上念司『デフレと円高の何が「悪」か』

カツマーのデフレ論は、民主党政権の政策ともからんで、ネット上で、さかんに話されているようだ。別に、その議論に、さおさしたいわけではない。興味もないし、まったく、議論を追っているなんて言えるレベルでもない(そんな私の議論ですので、不十分ありまくりでしょうが、いつだって個人的なまとめ。そんな感想、知らない)。
池田信夫さんのサイトを見ると、去年と今年は、カツマー害悪論で埋め尽されている、という印象だろうか。
そもそも、反デフレ派は、なぜ、デフレが問題だと考えているのか。

しかし、断言しますが、「良いデフレ」というものはありません。なぜなら、デフレというのはモノの値段が下がるという現象に付随して、様々なデメリットを同時に発生させるからです。最大の問題は失業です。他にも住宅ローン破綻が増える、企業の倒産が増える、といった問題もあります。

一部の人が価格下落の恩恵を受け、多くの人が失業や倒産によって人生を狂わせる、それがデフレの真実です。

ようするに、著者の考えでは、デフレによって、富者はさらに肥え太るが、貧者はさらに、貧困を極める、と言いたいようです。
デフレとて、たんなる現象でしょう。その現象の良い悪いを論議することの意味とはなんなのか。たしかに、デフレもインフレも激しくない、中間の状態、小春日和の毎日が続いてくれた方が、各個人は、自身の人生設計を立てやすいであろう。しかし、日本は、バブル以降、10年以上、デフレだった。それが政策の問題かどうかなどという話は、各個人にとって、なんの意味があるだろうか。どっちだろうと、そういう不安定な状況で、貧者も、賢く、振る舞っていくしかないことには変わらないわけだ。
住宅ローンの支払いにしても、最初から、住宅など、買わなければいい(そんな夢を見るな)。企業なんて起こさなければいい。つまり、借金をしなければいい。えんえん、貯金し続ければいい。もう、何も買わない。徹底した、節約生活だ。もちろん、日本中がそんなことになれば、デフレスパイラルだ(金持ちは、一目散に日本から逃げるだろう)。しかし、そうやって、デフレのときに、金を使えば使うほど、お金持ち連中に、バカ扱いされ、蔑まれていくというんだ。知ったことか。
この辺りの、反デフレ派批判の、基本的な考えとしては、池田信夫さんのサイトでは、白川総裁にふれた記事が、分かりやすい。

現在のようなゼロ金利状態では、日銀にできることは限られており、需要が冷え込んでいるとき通貨をいくら供給しても、インフレが起こるはずがない。根本的な対策は、日本経済が長期的に成長するという期待を高めるしかない。その対策として白川氏があげたのは、次の3点だった:

  • 経済活動を自由に行えるようにする規制改革
  • 人材や資金が動きやすくする労働・資本市場の改革
  • 構造調整を支援するセーフティネットの整備

こうした改革は、すべて実体経済の効率を上げる政策で、日銀の役割はその調整コストを減らす側面支援である。グローバル時代には、過剰な金融緩和はキャリー取引を誘発し、アメリカの住宅バブルの一因になった。いま新興国でそういう状況が起き始め、「金融緩和はやめてくれ」といわれている----と白川氏は語っていた。
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なるほど、と思わなくはない。たしかに、上記の三つは、正論だ。そもそも、この辺りの変化のない、今のままの、好景気って、そんなに、たいしたものか、とも言ってみたくもなる。
しかし、私が言いたいのは、こういった正論ではない。政治は、もっと違ったモチベーションをもった運動だと思う、ということだ。

日銀の白川方明総裁は3日都内で講演し、「国債という借金の実質的な価値を目減りさせるためインフレ的な政策を採れば、さまざまな問題が起こる」と指摘。その上で「そうしたことは中央銀行は決して行わない」と強調した。また「長い目でみた物価の安定、経済発展のために金融政策を運営していくことについて、国民・海外投資家から信認を得ることが大事だ」と述べた。
2010年度予算編成をめぐり、税収不足を補うための赤字国債の増発が懸念されている。また日銀は先月30日に11年度まで3年連続の物価下落見通しを公表した。このため日銀にとって、長期国債の買い入れ、デフレ対策などを求められる可能性が高まっているが、同総裁が早くもけん制した格好だ。
(2009年11月3日 時事ドットコム

