八木雄二『天使はなぜ堕落するのか』

去年の出版だと思うが、ここ何年かで、おそらく、もっとも、注目された本なのではないだろうか。
今でも、非常に売れているんじゃないでしょうかね。私はこの本を、そもそも、こういった学問などというものに通暁していないシロートにこそ、推薦したい気持ちがある。こういった「全体」を一つのコンセプトで説明しようという、パラノイアックな知性というのが、近年の、スキゾフレニックなツイッター的矢印言論では、少なくなってきているように思える。
なにか、確固として「アカデミズム」というのが今でも存在していて、あとは、そのマイナーチェンジしか残っていない、かのように、それは「主流派」の言論の流行の端っこを、どーのこーの言う(オルグする)のが、頭のいい人のすることだ、みたいな雰囲気があるが。
たいてい、そういった文章は、アジビラ・レベルの、質の悪いプロパガンダで終わってる(私のこのブログもそう)。しかし、そんな根っこの所在もさだかじゃない、文章の「かけら」をいくら、真面目に収集して、ラッピングしても、意味不明の、「全体」を前にして、ため息をつくくらいしかできないだろう。
やはり、パラノイアックな全体性というのは、(どんなに不可能なことが証明されようとも)どこか必要な部分があるはずで、案外、人々が感動する、という場合は、瑣末な言葉の「かけら」(記号)の抽象的な意味不明さ、ではなく、そういったものの「全体」の首尾一貫さを前にしたときだったりする。
いずれにしろ、掲題の本は、間違いなく、近年の書籍の中で、
どんな出自の人が読まれても、
きっとなにかしら考え、思うところがあるような、なかなか、興味深い作品だと思うんですけどね。
学問にはよく「ミッシング・リンク」ということが言われる。古代の化石を博物館で見ていると、どうも、ある年代の部分が「つながらない」。ある、非連続性があるように思える。つまり、謎、ってことだ。
ところが、そういったものは、往々にして、たんに「研究が進んでいない」だけだと言えなくもない。日本やヨーロッパの「中世暗黒時代」などと言うが、たしかに、近代科学の目覚しい発展も、注目すべき文学の噴出もないようで、ほんと、
この時代に人間が生きていたのかな、
と思うくらいに「暗黒だ」。でも、もちろん、人々は生きていたわけで(そうでなければ、今の私たちはいない)、ようするに、こういった時代を研究する需要やモチベーションが、低いだけ、という方が正確なのかもしれない。
私たちは、明治の文明開化は、「あまりに優秀すぎで」日本の心を忘れてしまった、と批判する。しかし、忘れた方は、それなりに説得力があったとしても、前提条件の方は、いささか心もとない。どういう意味かというと、たしかに、大量の文物の流入に幻惑し、それらを理解しようとがんばられた、先人たちの努力は並々ならぬものがあったとしても、それが、
完全
であったと考えることとは話が違う。彼らは確かに、必死で勉強した。しかし、そういった取捨選択が、往々にして、
流行
を追うだけの面はなかったであろうか。つまり、どこまでバランスのとれたものであったか。たとえば、近代哲学といって、もちろん、始原はデカルトだ。そこから、基本的なアイデア「我思う、ゆえに、我あり」を、字義通りの意味で継承し、体系化したのが、カントの「超越論的統覚」であり、そのカントこそ、日本とドイツの特別な関係もあり、ここをホームベースにして、日本の哲学研究、哲学教育が始まる。
しかし、こういった問題構成は、掲題の本にもあるように、そもそもの最初に、不純さを感じざるをえない。

おそらくヨーロッパ世界が大航海時代を迎え、膨大な新しい知識に接する機会をさまざまにもつことになったからだろう。望遠鏡の発明も天文学の世界を急激に新しくした。それは好奇心を大いに刺激したが、その一方、新しい知識によって生じた混乱を急いで収拾しなければならない必要にも迫られた。経済市場の急激な拡大も、混乱を生じさせ、同時に産業発展への期待も高まっていた。

そのため近代当初の哲学者たち、たとえばフランシス・ベーコンデカルトは、自分たちは中世哲学を学んでいながら、中世哲学は学ぶに値しない無価値な哲学であると喧伝し、哲学も新しくしなければならないと主張した。

これに対してデカルトは、カトリックの勢力圏内の大陸に生きていた。そのためデカルトは、これほどはっきりとスコラ哲学を否定しない。かれの著書である『方法序説』でも、デカルトは、あくまでも自分個人の研究の信条の偽らざる吐露としてのみ新しい哲学の道を語っている。かれは自分が目指しているのは理性の道を探究するだけであることを強調して、公共の権威であるカトリックとぶつからないように配慮している。

