第二のハウスマン

このタイトルを見てなんのことを言っているかわかる人は、どうかしている。ハウスマンとは、アニメ「聖剣の刀鍛冶

聖剣の刀鍛冶(ブラックスミス) (MF文庫J)

聖剣の刀鍛冶(ブラックスミス) (MF文庫J)

の主人公セシリー・キャンベル、が暮らす独立自治都市国家の名前である(私は原作の方は2巻くらいしか読んでないので、適当なことを書いてるかもしれません)。この町は、ハウスマンという人が一代でつくった自治都市国家とあり、商人たち多く集まり、市場を活発に開いている、商売の盛んな、商業都市国家となっているところが特徴となっている。
まだ、できて、二代ということもあり、小さく、周辺の巨大国家と戦争などのトラブルに対応する能力はないが、少なくとも、統治機構は、この小国家で、独立している。
(昔の、琉球や、信長の頃の、独立自治都市、堺、のようなイメージだろうか。)
そして、ここで生まれ、育つ、セシリーは、何度もこの都市国家に自分がいる意味を問い直す、わけですね。なぜ、自分はここにいるのか。なぜ、この都市を守るために自分は、戦っているのか。
日本のマスコミを大いに賑わす、文化人というのは、日本の明治以降、たくさんいらっしゃり、今も変わらず、発言されている。多くは、大学教授だが、大学に所属せず、もっと、さまざまな文化人の方もいる。そういった人たちの発言を聞いていると、私は、

  • もう、やっちゃったら。

と思う。そういった人々の考えは十分に、魅力的だし、もう思想としても、確立している。あとは、実践あるのみではないのか、と思う。ところが、理屈で言っている限り、(帰納的に)証明されないわけだから、どうも説得力が弱い。やってみれば、どんな勉強嫌いの大衆にも、一目瞭然であろう。また、いろいろな問題も分かってきて、多くの知見が集まり、前に進めるだろう(そんなに、いい具合なら、国全体で採用してもいいかもしれない)。
もともと、哲学者とは、古代ギリシアでは、知を売る人、ソフィスト、のことであった。彼らは、どんどん、自分のアイデアを「売ればいい」。
私がイメージしているのは、参謀、のようなものである。
劉備玄徳には、諸葛孔明、がいたように、各実践家には、参謀が必要である。そして、名将は、彼を支える参謀によって、その器量が試される。
東京の、石原さんには、猪瀬さんが、参謀としていて、管首相には、小野理論があるように。
私が考えるのは、もちろん、地方自治である。中央政府が、地方に権限を移譲するということは、日本中の東京圏以外の地域を、
「特区」
にする、ということである。そして、各地域には、その地域に見当った、(東京に匹敵する)独立自治国家、が生まれる。その地域は、まさに、特区、という無法地帯化されることで、逆に、その地域=独立自治国家、の「慣習的な合意傾向をベースにもつ」ルールが自生してくる。そして大事なことは、そういった独立自治都市を中心として、
地域圏
が生まれていくことだ。それが地域だ。しかし、である。これだけでは、不充分なのである。私たちには、
第二のハウスマン
が必要なのだ。その地域が、独立自治国家、として自生していくためには、なんらかの人類史的な「理想」をもった、その独立自治都市がなぜ生まれたのか、なぜ、そこにあるのか。その歴史的使命を体現するものがなければならない。つまり、アイデアが必要であろう。
そこで、参謀、となる。彼らは、アイデアを売る。我は知を売る者なり。まさに、論語孔子の時代のように、諸子百家が、各思想を競うようになる(こういった人間に、多額のお金を払うことだって、合理的かもしれない)。その地域に、なんらかの「理想」を生み出すために、そういった、志高い、志士が、自らの信じる理想を、その土地に根付かさせる。そのことで、第二の、セシリー・キャンベルが、その地に育っていく...。