長谷川幸洋『日本国の正体』

日本の政治には、ときどき、「変な」事件が起きる。
一番の典型は、故中川昭一さんの例のよっぱらい会見である。
しかしこれは、よく考えると変である。だって、回りには多くの「官僚」が彼のサポートをしているのだ。こんなことが起きるわけがないではないか。
しかし起きた。
モダスポネスを知っている人なら、これが意味していることは自明だろう。明らかに、「官僚」のなんらかの動機に基づくサボタージュがあったと考える方が自然だ。
同じく、小沢一郎への検察の攻撃に対しての、漆間巌内閣官房副長官がオフレコで「事件は自民党に波及しない」と言ったあのケースも、実に、「変」である(ところが、当時まで、政治を支配してきた、事務次官会議における、副長官の重要性を考えると、むしろ、彼こそが、「検察とツーカーだった張本人」であることが分かってくるのだが)。
さらに、高橋洋一さんの万引事件だ。これも、明らかに、「だれかにはめられた」臭いがプンプンする。
この三つに共通することはなんだろうか。
掲題の著者の見立てによれば、ようするにこの三人、「官僚の権限の縮小」を目指したのだ。
だから、「敵」に狙われた、ということである。
私たちは、お金というものを分かっているようで分かっていない。
お金は、絶対的な権力の源泉である。
南アがいつまでも治安が悪いのも、言ってみれば、国内に「金の成る木」があり、一部の集団が独占しているからだ。大事なことは、お金のあるところに、暴力も「狂気」も「躁鬱」もある、ということだ。
そこから生まれる
ということだ。そういう意味で、この国を支配しているのは「財務省」である。それは、明治から変わらない。日本がいくら軍国主義だったと言っても、財務省が軍備にお金を積まないことには、戦争の一つもできない。
すべてのお金が集中するここ、財務省、こそ日本の国家権力の「全て」と言ってもいいだろう。そんな彼らが、これから目指すものとはなんだろう。
もちろん、「さらなる権力(お金)」の集中である。
この運動が止まることはない。
しかし、この運動。一体、誰が止められるのだろう。
なぜ、そう言うのか。つまり、「そのパワーは圧倒的」だからである。財務省には、日本中のお金が集中する。その権力は絶大である。
もう、「なんでもできちゃう」くらいの権力なのだ。
あらやだ。なんでもできちゃう連中に誰が勝てるかって、愚問でしたね。
誰も勝てるわけがない。
困ったな。どーしよー。どっかの学者みたいに、「しょーがない」光線でも発していますかね。
財務省は強い。パンピーは弱い。ゆえに、パンピー財務省に負ける。
えっと。困ったな。まあ、とにかく、状況を「見る」ことはできるわけですね。弱いものは、見て、分析する。
まず、そんな「権力者」財務省が、この日本の「支配体勢」をより強固にするために目指すところとは、どこになるでしょうか。
当然、より自分が強くなることでしょう。
それはどういうことかと考えれば、言うまでもないでしょう。もっと、彼らの自由裁量になる、お金が増えればいいわけです。
つまり、増税です。
彼らの、あらゆる目標は一点に絞られます。とにかく、一点、「増税」にさえなるなら、「あとはどうなったっていい」。
自分のところにお金が集まれば、いずれはそれを「国民に配る」ことになります。しかし、配るとは「配る」ではありません。断固として、そんなことはありません。官僚のあらゆる「お恵み」は、ヤクザの「あいさつがわり」のようなものです。そもそも、国家とは、ヤクザの抗争に全面勝利を収めた(天下統一をした)暴力集団の意味以上の存在ではありません。
国家の振る舞いは、完全に「ヤクザ」と瓜二つです。当然です。もともと根は同じなのですから。私たちは、いつからか、
「最も強い」を、「最も正しい」
と読み変えます。ヤクザは、ショバ代をかき集めることで、この地域の「治安を維持」します。
実に、今の官僚(警察)に似ていませんか。
とにかく、彼らの権力の源泉は全て、「いかに国家のお金を自分たちに集中させるか」となります。
彼らは、このためなら、「あらゆることをしてくるでしょう」。今、奇妙な現象が起きていますね。民主党以外の野党が、ことごとく、「消費税増税」を今度の、参議院選挙公約にしていますね。
おかしいですね。
多くの識者が指摘しているように、日本の赤字がすごい数字になっている。
ちょっと待てよ。変じゃね?
だって、じゃあ、なんで返さねえんだよ。お前の、国の資産を売って、金の工面をすればいいだろ。海外の援助とかやめたらいいだろ。
しかし、そんなことはしない。むしろ、どんどん資産を「貯める貯める」。内部留保ってやつ? 使わない使わない。なんで、そんなにお金を内部で貯め込むのか。アメリカ国債、外貨を買いまくって、貯めまくる。こんな国、他にいますかね。ここまでして、「赤字で今にも潰れそう」なんだってさ。そう思うんだったら、さっさと、そのお金で借金前払いしたらどーだよ。
ようするに、「厖大にかかる」公務員の給料や年金を「安定的に供給」するには、内部留保が必要ってことらしい。「景気に左右されない」公務員の給与支払いの安定化。自分たち公務員の安定化のためには、国民の「赤字国債による信用の低下」など「大したことじゃない」ですか。
その勢いで、国民「全員」も安定化してもらえないですかねー。
いや逆だ。借金は「増やさねばならない」のだ。
だって、そーしねーと、国民、増税を納得してくれないだろ。国民には、借金がふくれあがって、ものすごい金額になればなるほど、国民は「増税しょうがねーかなー」と思うだろう。最初から、国民誘導の釣り糸なのだ。
すべては「増税」のために(すべてはチームのために、じゃなくてね)。