大事なことは、デカルトだろうとカントだろうと、彼らの「ネタ元」は、スコラ哲学だった、ということである。彼らは、好きなだけ、スコラ哲学を、換骨奪胎しておきながら、自分のパクりを「発明」と呼び代えた。
だからといって、まったく価値なしと言いたいわけではない。むしろ、その知の源泉のすごさに、謙虚に学びたいものだ、と思う次第なんですね。実際、こういったことは、過去の遺物に対して以上に、今の西洋文明にこそ感じる。
例えば、数学ではさまざまなアイデアが生まれる。もちろん、そういったものの、直接の需要は、実験科学の現場での出来事を効率的に処理することにあるとしても、そういった、さまざまな表現が次々と生まれてくる、それらが、それほど、上記の実験から必然的なものかと考えると、相当に疑問だ。
こういった、数学の表現のアイデアの源泉を考えると、どうしても、スコラ哲学を、西洋の人たちは、小さいころから親しみ、こういった部分を、発想の源泉にしているんじゃないか、という疑惑が拭えない。実際、数学のさまざまなアイデアは、どう見ても、
神学
そのものにしか見えないわけだ。正確に言えば、神学でさまざまに「膨大に厚みをもって存在する」、論理的につめられていた、さまざまな片言隻句を、少しアレンジするだけでも、かなりの数学の部分が、ほとんど一瞬でできたりしないのだろうか。
たとえば、トマス・アクィナスの有名な神の存在証明の一つは、以下である。

トマスがつくった証明は正確にはつぎのようなものである。
世界には運動がある。すなわち、動かされているものがある。ところで、動かされるものは、動かすものによって動かされている。つまり、動かすものが原因になって、動かされているものが動いている。これはアリストテレスの運動理論の基本である。しかし、原因である動かすものが、もしもまたやはり何かに動かされて、動かすものになっているとすれば、さらにそれを動かすものが、その原因としてあるはずである。こうして動かすものの系列をさかのぼっていくと、他を動かすが、自分は他によって動かされることがないもの、つまり第一の動かすものに到達せざるを得ない。なぜなら、第一のものに達することがないなら、それ以下の運動もありえないからである。

この第一のものが一般に神と呼ばれるものである。

どうだろう。この前私が紹介した、圏(カテゴリー)論の公理そのもののようにしか思えなくないか。
スコラ哲学は、神の学問だといって、神などいるわけないのだから、こんなのデタラメのだめだめに決まっている、と思って、人々は振り返りもしない。しかし、そういうもんですかね。
この量は。
スコラ哲学の言説の量は、半端じゃないですよ。そういった文章や対話が、それなりの「論理性」をもつことなく、存在しえますかね。なんらかの、徹底的に考えられた「理性」がそこにはあるんじゃないですかね。人間が徹底的に考えたものって、そんなに今考えたことと「質で劣る」んでしょうかね。結局は、同じような推論を辿るというのは、往々にして言えるんじゃないでしょうかね。
むしろ、日本人のさまざまな思索活動、ビジネスでのアイデアが、どうしても、欧米に比べ「後手後手」になってきた理由は、明治の文明開化が
不充分
だったから、なんじゃないですかね。欧米の現在の流行(=常識)という「上澄み」を、これ見よがしにもってきて、「これが答えだ」とか言ってる限り、いつまでも、追い付くことはできないんじゃないですかね。
そもそも、なぜ、ヨーロッパの中世暗黒時代は、デカルト以降、無視されるような時代だったのだろうか。そういったところを、論理的に説明できる人がどれだけいるだろうか(そんな歴史的な連続性のイメージもなしに、欧米の人たちと付き合っていけると本気で思っているのだろうか)。
たとえば、ちょっと大胆に言ってしまうなら、ヨーロッパの歴史には、完全に「断絶」がありますよね。古代ローマ帝国が崩壊した後。その後、文明って? こういう始点で見ると、明らかに、中国には、王朝が交代しながらも、「連続」性があるが、ヨーロッパは間違いなく、「一度終わっている」。
終わっているというか、文明の重心がより北に、移動していきますよね。つまり、イギリスやフランスに、キリスト教が布教されていく。そうすることで、その地域の土着のケルト人などが、「文明化されていく」。
そういったときに、問題は、ギリシアやローマの文明が、どこまで、継承されたのだろう、ということでしょう。たとえば、スコラ哲学の起源を決定的にする、アリストテレスの文献は、最初は、論理学部分しか、初期の頃は伝わっていなかったのだそうである(むしろ、アリストテレスの今ある文献のほとんどは、イスラム圏の人たちがもっていた)。

