康熙奉『韓国の徴兵制』

中東のああいった光景をテレビを通してでも見ていると、ここ一年くらいで、どうなってしまうのだろうか、と考えてしまう。
エジプトの民主化運動に、私たちが驚かされたのは、なんといっても人口構成だった。30代以下が、
人口の大半
を占めてるわけで、若者が圧倒的に多いわけだ。多いのだから、若者の失業者も多い。あれだけのエネルギーは、若者が過半数(若者に選挙権があれば、若者が選挙で勝ってこの国をひっくりかえせる)という人口構成が生んでいることは間違いないだろう。
ひるがえって、日本の、逆ピラミッド、なのだが、若者が少ない。そのことが、彼らに、さまざまなストレスやプレッシャーを与える生活作法を強いていることは間違いない気がする。
ただ、他方において、日本の若者を過小評価する風潮に、ちょっと、うんざりしている(あらゆることは、多義的なのだ)。
近年、ゼロ年代やらなにやら、若者じゃない世代による、「代弁者」気どりの、若者論が多くとりあげられた。特に、アキバの加藤の事件がそうだったわけだが、一つ言えることは一様に、今の日本の若者を、
積極的に評価するものではなかった
ことだろう。
しかし、そうなのだろうか。
そんなことを、今週の、videonews.com の、むのたけじさんの話を聞いていて思った。
彼は、戦前の日本の農村の若者と比較していたが、日本の農村のライフスタイルは、極端に、内と外を区別するものだった、と言っていた。彼はそういった、戦前の学校が子供に「差別」があったことを、実際に見ていたから、今の子供たちが、外国からの子供とも、うまくつきあっていこうとしているのを見て、
ずっとこっちの方がいい
と思っているといったようなことを言っていた。
私も、まったくその通りだと思う。
今の日本の若者は、一人一人は、大事に育てられて、健康に育っている。甘やかさている、とかいうけど、愛情を注がれて育った方がいいに決まってる。絶対に、長い目で見れば、こっちの方が、社会的なギスギスした衝突の少ない、高度な自生自助秩序社会を築きやすいと思う。
なぜ、若者の話を書いたのかというと、掲題の本が、
徴兵制
について書いてあるから、である。今でも、論壇で、日本は徴兵制をやるべきだ、とか書いてあって、そこで必ず、今の若者の軟弱論が始まる。しかし、大いに思うのだが、
それの何が悪い。
なんで、そんなことをお前に言われなきゃなんない。年配の力関係をかさにきて、言いたい放題、人格攻撃しやがって。
ひとつだけはっきりしていることは、たとえ、徴兵制が復活しようが、入隊するのは、
若者
だってことだ。年寄りは、その若者に「守って」もらうんだろ。人にものを頼もうってのに、なんだよ、その口の聞き方。
年寄りのポンコツの体じゃあ、戦場で使いものになんねんだろ。さんざん、飲み食いして、そのゆるみまくった腹(はら)で、安穏と毎日を過ごしてきて、いざとなったら、助けてください、か。
たしかに、今の日本は、年寄りばっか、だ。選挙すれば、ほとんど年寄りしか投票しないし、年寄りの意見しか通らない。そりゃそうだ。選挙民の「ほとんど」が、年寄りですからね。
韓国の徴兵制は、おそらく、世界有数に、厳しい内容だろう。30歳までに兵役を終えなければならないわけで、まさに、
若者にお願いする
制度が徴兵制なのだ。

実は、韓国軍は徴兵期間の大幅な短縮に踏み切る予定だった。今までは陸軍と海兵隊が24ヶ月、海軍が26ヶ月ったのだが、それぞれ18ヶ月、20ヶ月、21ヶ月に改める予定だった。
しかし、南北の緊張激化によって、この計画は修正を迫られた。徴兵期間の大幅な短縮は兵力の弱体化を招くとして、国防省は当初の予定より短縮うる期間を減らすことにした。それによって、2011年からの徴兵期間は陸軍と海兵隊が21ヶ月、海軍が23ヶ月、空軍が24ヶ月になった。

ようするに、徴兵って、武器の使い方を覚えに行くわけでしょ(実践行動を行うことも当然、あるとしても)。しかし、そんな、一年ちょっとで、身につくんですかね。どう考えてもエキスパートを育成するためのシステムではなさそうすよね。
徴兵制のアイデアは、
殲滅戦
ですね。お互いの国が、自国の国民の大半を失なおうとも、それ以上に相手の国民を殺せばいいんだ、という。そうなれば、少しでも残った国民の、軍隊経験が生きてくる。しかし、この時代に、
殲滅戦
まで行くことを想定するって、どんだけですかね。そういう命令を下すことをロマンティックに空想する政治家って、どこまで無能なのか、とまで言いたくなるんですけどね。そうならないために、政治があるんじゃないかな。
徴兵制とは、言ってしまえば、公務員ですよね。軍隊に来た、若者の生活全部、国が面倒をみなければならない。
若者に武器の扱い方を、手とり足とり、体で覚えさせるために、いったいどれだけの、国民が払った税金が使われるんですかね。
武器の扱い方
ですよ。こんなことを覚えさせることに、ほぼすべての国民を一定期間、拘束するわけですけど、これって、どれくらい「効率的」なのですかね。
国家には、国民を縛りつける、さまざまな、ルールを生産できるのだろう。国家は、いざとなったら、なんだって、国民の自由を奪うことができる。だって、
国のため
なのだから。徴兵制は、1年以上、軍事施設内に閉じ込められ、外での社会的活動をできなくされる。
だったら、こう考えられないだろうか。
もし、30代以下の若者を、徴兵制で「なく」、1年以上、強制的に、
なんらかの施設に閉じ込め、
ることが許されるとするなら、なにをしてもらうことが、最も、
国益
に資することであろうか。私は、そんな「貴重な時間」なら、全員が、
武器の使い方を手とり足とり
って、いや、そーゆー人がいてもいーですけど、「みんな」がそれって、ナンセンスにしか思えなくてね(パソコン教室じゃないんだから。文房具の使い方を覚えよーって、なんなのか)。
もっと、クリエーティブなことやりませんか。たとえば、日本中の貧困層が、どのような行動をしてもらうことが、国内のお金の流通を活発にして、国民の富を増やすことができるかを考えて、実践してみるとか、例えば、北朝鮮の大衆が民主化に目覚めれば、彼らの戦争のモチベーションが下がるんだから、どうやったら、北朝鮮民主化を推進できるかを考えて実践してみるとか(韓国でも、多少は、そういった専門的なものもあるようですけどね)。
たとえば、こんなアイデアはどうだろうか。
日本、徴兵制復活。
そうアナウンスをしておいて、実際に行う政策は以下です。