「なにかがおかしい」と思ったのは、その主計官と財政再建の手法をめぐる話をしたときだ。細部は省くが、私が問題と思った点を何度となく指摘しても、相手は自説をがんとして譲らない。あまりに頑なで「これは議論する気がないのでは」と感じたのである。
同じ論点をその後、もっと偉い幹部にも当ててみた。すると、その幹部からも判で押したように、まったく同じ返事が返ってきた。それで気づいた。その問題について、財務省はとっくに検討を終えていて、すでに結論を下しているのだ。そして、答えは一部の人間ではなく、あるレベルでは全員に共有されているのだ、と。
まさしく、そのとおりだったことが後で分かる。
財務省には、主計官や課長クラスなら全員がもっている内部資料がある。
私の手元には、そんな資料がいくつもある。みんな財務官僚からもらったものだ。やや古いが、06年2月時点の「『歳出歳入一体改革』についての標準的な説明の流れ」という表紙がついた資料はA4判で計17ページ。各ページにわたって、問いと答えの形式で論点が整理されている。

私たちは、よどみなく、持論をまくしたて、こちらの意見を寄せ付けない、近寄りがたい雰囲気をかもしだしている高級官僚は、さぞ頭がいいんだろーなーと、ひたすら平身低頭していると、どーも変だぞ。「みんな言うことが同じだ」。どいつもこいつも、まるで口パクのように、一字一句違えず、同じ返しをしてきやがる。そこで気付くのだ。
あー。カンペね。こうやって、こいつらは、子供の頃から、さかしらに、うまく世間の荒波をかわして生きてきたってわけだ。そーだよなー。あんなに成績がいいって、なんか変だよな。生きることがうまいやつってそこまでするんだ。
今、世間で「増税」を唱えているやつは、官僚か「官僚に一服盛られているやつ」に決まっている。だって、増税されてうれしい人間なんて、それ以外ありえないだろう。それをなぜ増税がいいなどと言うのか。どう考えても、官僚に一つ借りを作ってやると思っているやつに決まっている。
それは学校の先生でも同じだ。みんな学校の先生は、先生と言うくらいだから、えらい良識のある人なんだろうと思っているだろう。しかし、よく考えてみよう。
彼らの給料を出しているのは誰だろう。
なんのことはない。財務省だ。
そう考えると、彼らに本気で官僚を批判できるのだろうか。
彼らは言う。俺が「ロビーイング」やってやるよ。俺なら、官僚とツーカーなんだ。大事なことは官僚に「最悪」をさせないこと。それは俺という絶対的「良識」(エリート)が官僚を「国民のために」コントロールしてやってるから。
分かったけど、あんたの言うことって、最初っから最後まで、「官僚の口パク」なんだよなー。掲題の本にもある、「レク」をたっぷりすりこまれてるんだろーねー。
でもそれも、よく考えたら当然なんですよね。だって、そうやって官僚と仲良くなると、「いっぱい官僚から情報がもらえる」。論文が書けるじゃん。また、官僚と仲良くなっておけば、学校の人事でも大きな力になってくれるはずだ。
では、掲題の本の主題である、マスコミについても、この延長で考えてみよう。記者クラブという、官僚と新聞記者の「仲良しクラブ」に初めて入れてもらえた、新人記者は、少しずつ一体ここがどういった場所なのかに気付いていく。
新聞記者になった、そんな若者は、自分こそが「この世の真実を一早く見付けて、世間の人たちに知らせたい」と思って、文章書きになったことだろう。
ところが、ここは、
「そういう場所じゃない」。

