいいんです。当然でしょう。
でも、そうはいっても、お金がなくて困ってる人や、ある人に、みんなでなんとか夢を実現させてやりたいときって、あるじゃないか。
そういう場合は、もう、これしかない。名付けて、
かなめも」方式
だ。テレビ版アニメ「かなめも」の最終回で、かな、は、3千円くらいのかわいいピンクの日記帳が欲しかった。でも、両親もいないし、なんとか、新聞配達の少ない収入で糊口をしのいでいる彼女には、どうしても手が出せない。
それを知った、新聞配達所、の、みんながどうしたか。
みんなで、彼女に、かたっぱしから、雑用を押し付けて、その、それぞれの分の仕事に見合う価値の小銭を、みんなで一つの貯金箱に入れておいて、3千円たまったら、彼女に、特別ボーナスの臨時給与にして、あげちゃう。
いーじゃねーかね。彼女、そんなに忙しいわけでもなかったみたいだし。