  • 徴兵制で集めた若者は、4年間、絶対に「大学生」にならなければならない。
  • 徴兵期間の4年で、学位を取ってもらい、各自の専門を極めてもらう。
  • 徴兵制なので、「学費」は、国が出す。
  • 徴兵制なんだけど、「武器の扱い方」みたいな「科目」は、卒業に関係ないので、選択科目のスポーツ辺りで、やりたい人にやってもらう。

つまり、
<徴兵制=バラ色のキャンパスライフ化>論
だ。
または、こういうのはどうだろう。

  • 徴兵制で集めた若者に、武器の使い方を学んでもらうためには、まず、武器がどのような、自然科学の理論によって作られているのかを、学んで理解してもらう必要があるということで、大学で4年間みっちり、自然科学を学んでもらう。
  • すると、高校の日本史の授業が、現代史に入る前で終っちゃうように、時間がないのでってことで、武器の使い方訓練は「省略する」。

今回の掲題の本を読んで、私は逆に考えさせられた。
平和な時代において、徴兵制(全員、軍入隊)、があるということは、なにを意味しているのか、と。
私たちが徴兵制と聞くと、明治以降から、終戦まで、を考える。しかし、その間というのは、なんだかんだといって、日本は近隣諸国に軍を送るなどして、常に、少なからずは、戦争状態だった。
しかし、今、韓国は、戦争状態と言うには、やはり、平和だ。韓国財閥が、世界中でお金を稼ぎまくってるわけで、これを平和と呼ばずして、なんとなるだろう。
そういう平和が実際ありながら、国民の男子が「全員」軍に来るわけですよね。彼らは、軍の中で何をしているのだろう?
掲題の本を読むと、韓国の徴兵された人々が語る内容は、つまりは、先輩の言うことは絶対。先輩による、後輩の「いじめ」。先輩による、後輩の「精神的ないびり」。
ようするに、軍隊内部というのは、ある意味、
平等
だということなのだ。国家機関であり、どんなにお金持ちだろうと、「平等に」先輩に、いじめられる。一切の富裕階級に関係なく、「すべての」国民を一つのところに閉じ込めたら、どういうことになるのか。もしかしたら、韓国ナショナリズム感情の基盤はこういうところにあるのかもしれない。なにせ、すべての国民が、この「いじめられる側」と「いじめる側」の役割を強いられるのだ。これこそ、義務教育以上に、義務教育的に、
共通感情
を植え込まれる儀式はないかもしれない。
韓国の徴兵制は、男性のみ、である。女性は徴兵されない。なぜ女性が徴兵されないかを考えると、あまり合理的な理由が思いつかない。
つまり、こういったところにも、ある種の、
ロマンティシズム
があるのだろう。女性が韓国軍の半分を構成したとき、間違いなく、上級生による下級生への「いびり」的しごき(つまり、いじめ)は、その様相を一変するだろう(だって、女を殴るしか能のない男など、どんなに上司だろうと、たんに、最低だろう)。
もし、女性までを、徴兵するなら、またさらに、1年といわず、何十年も徴兵するとしたなら、それは、まさに、
社会主義
であり、
公共事業
になるだろう。兵士とは、公務員であり、官僚なのだから。
徴兵され、若者が学ぶことは、
どうやって敵を殺すか、である。人の殺し方を学ぶのが、軍隊だ。どういう角度で、人の体にナイフを刺しこめば、死ぬか。どういう物理的な衝撃を、人の体のどこに与えると、死ぬのか。人をどうやったら殺せるのか。これを、日がな一日中、寝る間もおしんで考えることが、彼らの日常となる(やられる前にやらなかったら、自分が死ぬわけですからね)。もし、敵を殺せたら、
負けることはない。
それだけ、勝てる可能性が高まる、ということを意味するだろう。どうやったら、あいつを殺せるか。これを、毎日毎日、考える...。しかし、これら「すべて」、
軍の外に出れば「絶対にやってはならない」。一人の個人に戻ったら、今まで身につけたことは、一切、「どんなことがあってもやってはいけない行為」になる。むしろ、実践したら、牢屋に入れられて、裁かれる(殺される)。
つまり、そういう「作法」を反射的にやってしまうまでに、トレーニングされるところが軍隊なのだろう。市民法は「あらゆるトラブルは、できるだけ暴力に頼ることなく、解決しろ」と命令している。そのための方法を考えることの方が、どれだけ有益なんじゃないですかね。
こんなことを本当に、「すべての」日本人がやる必要があるのだろうか? (若者なら、きっと同じように疑問を思うだろう...)。

韓国の徴兵制 (双葉新書)

韓国の徴兵制 (双葉新書)