そこで待ってました、とばかり、デスクのかみなりが落ちる。
「ばかもん! そういうのを『少年探偵団』って言うんだ。いいか、おまえの仕事をはっきり教えてやる。おまえは警察から情報をとってるくのが仕事なんだ。聞き込みで情報をとってくるのは警察の仕事だ。勘違いするな。そんな情報があるなら、まず警察にもっていけ。それで警察が『それは犯人に関係がある』と言えば、そのときに初めて書け。おまえに聞き込みさせているのは、警察のまねごとをさせるためじゃない。あくまで警察にあてる材料を探させるためだ。それを警察が裏打ちしてくれるかどうかが、おれたちの勝負なんだ。分かったか」

大事なことは、「長く官僚と友達になることだ」。
みんなは、気が合うと、肩を組んで、夜の街にでていく。俺、お前となら、友達になれそうな気がするんだー。
こういった継続的な友好関係が、継続的な国家内情報の継続的なリークを「優先的に」自分たちの会社にもたらしてくれる期待となる。
問題は、一つ一つの真実ではない。むしろそんなことは、目先の「どうでもいい」話なのだ。いつまでも、蜜月による、継続的な国家情報の入手で「千代にさちよに」自分たち新聞社が、価値ある新聞として、生き残り続けることなのだ。
こうやって、新人記者さんは、自分が毎日書いている記事が、完全な「官僚の口パク」であることを少しずつ自覚していく。
なにやってんだろう。こんな国が言いたいことだけ書くんだったら、国が官報を配ってればいーんじゃないのかな。それか通信社が、事務的に、配ってれば...。
掲題の著者の結論はこうだ。

そろそろ、この本の冒頭で掲げた問いに答えていこう。
新聞は報道の力を取り戻すために、どうしたらいいのだろうか。
結論から言えば、私は新聞が役所からもらう「特ダネ競争」をやめるべきだと思う。

もし新聞という媒体が生き残れるとするなら、これしかない。
「おもしろい」記事を書くしかない。
物書きがおもしろいと思ったことが書いてあるから、人は読む。
デイリーの週刊誌。これ以外に何がある?
ここで再度、官僚カンペ、に戻ろう。これは、たんに、一人の官僚が思い付きを書いたものではない。ここには、官僚たちがこれからも勢力を拡大していくための「鉄の掟(おきて)」が書いてある。まず、官僚のトップ中枢が作り、その中でこの鉄の約束を守る「儀式」を行う。何人もこの掟を破ったものが許されることはない。これこそマフィアの血の「契約」だ。そして、それは薄く末端に浸透されていく。これは、「絶対の不文律」なのだ。マフィアが彼らのパワーの源泉だけは、最後まで手放さないのと同じ意味で、絶対にこれを破ることはまかりならん。
(規模はたとえ小さくても)大和都市管財の社長の豊永にしても同じことである。「あらゆる手段を使っても」、自らを、狂気の域にまで高めた、「あたり屋」恫喝までやって、免許取消をまぬがれようとしたのも、これが「最後の線」だったからだ。