今から80年前、昭和恐慌から日本を救うという大義名分の下、大蔵省と日銀は立場を超えて協力しました。私たちの偉大な先輩たちが草葉の陰でこの白川発言を聞いたら、さぞかし肩を落とすでしょう。
実はこの発言が、私と勝間さんが一緒に始めた反デフレ運動のキッカケのひとつなのです。
この章の結びに、国家戦略室のマーケットアイミーティングで提出した資料の一部を引用したいと思います。

インフレ率と失業率のバランスは、高度の政治的判断であって、政治家にしか判断できない。政治の究極目的は、「苦しんでいる人の苦しみを最小にすること」

デフレを放置することは、もっとも弱い立場にいる、失業者、とりわけ、若者と女性を追い詰める。だから、デフレを放置しないという目標は政治判断で決めるばき(金融政策における「政治主導」)

ただし、白川日銀総裁は、歴代の日銀総裁の中でも群を抜く碩学なので、目標を達成するための技術的な方法は日銀に任せた方が良い(「中央銀行の独立性」)

目標を政治で設定した上で、高度の技術官僚たる日銀に対しては目標を達成することに対する説明責任を要求する(中央銀行の「説明責任」(アカウンタビリティ))

こうやって見ると分かりやすい。反デフレ派の主張は、一点で、デフレは貧者にこそ、悲惨な結果をもたらすのだから、これに対する判断は、当然、政治がやるんだ、ということ、ですね。上記の白川総裁の、キャリー規制がどうのこうの、とは、上記の、アカウンタビリティに対応して、単純に、日本国内の貧者だけの都合では、考えられないんだ、という、国民への説得にあたるでしょう(日本国内の貧者 vs 世界中の貧者、ですか)。
まあ、最近の、いつもの、パターンを繰り返しているようにも思いますね。ナショナリズムに対して、開発拠点の国外流出による、貧困国の貧困層の相対的富裕化、を対置して、最後に、日本の相対的貧困率、をどう考えるか、で議論が煮詰る、って感じでしょうか。
どっちにしろ、はっきりしていることは、どうも、政府だか日銀だか、の施策に、我々は「延々」と振り回されなければならない、ということのようだ(英雄だか、悪漢だか、そんなこと、庶民になんの関係があるんですかね)。
掲題の本には、ちょっと、おもしろい議論がある。

「国際貿易のトリレンマ」とは、以下の3項目のうち、どれか2つを達成すると、残り1つは絶対に達成できなくなるという法則のことです。

  • 固定相場制(金本位制
  • 資本移動の自由(外国への投資、または外国から自国への投資の自由)
  • 金融政策の自由(自由に通貨を発行したり、吸収したりすること)

では、なぜ、戦前、世界中の国々が、金本位制を、やめたか。

第一次大戦が始まると、各国は軍隊への財政支出を増やさなければなりません。そのため、一時的に金本位制から離脱し、紙幣をたくさん発行して武器や弾薬を調達するようになります。

上記の三つは、おもしろい。なぜ、これほどまでに、現代の世界の金融は不安定なのか。いつまで、こんなものに付き合わなければならないのか(言いたいことは、お分かりですね)。
こうやって、「ばかな」金融政策を繰り返す国は、どんどん滅びの道へ向かい、「賢い」金融政策を行っている限りは、とりあえず、命脈をつなげる(富者にとって?)。いずれにしろ、現代という、政府=日銀「英雄」時代が続く、ということに関しては、反リフレ派、反リフレ派批判派、両方とも共通した見解ということらしい。

デフレと円高の何が「悪」か (光文社新書)

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