ひろゆきvs勝間

おもしろいですね。お二人とも。
とくに勝間さんの方ですね。
それにしても、なぜ、ひろゆきさんが、反論したのか、ですね。
当然ですよね。自分が何年もの間、管理して、育ててきた、2ちゃんねる文化は「悪」だって言っているようなものでしょう。あなたのような、悪人がのうのうと公衆の面前に、今だに現れるのがおかしい、って言っているようなものでしょう。
ところが、勝間さん自身はそこまで自分が言っていると自覚していない節があるんですね。他方で、2ちゃんねるにも、価値のある議論があったのに、「もったいない」くらいのことまで言ってたりして。でも、それって評価になってないわけでしょう。つまり、彼の運営方針を
ぐちぐちぐちぐち
いつまでも否定してるわけですからね。すごいですよね。こんな面と向かって。
誹謗中傷のコメントがあったら、管理人が、削除しないと。
えっと。
管理人はその作業をやるだけで、日が暮れちゃいますよね。ようするに、管理人になるには、それだけのことができる大企業しかなっちゃいけないと言いたいんでしょうね(アメリカだって、そんな規制にはしていませんね)。
ようするに、管理人などという存在は背理なんだから、そんな職業だったあんたは、今までの半生を「懺悔」しろ、って言いたいんでしょ。
ただ、そういう、ほとんど個人攻撃と変わらない発言を自分がしているという、意識がないんですよね。この彼女のKYっぷりが、なぜ起きているんだろう、なんですね。
そう思って、勝間さんの発言を聞くと、つまり、これらは、彼女がいろんな場所で、いつも発言していた「持論」なんですね。
じゃあ、なぜ勝間さんはこういった持論を持つようになるのか。
そういった雰囲気は例えば、以下のサイトなんかも共有しているのかもしれません。

「勝間×ひろゆき対談」をウッフィー的に斬ると、どうなのよ?
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ようするに、2ちゃんねるというガラパゴスはもう古い。今は、Facebook や witter の時代ですよ、と言うことのようです。しかし、それによって言いたいことって何かというと、企業にとってのパブリック・プレイスになってないじゃないか、と。2ちゃんの広告をみても、アダルト関係しかないじゃないか。
今、ネットがさまざなに注目されるのは、むしろ、ネット空間がビジネス・プレイスになろうとしているからなんですね。
理系とか技術系の人たちにとって、パソコンやネットって、一つの技術だったわけですよね。言わば、実験道具の延長のような。ところが、そういった、「自由な道具」の場所という感覚が著しく、近年、薄れてきているわけですね。
さまざまな企業がネット上でビジネスを始めてきた。それと同時に、権利や義務、著作権、特許。いわゆる、リアルな世界のルールが侵食して来る。彼らのマインドは、ネットこそ「現実」なんですね。
ここが、お仕事の場所なんですね。
もう、そういう時代になっているのに、今だに、「お遊び」の場所のように振る舞っている「匿名」連中が、あまりにお下劣にみえる。
まずもって、こういったビジネスマインドで、ネットをやっている、「起業家」が、まず最初に、ネット実名絶対原理主義者になっていますよね。こういった人たちの特徴として、当然のように、アメリカに詳しい、帰国子女か、そういった連中とやたら、友達のアメリカ通ですよね。
彼らがなぜ、匿名抹殺をオルグし続けているのかと考えると、ようするに、アメリカのネットが、ほとんど、Facebook 一色になっていて、そこでは、一見、「実名」がほとんどだから、なんですね。だから、むしろ、「なんで匿名なの?」って、逆に不思議に思っているといったところが正直なようですね。
じゃあ、Facebook 側がなんて言っているのか、ですよね。

Facebookは「真のアイデンティティー」を大事にしているので、あくまで本名を使うシステムであるという点は妥協できない。みんなが本名で登録しなくなると、友人を見つけることもできなくなってしまう。だから、代わりに強力なプライバシーコントロール機能を提供することで、安心して使えるようにしている。例えば私の場合、自分の電話番号は本当に近い友人だけが見れるようにコントロールしている。