したがってポエティウスは、一般にはアウグスティヌスほど目立たないが、とくにトマスにとってアウグスティヌスに優るとも劣らない中世哲学における大切な権威であり、アリストテレスキリスト教の教えに適用した先達である。もっともポエティウスは、キリスト教信仰全体を学問化する意図はもたなかったのだが。
他方、やはりポエティウスが翻訳したアリストテレスの『範疇論』の入門書、ポルフュリオスの『エイサゴーゲー』(入門)にあった記述(「とりあえず存在にはコミットしない」という意味の記述)から生じたのが、中世の「普遍論争」であった。アベラールが飛びついたのはこの普遍問題であり、それは13世紀を通じて論じられ、14世紀にはウィリアム・オッカムという、もう一人の著名ん唯名論者を生みだして中世哲学を終わりに導いた。

ところが、掲題の著者も言うように、「それゆえに」アリストテレスは流行できたんですね。だって、それ以外の自然学とか、どう考えても、キリスト教と両立できなかったでしょう。つまり、
異端
です。

もしも西ヨーロッパがイスラム世界と同様に、はじめからアリストテレスの『自然学』や『形而上学』を受けとっていたら、中世哲学の歴史はどうなったか。疑いようもなく、まったく別の様相になっていただろう。なぜなら、そのときにはアラブ世界の人たちと同様に、アリストテレスのなかに世界の永遠節や、死後の復活を認めない説を見いだして、端的に拒絶したであろうからである。

「正統と異端」は、丸山眞男の本にもあるように、あらゆる政治の場面において、最も重要な概念の一つなのでしょう。よく考えてみれば、なぜ、アリストテレスの論理学が、こうやってキリスト教の教会内で、圧倒的な流行となりえたのか。それは、むしろ、論理学「だから」なんですね。
日本の朱子学においても、水戸学派といって、大日本史の編纂を行う。そのとき、最も大事なことは「正統」の問題だった。天皇がどれだけ、正統な日本の統治者か。それを証明するのが、「歴史」学の使命だった。そしてそうやって、歴史学によって、「証明」されたから、明治の天皇制が確立する。
しかしそれは、何度も革命が起きてきた、中国だってそう、という話もある。前の王朝を滅ぼし、新しく政権をたちあげた、王朝は、過去の家系図を「でっちあげる」。自分は、昔、なんとかという家系の出で、みたいに。そうやって、自分が統治するのは、「正統」なのだと強弁する。しかし、だれも反論できはずがない。そんなことをすれば、まさに、不敬罪だ。司馬遷の「史記」だって、そういった影響は、免れていない、のだろう。
ところが、歴史は不思議なもので、正統だと思っていた、正規軍が、いつの間にか、賊軍にされていることが、よく起きる。キリスト教でもそうだ。生前、大変高名な学者が、死後、異端とされ、発禁処分となる。
こういった時代に、アリストテレスの論理学は、正統の末節であり続けたわけだから、そのことが、どれだけ、すごい事態かが分かりますよね。
たとえば、イスラム教というのがある。モハメッドが開祖ということだが、しかし、彼は、誰なのだろう?

じっさいイスラム教の教義内容に注目すると、ムハンマドセム語族の宗教であるユダヤ教の系列にひとりの預言者として加わっただけである。したがって、すぐに以前の預言者によって明確に語られたことは、ムハンマドはそのまま受け継ぐことしか考えていない。

なんのことはない。イスラム教も、ユダヤキリスト教と同じ系列であり、旧約の文献のほとんどを共有する。つまり、
異端
でしかない。私たちは普通、こういったものを違う宗教と呼ばない。だとするなら、アメリカのブッシュ前大統領が、「十字軍」を口走ったことの意味とはなんなのだろうか? まったく、解決の方向さえ見せない、イスラエルと周辺イスラム教徒との対立。ところが、アメリカのイスラエルへの及び腰は、完全に、オバマになっても、継承されているようだ。
結局のところ、キリスト教というのは、何なのだろうか。著者は、断言する。

