湊かなえ『告白』

今、映画館で映画を見た後で、その売店で、文庫を買って、それをざっくりと最後まで、流し読みしたところです。
とにかく、若い人たちが、ほんとにたくさんいた。そして、すごい混んでいた。
まったく、事前の情報もなく、原作も知らないで見たんですけど、こうやって、少し冷静になってきてみて、少しだけ、思ったことを書いておこうと思います。
映画の印象を先に書いておくと、映画では、まず、何度も少年法では、子供は人を殺しても、死刑にならない、という事実が強調されますね。ところが、被害者の娘を殺された女の先生は、冷静、つまり、それは、教育者として、分をわきまえている、という意味で、冷静なのではなくて、相手を「大人」と変わりなく接する、という意味で、冷静なんですね。原作は、最後は、その女の先生のモノローグだけで終わっていて、少年Aとの、からみはない。
そういう視点で見ると、映画の最後の組み伏せている場面を描くというのは、どこか、ダンテの「神曲」じゃないけど、子供たちに、死後の世界ならぬ、「死刑にならない子供たちの殺人」の、その後、を描いているようにも思える。子供たちは、死刑にさえならなければ、「今までと同じ」と思うだろうが、実際は、「さまざまな想像の負担」にその後、苦しむわけですね。どっちみち、非常に面倒な人生になる、というメッセージにはなっていたのではないか。そういった部分を、むしろ、あれだけの、若者が見ていて、「恐かった」という感想なるというところに、思いました。
しかし、それは、なぜ、実現したのか。それは、結局、自分の娘を殺され、ひたすら、憎しみだけを心に宿し、自分の生徒たちを「大人として扱い」追い詰めていく、そういった存在として、主人公の先生を描いた「から」という面は、間違いなくあると思う。

愛するママへのラブレターにより、あなたのほんの少しかわいそうな生い立ちを知ることができました。例えば、本当に例えばですが、あなたが私のところに「びっくり財布」を持ってきたとき、あなたを褒めていれば、何かが変わっていたのだろうか、そんなことも考えました。後悔しそうにもなりました。しかし、所詮、甘ったれた寝言です。

原作の方では、最終章は、徹底的に、先生が少年Aを糾弾する場面となります(ここのしつこさは、映画の比ではありません)。これは、その生徒を、まず、大人と同等に扱うところから始まります。そして、娘を殺された母親が、その殺人鬼にどう接するものか、そう考えるなら、むしろ冷静すぎるくらいに、もっともな感じさえあるわけですね。
ただ、こうやって原作と映画を比べると、相当違っているし、原作には、原作の独特の世界観がある。原作は、各章が、ある登場人物のモノローグで統一されていて、なかなか「多様な読み方」を許すような、ちょっと複雑な感じがあります(つまり、各モノローグの、「かなりに嘘が混っている可能性がある、ということです)。
じゃあ、それに対して、この映画はなんなのだろう、と思うと、正直、クラスの生徒たちの、ほとんど学級崩壊のような姿や、あの「ミュージカル」のような雰囲気に、まったく、リアリティを感じなかった。原作にひきづられている面もあるのだろうけど、正直、各登場人物の言っていることが、本当に自分が思ってることなのか、なんなのか、すごく、判断がしづらい、結局、各登場人物の輪郭がよく分からない、謎ばかりが残るような映画だったんじゃないだろうか。
ただ、そういったことと関係なく、この映画の周辺的なことを最後に書いておこうと思います。
つまり、具体的な実行犯となる人々がすべて、なんらかの、「科学」に係わっている人たちだったことですね。これは、非常に残念でした。これで、また、日本に科学が根付くことは、何十年も遅れるでしょう。また、理系が人格的におかしい人たちの連中だと、子供たちは学校でいじめられるのを嫌がり、理系の進学を嫌がり、日本の科学の「失われた10年」が始まるのでしょう。あと、一種の「エリート」批判になっていたことも、非常に残念です。無邪気に勉学に励み、知ることの喜びを感じることを、悪意をもって、人格的に問題がある「可能性がある」ような描き方をされていたのは、単純に残念でした。やはり、勉強をやる人にはやってもらわないと、この国の未来はないんだと、そういうメッセージは受けられませんでしたね。
基本的に、どこの現場でもそうでしょう。官僚だろうと、小さな会社だろうと、功利的に行動しているのなんて、現場のリーダーくらいのはずです。そうでないと、みんないろんな作業が突然自分に襲ってくるのですから、仕事をこなせるはずがないわけです。みんな、祭り、みたいな感覚で勢いで、やるわけですね。そういった姿は、たんに、元気がよくて積極的な学校の子供たちと変わらないでしょう。そんな、性根から腐っている人間なんて、そうそう巡り合えるわけないんじゃないですかね。
そもそも、この作品は、かなりストーリーに無理がある。まず、なぜ、主人公の女の先生は、エイズに感染している子供の父親と結婚しないで、シングルマザーになったのか。もちろん、籍を入れなくても、一緒に暮せばいい。そこにかんしては、まったく納得のいく、説明がありませんでしたね。あと、なぜ、クラスは、この犯罪を犯した生徒たちに、自首させないのか。これも一切の説明がない。
ただ、中盤については、一点、比較的よく描かれているかなと思ったのが、各登場人物たちの中で、一人として、完全に俯瞰的に見れている人がいない、ことですね。お互いが、相手のある「秘密」を知ること、想像することさえ、おそらく絶望的なくらいに不可能な立ち位置になっていて、どうしても、そうやることが、実は、相手を傷つけていることになっている、という行動を平気でとってしまう、そういう場面が何度も描かれる。
すみません。体調が悪くて、ちょっと頭が回ってないですね。簡単ですが、これくらいにさせてください。

告白 (双葉文庫) (双葉文庫 み 21-1)

告白 (双葉文庫) (双葉文庫 み 21-1)