気持ちがわるい全国標準語

近年のアニメの傾向として、なんとも気分が悪くなるのが、この「日本語」が、あまりに、全国共通語、なところではないだろうか。
子供たちが、そろいもそろって、あきらかに、形式ばった場面で、大人の前で、なにかをしゃべらされているわけでもないのに、「完璧な全国標準語」で話し続けるわけで、それだけで、むずかゆくなってくる。
なんなんだろう。ちゃんとした教科書推奨の日本語が話せて、ほめてもらいたいのだろうか。
非常に、リラックスした、別に、論理的な議論が求められている場面でも全然ない。しかし、そーいう場面でも、まるで教科書から飛び出してきたかのような、
パーフェクト全国標準語。
お坊ちゃん、お嬢ちゃん。勉強のしすぎじゃあれ、しませんかね。
(男の子の声を、女性の声優がやっていることとも関係するのだろうか。あらゆるキャラが、ホモっぽいし、オネエっぽいし...。)
なんていうかな。
一言で言うと、みーんな、
いーとこの坊ちゃんが子供の頃夢見ていたものを
作ってみました
なんじゃねーかな。やたらと礼儀正しくて、天然なところが、女にもてるって、
なにそれ、ありえねー。
こんなの全部、ちゃんちゃら、おかしい。
全部「作り物」だ。
うちら庶民は、子供の頃から、頭の中は、
お金
のことで一杯なんだよ。今日、いくら使ったから、残りの小遣いは、いくら残ってるから、マンガがどれが買えて、次にお小遣いをもらえるのはいつだから...。あいつを口先で言いくるめて、食いもんおごらせよう。そうすりゃ、いくら、お金が残って、別になにに使えて...。
いつも、いいとこの坊ちゃんが、買ってた高価なものを、うらやましそうに見ることしかできなかった、ってもんだろう。
物を買う行為というのは、まさに、生活の現場だ。いくらで、それが買えるのか。もう少し安くならないか。いつまで、売っているだろう。どれくらいの間、買うかやめるか、悩んでいる時間があるか。どうやって、それまでに、親からお金をせびって、揃えるか...。
物を買うためには、売ってくれる相手がいる。お互いが、かわす
契約
の交渉は「マジ」なのだ。マジだからこそ、お互い「ホンネ」で語らなければ、信頼は成立しない。どうしても、どうやったって、なにを我慢してみたって、
お国言葉
が、こういう場面では出てしまう。お互いの会話の
子供の頃からの
「交渉術」をフルに使って、相手の感情を読み、相手の本音を引出すことによって、お互い
ウィンウィン
の契約が成立する。お互いの心の中が、どんなにドス黒かったとしても、
自分がいい子
かどうかなど、どうでもいいのだ。
欲しいものがある。
自分にはあるのだから、それをどうやって手に入れるか。頼むから、気持ち悪い「全国標準語」コピー教団、フラット革命を
革命
してくれないかな。
(上記については、「とある魔術」の一方通行が、上記のような状況の中で、まったく、ひどいくらいに反対を描いてるなーと思いながら、書いてたんですが(一部のライトノベルには、そういった大衆の不良文化や、ジャンクな感情をすくい上げている側面を感じる)。あとは、「まどマギ」ですね。これが上記の意味での、ある種の
契約
の問題と、正面からとりくんでいることが、評判の高い理由なのかもしれない。)