日本人も社交的だし、友人とコミュニケーションしたがっている点では同じだ。でも、本人の正確な情報を登録しつつ、プライバシーをきちんとコントロールできるサービスは、あまりなかったのではないか。文化の違いもあるし、日本人はまだFacebookを快適に感じていない部分があるかもしれないが、いずれ信頼してもらえると思う。Facebookは、プライバシーコントロールに関しては先行者の自負があるし、それが世界で成功している理由の一つだ。
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つまり、ネットは実名が「常識」だなんて少しも主張してないんですね。自分たちのツールは、そうしてもらいたい、その方が、友人と「つながれ」ますよ、というシステム設計になっているということでしょう。
しかし、いずれにしろ、かなりの人たちが、フェースブックを使っている。しかも実名で。しかし、別に、その名前が、韓国のように、総背番号制で、免許証といちいち 照合しているわけでもない。あくまで自己申告制ということでね。
いずれにしろ、ビジネスをやる人にとっては、まず、自分をアッピールしなければならない。そういったときに、匿名という選択肢自体が考えられないだろ、と。
仕事で、自分の素性を隠して、一緒に仕事をしている、ビジネスパートナーに迷惑をかけたら、どうなりますか。
だから、まず、前提として、実名原理主義者には、匿名者が、匿名という時点で、犯罪者にしか思えないわけですね。だって、犯罪者じゃなければ、実名にできんじゃないか。なんで、わざわざ匿名にしてんのよ。
なにを書いたとしても、実名だろうと匿名だろうと、その書いた内容が犯罪なら、どっちにしたって、同じ罪なんだから、だったら、最初から実名にしろ、と。
そして、そういった実名原理主義者は、電波芸人ですから、自分のプライバシー、顔と名前の一致を、世間に晒して、お金を稼いでいる連中なんですね。ですから、こういった人たちは、政治家と気が合うんですね。お互い、電波芸人同士。
そうやって、自分の顔をさらすことによって、実際、お金儲けにも利用しているはずなんだけど、それによって有名になるがゆえに、世間の風当りも強い。ほとんど、意味不明の誹謗中傷も受けやすい。
そういった場合、そんなものを一個一個処理できるわけがない。じゃあ、どうすればいいか。国なりなんなりが、「自分を守るべきだ」。
国が守るとはどういうことか。人々が自分に誹謗中傷ができないように、厳しく取締ってくれないか。具体的にどうなってほしいか。まず考えるのは、みんなが実名をさらしてくれ。なにかを発言する限りは、その発言に責任をもってもらう必要がある。今、ネットで、誹謗中傷が絶えないのは、そいつらのプライバシーが保護されているからだろう。こんな失礼なことをするやつだと、世間に知られるなら、そういった誹謗中傷をやめるんじゃないか。
だって、電波芸人である自分は、「顔と名前の一致」を、電波でさらしてるんだぞ。
俺がやってんのに、その俺を批判する、お前が、同じ土俵に上ってこないなんて、卑怯じゃねーか。そんな卑怯な奴に
俺を批判する資格
があるわけないだろ。
でもそうやって、匿名者抹殺を心の中で、密かに秘めている、電波芸人さんたちも、ラジオでリスナーからの手紙は、匿名で読み上げるんですよね。
だから、匿名が許せないんだったら、徹底して、匿名という「敵」と戦ってくださいよ。まず、あなたのホームページの匿名のコメントを全部破棄してくださいよ。だって、それあなたの「敵」でしょ? 中途半端に、こういう匿名さんは自分の味方だから、ありがとう。ああいう、匿名さんは、完全なクレーマーで卑怯者呼ばわり、でしょう。一貫性がないんですよね。
自分に批判の矛先を向けられると、とたんにヒステリーになって、卑怯者呼ばわりですか。