心身二元論とは、心と体が分離しうると考える見方である。近代においては、デカルトに代表されるように、精神と物質の二元論に抽象された。しかし、この抽象化は科学の発達の結果であるということができるでだろう。インド・ヨーロッパ語族に見られる心身二元論はいわばその素朴なかたちであり、具体的には魂の輪廻思想に現れる。なぜなら、魂が身体から分離して、身体がなくなっても別の身体に宿って生き続けるという思想は、魂と身体が別々であるという見方がなければありえないからである。魂の輪廻思想は仏教によって日本にも古くからもたらされた。したがって、わたしたちにも案外なじみのある思想である。しかしその考えが日本人の間に十分理解されているか、というと、疑問もある。
なぜかといえば、この思想があるなら、魂、つまり心の親子関係は、身体の親子関係とは別であることが常識として理解されるはずだからである。
いうまでもなく、通常いわれる親子関係は身体的なものである。心の親子関係がそれとは別だ、という意味は、前世では親子関係が逆であってもおかしくない、つまり精神性からいって子のほうが親であってもおかしくない、ということであり、あるいは、あかの他人であったとか、場合によっては、別の種類の生き物であったとか、等々、心のほうは身体とは別にいかようにも考えられる、という考え方である。こういう考え方がわたしたちの間で深くなじんでいて、改めて説明されるまでもないほどふつうになっているかといえば、そうではないだろう。
おそらく日本人にとっては、魂の輪廻思想は、なじみは古くても、理屈の上で知っている程度のことであ。神道の思想に見られるように、身体性をもたない精神性というものは考えられないのが日本人の週刊なのではないだろうか。

インド・ヨーロッパ語族に共通した基盤を考えるとき、どうしても、こういった、魂の存在を独立して考えようとする傾向は拭えない。もちろん、こういったことの、その歴史的な意味、来世に希望を見るしかなかった、大衆の生を無視して、こういったことは考えられないが(だからこそ、私だって、その後の西欧文明を考えるに、キリスト教の歴史を、無視して考えることなどできないと思い、こうやって、こだわっているわけだが)、そうすると、西欧文明には、もう一つ、毛色の違う文化、つまり、
ストア哲学
の存在が気になってくる。

そしてストア哲学では、精神は身体から分離されないのである。また、ストア哲学は意志の哲学である。たとえば「神は死んだ」と宣言し、「超人の思想」を主張したニーチェは、現代のストア哲学者である。したがって、それは心身を分離して考える傾向をもつプラトンアリストテレスの哲学からは、もともと理解しにくい。

じつは心身一元論というものは、現代的にいえば一種の「アニミズム」である。
アニミズムというのは、どんな物体にも霊が宿っていると見る世界観である。かつては未開社会に多く見られたので原始的宗教として考えられてきた。

身体性とは物体性である。とはいえアニミズムでは物体にはすべて霊が宿るのであり、逆にいえば、霊は物体なしに存在ることはない。それがどのような物体であるかどうかは問わない。つまりわたしたちの感覚がそれをとらえるかどうかは、別問題である。たとえば、水蒸気などは、わたしたちには見えない。大気も見えない。いずれにしろ物体性は霊的存在と一つである。では、神にも物体性があるのかといわれれば、まったくその通りであり、アニミズムでは神は宇宙に偏在する、と答えられる。巨大な宇宙に広がる巨大な霊こそ神である。

たしかに、仏教は日本人の宗教として、何千年も続いてきたことは確かであるが、私たち自身の宗教性を吟味してみると、その世界観のかなりは、むしろ神道に近いのではないか、という印象をどうしても拭えない。これって、どういった事態なのだろうか。そう思って西欧と比較すると、以下の部分がとても印象的に読める。

中世の人々は、自分の母国語ではないラテン語を学ばなければ、文化的教養を得ることができなかった。哲学もラテン語をあやつることができる人たちのみに許されていた活動であった。
このような境遇は、ヨーロッパにおいても中世だけの境遇である。何しろ肝心の聖書ですら母国語にはならず(最初の英語訳聖書の刊行は1350年ころ)、ラテン語の世界のなかに閉じ込められていたのである。
古代におけるギリシアの哲学者もローマの哲学者も、母国語で哲学をすることができた。近代の学者も現代の哲学者も母国語で哲学をすることができたし、できるのである。

