石弘之『火山噴火・動物虐殺・人口爆発』

人間の歴史を、より総合的に考えよう、という傾向が戦後、アカデミズムにおいて、顕著になっている部分がある。

1940年代に入ると、フランスの現代歴史学の研究グループ、「アナール派」が、歴史と環境の関係にも目を向けた。リュシアン・フェーヴルや中世史家マルク・ブロックらが創刊した雑誌『社会経済史年報』を拠点に歴史学を主張した。これに共鳴した歴史学たちが、「アナール派」と呼ばれるようになった。

創設者の一人リュシアン・フェーヴルは1922年に出版した『大地と人類の進化:歴史への地理学的序論』のなかで、「歴史家はすべからく環境や地理の重要性を認識せよ」と呼びかけた。アナール派からは、フェルナン・ブローデル(代表作に『地中海』)、フィリップ・アリエス(『歴史の時間』)、ジャック・ル・ゴフ(『ヨーロッパと中世・近代世界の歴史』)、エマニュエル・ルーロワーラデュリ(『気候の歴史』)らの研究者を排出した。

アナール派の特徴は、狭義の「世界史」にとても収まらない、圧倒的にさまざまな分野を、「駆使」して研究されること、と言っていいのではないだろうか。社会学、人類学、心理学、地理学、...。
その中でも、近年の世界的関心とからんで、注目されているものこそ、「環境歴史学」または「人類歴史学」、こういったものではないだろうか。
そもそも、人間は「いつこの地球上にあらわれたのだろうか」。

人類史の99%以上は、小さな集団で移動しながら狩猟と採集で生活を営んできた。それはまぎれもなく、生態系への影響を最小限に抑えることができる暮らし型だった。当時の自然環境を想像するならば、今日わずかに残る狩猟採集民よりは食料の獲得は楽であったことは間違いない。野生植物の生産性をみると、イスラエルの野生エンマコムギの場合、10アール当たりの収量は280〜450キロにも達し、中世イギリスのコムギの単収に匹敵する。
トウモロコシの野生種であるメキシコのブタモロコシも非常に生産力が高く、三時間半採集するだけで一人が10日間食べられるだけの収穫をあげられたという。こうした野生種の収穫に必要な労力は、栽培種と比べて種まき、除草、そのほかの手入れが無くてすむだけ、はるかに少なくてすんだ。
それでも、旧石器時代の人間の平均寿命は15〜20歳と推定され、きびしい生活だったことは間違いない。さまざまな人口推計があるが、農耕が一部の地域で開始される直前の約一万年前、世界の総人口は400万人を超えることはなかったと考えられる。日本の四国ほどの人口である。

圧倒的期間の間、人類の人口は「今の四国」並みだった。この事実ほど、多くのことを物語ることはないだろう。しかし、
その事実に想像を及ぼすことは、著しく困難だ。
では、現代の人類が「現れる」きっかけと言える事態とはなんなのか。間違いなく、道具や火の使用にこそ求められるべきだろう。

700万年前ごろに東アフリカで誕生した人類が、200万年ほど前まで悩容量がほとんど発達しなかったのは、栄養不足のためと考えられる。その後、急激に悩容量が大きくなっていくのは、火の利用のおかげだとする仮説が有力である。イモなどのでんぷん質や肉類を加熱することによって消化しやすくなり、栄養状態がよくなって悩の発達を促した。

しかし、火は間違いなく、大地を砂漠に変えていっただろう。
地球は、氷河期から温暖化してくる間、間違いなく、もっと緑に覆われた大地であったはずだ。では、なにが、緑を駆逐し、砂漠の大地に変貌させるのか。
さまざまな理由が考えられるだろうが、人間の農作業という「アイデア」そのものが、こういった結果をもたらしている面はないだろうか。人類の人口密集地は、多くは、河川の流域に作られた。しかし、川というのは「氾濫」するものだ。しかし、農作業の普及とともに灌漑をする。ダムをつくる。それによって、川は氾濫しなくなる。しかし、川の氾濫によって、大地に時間とともに、吹き出してくる「塩」を海に洗い流してくれていたと言えなくもない。そう考えると、今の「洪水」のまったくなくなった現代社会は、長期的な「砂漠化」に向かっていると言えないだろうか。

中国で自然林がもともと国土の四分の三を覆っていたと推定される。漢民族は古代から森林や草原を開墾して耕地に変え、食物が安定的に生産されると人口が増える、ということを繰り返してきた。食料生産力は富そのものであり、強力な兵馬を確保して軍事力を強め、その支配力を強めてきた。

あの中国の「4分の3」が森だっただと!!!
うーん。
どう考えたらいいのだろうか。中国は今も大きな川がある。これをうまく使うなら、もう一度、そういった森の大地を蘇生できるのだろうか。いや。もしできたとして、「本当にいつまでも保全されていくだろうか」。また、商魂逞しいDQNが、人の見ていない隙を突いて、かたっぱしから切って、売り払って、小金を作るのではないか。そしてその所業はたとえ一瞬だったとして、どれくらいの時間をかければ元に戻るというのだろう。
本の森も、明治から比べると、最近の方が、木が多いのだそうです。つまり、当時の方が、日本人は自給自足をしていたので、国内の木材を存分に使っていた。でも最近は輸入材が安いから、日本の木材が売れない。だから、「放っておかれている」といったところが正しいんでしょうね。
しかし、問題は、「人間の数」だと言えなくもない。この地球上の人口は、恐しいまでに増え続けている。この増加率が極端に上昇したのが、ここ1世紀の間だ。日本のような先進国にいるとあまり実感がないが、とにかく、世界中では、どんどん人が増えてる。
人が増えると、まず、水と食料が必要になる。しかし上記にも書いたように、農業には長期的なヴィジョンが弱い。土地の砂漠化とギリギリのところでかけひきするしかない。
そもそも、経済活動は、人々がこの地球上を「消費」し尽すのは時間の問題ではないのかという想像から逃れられない。漁師は海に出て、魚を取る。しかし、「だれが取ってもいい」なら、みんな漁師になったらどうなるだろう。みんなが魚を取ったら、いつか一匹もいなくなるのではないだろうか。そうやって、海には、一匹の魚もいなくなる。動物も、売れるってんで、人間はみんな、野生動物を殺して「売る」。そうしたら、「一匹もいなくなる」。ついでに、植物もみんな、燃やしちまえ。
困ったな。
地球上、人間しか生物がいなくなった。
飯食わせろー。メーシ、メーシ、メーシ、メーシ。
じゃあ...、宇宙「人」...。ですかー。

火山噴火・動物虐殺・人口爆発 (歴史新書y)

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