でも、気持ちはよく分かるんですよね。電波芸人さんたちの苦労は並々ならぬものがあるんじゃないでしょうか。だって、国民のかなりの人たちが「顔と名前の一致」をしているわけですからね。毎日ジロジロ見られているような気がして、しょうがないのかもしれませんね。実際、ほとんど頭がおかしいんじゃないかとしか思えない、誹謗中傷のコメントを読まされ続けていらっしゃるんじゃないですかね。ほとほと、人生にお疲れなんじゃないでしょうか。お気持ちさっしますよ。
いっそのこと、顔も整形で変えて、名前の改名して、第二の人生を歩んでみたいと思っている人も大勢いるのかもしれませんね。
ところが、この日本という国は、まず、改名は、ほとんど絶望的なんだそうですね。国が相当な理由がない限り、改名を許さないんだそうですね。これも、天皇制となにか関係があるんですかね。
まず、改名ができなければ、なんらかの過ちを犯して、刑務所にお世話になった人たちは、一生、世間の監視の中を生きなければなりませんよね。そんな「実名」を、フェースブックにさらすんですかね。そしてフェースブックの自分のプロフィール紹介に前科一犯とか書くんですかね。でもそうまでしないと、電波芸人さんの卑怯者呼ばわりはおさまりそうもないみたいですね。電波芸人さんたちは、「そんな悪人に自分はならない」から、そんなことを心配しないんですかね。いいですね、清廉潔白な生き方をしてきてらして。それだから、大変よろしい大学をでられて、今あるリッパなキャリアを実現してらっしゃるんですものね。当然ですよね。
いや、こういった、清廉潔白人間さんたちにとっては、むしろ、こういった、元悪人を侮辱する世間の方が「悪いんだ」って、正義感剥き出しで主張してくれるかもしれませんね。でも、そう思われるんだったら、あなたが、そういう方々と率先して、関係されたらどうですかね。
イエス・キリストのように。
では、今、実名をさらしている人たちとは、どういった人たちなのかを考えてみたら、簡単なわけでしょう。
ネットを仕事にしているから、ですよね。実際、仕事用の発言ばっかりじゃないですか。5割方、あなたの宣伝を発信しているだけですよね。
だから、ネットの有名人が、twitter で発言しているのを見てると変な気分になりますよね。あなた、今、仕事中なんじゃないんですかね。こんなとこで、つぶやいてて、いいんですかね。会議中だったりしないんですかね。
しかし、今後、企業は、積極的に、従業員に、twitter でつぶやかせる時代が来るかもしれませんね。それが、企業の宣伝、イメージアップになるなら、なにが悪い。
(でも、おもしろいですよね。上司が毎日、チェックするようなところに、どこまで、本音を書きますかね。)
これの逆が、匿名なんでしょう。
世間様に、はずかしい、と「偏見」をもたれるようなことを書くとするなら、だれもフェースブックのようなところには書かないでしょう。そういう世間様に恥かしいという「偏見」をもたれかねないような、さまざまなことを自由に書く場合は、半匿名になっていくのでしょう。
でも、それでも、清廉潔白ちゃんのように、そうだったとしても、実名でお願いっていう考えはありますよね。
それが、韓国だと思います。韓国は完全な、国民総背番号制が完成した国ですね。国民も、常にネット上で、その番号と対応した実名をさらし続けないと、なにも書けない。
警察が、気に入らない奴の、犯歴情報を探すのも簡単でしょうね。その番号で、いもづる式で、すべての情報をひっぱって来ればいいんでしょ。そのうち、警察が、twitter を使い始めるかもしれませんね。この名前の人間の弱味を握っている人、プライバシーを知っている人、なんでもいいから情報をつぶやいて。後で、報酬あげますんで。
しかし、匿名って、それのどこが匿名なのか、っていう問題もありますよね。だって、IPアドレスから、ほとんどトレースできるわけですから。実際、ほとんどの殺害予告のような書き込みは、警察に逮捕されてますよね。
たんに、実名を書いていないだけで、それなりにプロフィールが少し書いてある場合もある。それで、多少、この人がどんな記事を書くような人なのか、そういったことが分かる部分もある。
