70年代の浜田省吾のソロでの最初のアルバムであるが、あらためて聞いてみると、いろいろなことを考えさせられる。
私は、どこかに、日本というのは、本当に、戦後、「裕福」になったことがあるのだろうか、といった、素朴な疑問を感じなくもない。たとえば、もし、裕福というものが一度でもあったとするなら、それは、バブル、の時であろう。
しかし、あれは、一種の、「ネズミ講」ですから、バブルがはじければ、より「深刻になって」元の状態に戻る。しかし、そのバブル以降、日本の経済は、一部の企業を除いて、完全に貧しくなってしまった。
大事なことは、その「相対性にある」。
日本は、一見、金持ちの国ということになっている。しかしそれは、相対的物価の上昇を引き起す。ということは、どういうことか。相対的に国内の貧困層の生活は、日本以外の世界の国々の相対的な貧困層以上に、家計にやりくりが難しくなっている、ことを意味する。食糧や家賃や交通費や日常用品。そういった、どんな生き方を選ぶにも、必要なはずの、インフラが、相対的に、何十倍にも、他国より高い。
このことの、もたらす、事態は、自明である。
相対的に貧しい人たちにとって、日本以外で生きる、そういった、相対的に貧しい人たちに比べても、はるかに、生きることが大変である、可能性がある(そして、それは逆も真なのだ。日本における、相対的な金持ちは、圧倒的に、他の国の、相対的に金持ちより、ずっと、裕福な生活をしている。そういう「階級」にとって、日本はまさに、パラダイスだ。そして、その結果として、より深刻な問題として、そういった金持ちが貧乏人への共感の難しさが、他国に比べ、より拡大している、とは言えばいだろうか)。
よく言われるように、日本は、先進国の中でも、非常に「貧しい人が多い」。ほんとうに、少しのお金のやりくりで、日々を生きている人たちが多い。それは、世界の、欧米の先進国と呼ばれている国々の人たちと比べても、ちょっと考えさせられる事態と言っていいのではないだろうか。
なぜ、そうなのか、などという、やぼ、なことを言うつもりはない。
750cc高速とばしてマッポに追いまわされ
夢見た気儘な生活もただのままごと
親父の望みはひたすらひとり息子の出世だけ
二年でインチキ学校勝手に退めちまい
今はバイトでデパートの荷物運び
昨日いきなり「明日からもう来なくてもいい」だと
日本のさまざまな、サブカルチャーを、さまざまに、エンゲージし、再導入してきたものこそ、「地方カルチャー」だったのではないだろうか。多くのフォーク歌手が、日本中の末端から上京してきて、表現されたわけだが、それらは、どこか、あかぬけない、田舎っぽい、いもっぽさがあったが、一言で言えば、「どこか変わっていた」。
そして、その差異は、なにか、物事の別の側面を、照射するかのように、その、エネルギーに満ちたメッセージが、人々を、はっ、とさせる。
いや、違う。むしろ、「なぜ、そんなに主張しているのか」。この、あらゆることが、ワンパターンで、入試のチャート式のように、どれかの、型に分類され、なにも、新しいことのなくなった、この「成熟社会」、都会の「達観」悟性社会で、人々は、なぜ、そんなに情熱的なのか、なぜ、そんなに大声でメッセージを伝えようとしているのか、その、態度そのものが理解できない。
どこの町でも 聞こえてくるよ
貧しい暮し 精一杯やってみても抜け出せない
そうさ親父も16の時から働いて働いて 働いてきたけど
この世に住む家もなく その日暮しの毎日さ生まれたところを 遠く離れてうたう
この子に いつの日にか光がみえるように浜田省吾「生まれたところを遠く離れて」
生まれたところを遠く離れて
田舎の村で、共同生活をしていた、村日本人は、戦後の工業化の殖産工業で、農作業をやめて、都会に出てきて、工場でのオートメーション作業に日々を費すようになる。「生まれたところを遠く離れて」。自分となんの血縁関係もない、自分となんの縁(えにし)もない人しかいない、この都会に流れ着き、そこで暮らす、日々の生活とは、どのようなものなのだろう。どんな目的をもち、どんな夢をもち、どんな生きがいをもち、彼らは、つっぱしって来たのか。働いても、働いても、どんなに毎日、遅くまで、がんばっても、もらえるお金は、たかが知れている。でも、働く。
一体、その先に、どんな、功徳が、どんな恩寵が待っている、というのか。
浜田省吾の、その後の、アルバムは、すべて、「ラブソング」となる。
愛。
それは、まるで定義されることを拒否するかのように、この都会の片隅で、二人の男女が、お互いの孤独を慰め合う姿を、彼は、定義を拒否し、ただただ、その姿が、これだけが「愛」なのだ、と歌い続ける。
一人ぼっちの、さみしい、その、男と、女は、この都会の片隅で、なんの意味も、なんの理由もなく、ただ、巡り合い、お互いの孤独の傷を舐め合う。その姿を、彼は、一切の説明をせず、自信たっぷりに、ただ「これだけが愛なのだ」と歌う。
- アーティスト: 浜田省吾
- 出版社/メーカー: ソニー・ミュージックレコーズ
- 発売日: 1990/06/21
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