今では、学問を自分の日常語で行うことが「普通」と考えることが一般的になってきた。しかし、そうだろうか。そんなに、私たちの日常語が、学問を表現するのに十分なのだろうか。日常語で学問をするには、「最初に」日常語に翻訳した人たちの思想の洗礼をどうしても、拭えない。ドイツでいえば、ルターになるわけですね。日本の仏教が、日本人の生活感覚に擦り寄ることのなかったのは、仏典が一貫して、漢語で読まれ続けたからではないだろうか。しかし、それは異常なことだろうか。お経をなぜ、翻訳して唱えられなかったのか。しかし、思うのである。そういう感情は、なにかが、倒錯しているのではないか。むしろ、「なぜ翻訳されなければいけないと、現代の人々は考えるのか」。
そう考えると、どうしても、柄谷さんが昔から、とりくんでいる、言文一致の問題

日本近代文学の起源 (講談社文芸文庫)

日本近代文学の起源 (講談社文芸文庫)

が、変わらず重要な感じがするのだが、こういったことには、いわゆる、「保守派」を自称する人に限って、あまり、こういったことへの問題意識を感じられないのは、なぜなのだろうか。
私個人としては、圧倒的に、ストア哲学的な雰囲気に親和感を感じる部分があるが、それはやはり、日本の八百万の神を自明とする、アニミズム的な雰囲気に親和的なところがあるからなのだろうと思っている。私は、たとえば、子安宣邦さんのような、どちらかというと、左翼的な知識人の雰囲気のある方が、どうして、本居宣長平田篤胤を研究されるのかと前は思ったものですけど、実際、子安さんの本を読むとちょっと、そういった感じが分かってくる。宣長の、ある面において、ファナティックなまでの天皇主義は、ところが、明治以降の、文部省が主導する形の皇国思想として形成されていく、朱子学道徳を全面にした、「正統」論的なものとは、ずいぶん違う感じを受ける。実際、宣長は「もののあはれ」というものを、漢心(からごころ)と別のものとして提示してくるわけであるが、それと、たとえば、戦前の歴史学者の、平泉澄の言う、朱子学的な「正統」性への、殉教を礼賛する、その武断と、なかなかつながる感じがしない。
こうやって考えてくると、むしろ、日本の「政治学の貧困」を感じなくもない。どこか、ナイーヴかつロマンティックなんじゃないか。丸山眞男の「正統と異端」以降、日本の政治学において、西欧を理解するというとき、決定的に欠けているのが、「スコラ哲学」なのではないか。デカルトの言う、通俗的現代版哲学を間に受けて、それが「流行の最先端」だと思い込まされているが、欧米の研究者にとって、裏のアンチョコとして、「スコラ哲学」があることは、論文には一言も書かなくても、自明。今も次々と生まれている欧米の研究者たちの革新的なアイデアが、多くの場合、「スコラ哲学」をネタ元にしているのに、日本の研究者は、あいかわらず、その「才能」に、能力の差を痛感させられ、あい変わらずの、「自称」哲学者の実体は、たんなる、輸入「翻訳」業。
政治学のアンチョコは、アリストテレスの「政治学」だと、必死に、その文面を研究し、古代ギリシアに思いをはせようと、そんなもの欧米キリスト文明には、「価値なし」に等しい。なぜなら、「スコラ哲学」の初期において、アリストテレスにそんなものがあることすら知られていなかったのだから(先ほども言ったように、それは、むしろ、イスラムなのだ)。

おそらく、アリストテレスの哲学がこれほどの賞賛をもって人々に広く受け入れられ、影響を与えた時代は、アリストテレスが実際に生きた古代にも、またアリストテレス以降の古代ローマにおいても、なかったと推測できる。その意味では、アリストテレスは、歴史上は古代に属する哲学者であっても、事実上、ヨーロッパ中世においてこそもっとも偉大な「哲学者」だった。
つまり12世紀に神学の形成を促したのは、アリストテレスの論理学に端を発した普遍論争であり、13世紀に神学の組織的形成を促したのは、アリストテレスの自然学や形而上学であった。すなわち中世に神学を形成し、発展させた原動力は、どれもじつは「アリストテレス哲学」であって、アウグスティヌスでもなければ、カンタベリーのアンセルムスでも、トマス・アクィナスでもない。
むしろアンセルムスやトマスはそれぞれ、アリストテレスによって神学を形成する立場に追い込まれたのである。

現代をも一貫して貫く、ケルト神権政治のベースとしての、アリストテレス。つまり、論理学(そして、その後に、それらを補完するものとしての、形而上学、自然学)。つまりは、それが、
キリスト教神学
であるはずだ。ここが分からない限り、現代西欧政治学は一生理解できない。

天使はなぜ堕落するのか―中世哲学の興亡

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