実名だとだれもが思っていたら、芸能人の芸名のようなもので、実は、実名じゃなかった。でも、その人は、顔や声をさらしていたので、電波芸人と変わらなかった。逆に、実名で記事を書いてはいたんだけど、ネットでは絶対、顔をさらさない。マスコミにも、顔を出しはしない。
ようするに、プライバシーの問題なんですよね。勝間さんが、リアルの仕事では、だれもが、名刺交換するじゃないですかと言っていましたけど、問題は、その顔と名前を一致させる「プライバシー」情報は、その関係者の中で閉じてくれるはずだってことが前提ですよね。ネットという、恒常的にだれもがアクセスできる場所に置くのかどうかの問題なんでしょうね。
自分の仕事を宣伝したいのなら、むしろ、自分から置くことになるのかもしれませんけど、その場合は、あくまでも自分からですよね。
だから、むしろ、思うのは、アメリカがどうこうじゃなくて、日本のビジネスが、これから、そこまでの、プライバシーとトレードフになっていくのか、ということと考えられるのかもしれない。最近のプライバシーマークの厳しさ、の裏返しとして、そういったプライバシーを管理する側は、どこまでも、プライバシーをさらさなければ、信頼されない、となっていくのか。
むしろ、まったくお互いが、プライバシーを関係しない、ビジネスが生まれてくるということはないだろうか。
また、さまざまな慣習、スーツにネクタイ、こういったものも、さまざまになくなっていく場面が増殖することはないだろうか。
日本のビジネスのさまざまなシーンで、まったく、氏素性も分かんない奴なんだけど、自分にどうも、お金をくれるそうだ(まさに、足長おじさんだ)。その寄付を受けられれば、自分のNGOは、活動できるじゃないか。いやいや待てよ。俺って、実名絶対原理主義者だった。こんな匿名の卑怯者の金なんて受け取れねー。
こういったことは、もっといろいろな場面で、起きるかもしれませんね。掲題の対談でも、どうみても、ひろゆきさんって、ビジネスマンじゃないでしょう。それなりに、成功はされたんでしょうけど、あの、ぼそぼそしゃべり、は、どう考えても、ビジネスで成功する人のしゃべり方じゃないですよね。それに比べて、勝間さんは、典型的な、ビジネス勝ち組の、しゃべり方。
あきらかに、勝間さん、こういう、ぼそぼそしゃべり、の、ひろゆきさん、を社会人として、軽蔑してましたよね。あの説教口調。プレゼンテーションしゃべり。だめな人間をしかるのに慣れた人の、だめ出しっぷりでしたよね。
(その対照的さが、勝間さんのブログでの謝罪になったんでしょうね。)
でも、どうして、これからの日本の「ビジネスマン」が、こういったぼそぼそしゃべり、にならないと言えるのか、ですよね。もしかしたら、そういった、だめな人が、むしろ、技術者として、新しいテクノロジーを発見していき、よりクリエーティブに時代をリードし、リーダー的立場、になっていくのかもしれない。そして、そういった人間が、今までのサラリーマンのように、どこまで、きっちりスーツを着て、はきはきしゃべって、という文化を重視するか。
そういったポテンシャルは、おそらく、ゆとり教育世代としては、あったのでしょうが、なにせ、この日本の果てしなく続く、不況ですから。これからも、社交性の時代、勝間エリートがひろゆきダメ人間にダメ出しし続ける時代が続くのでしょうね。
それにしても、なぜ、勝間さんはこれほど、バッシングをされたのか。早い話、2ちゃんねるという「日本の文化」を露骨に侮辱したからでしょう。ようするに彼女は日本的なるもの「は」だめなんだということを言ってただけなんでしょ。日本の技術はガラパゴスで使えない。iPhone が好き好きで、iPad が好き好きで。日本はなにからなにまでダメ。なんで日本がだめか。それは日本がアメリカじゃないから。
私を日本なんて田舎者に含めないで。私はアメリカ。アメリカという「世界(都会)」なんだから。私が日本をアメリカにしてあげる。
分かったよ。あんたの言う通りすればいいんだろ。すみませんね。