(微量)放射能が「体に害なし」と言って譲らない連中の正体

私たちは、むしろ、今、脱原発に反対している人たちが、どういったロジックによって、そう主張しているのか、を丁寧に「ねちねち」と検討する必要があるんじゃないかな。彼らがなぜ、そういった主張をしているのか。私たちはそういった
中野重治的)闘争
が求められているだろう。
あいかわらず、日本では、原発推進派が多いようだ。私たちは、それがどういった「構造」になっているのかを分析する必要があるだろう。
まず、国家と、企業、消費者の関係はどうなっているだろう。

  • 税金:企業 --> 国家
  • 税金:消費者 --> 国家

これをみると分かるが、企業と消費者は、税金という観点からすると、同列の位置関係にあることが分かるだろう。もし国家が必要なお金が一定だとするなら、それを国家が手に入れる手段は、

  • 企業から取るのか
  • 消費者から取るのか

の二つしかない(もちろん、国家が自分で稼ぐとか、自分でお札を刷るとかあることはあるが、今はそれを考えない)。ある金額が足りないとなったなら、いずれにしろ、どっちかからは取らなければいけない、ということになる。
ということは、どういうことか。企業が「儲かる」てっとりばやい方法は、今、企業から徴税している税金を「すべて」消費者に負わせればいい、となる。
同じことは、原発事故の賠償にも言える。
原発事故の賠償は、法律によって、国家がある程度は支払わなければならない。しかし、そんなことになったら、もし、その事故の規模があまりに大きかったら、きりがないくらいの賠償額になってしまわないか。
こういう場合も、上記と同じように考えてみよう。

  • そもそも、原発の事故の被害は、「被害のうちに入らない」とするのだ。

放射性物質なんて、むしろ、体にいいくらいで、ばらまくことで、国民の健康を良くしてやってるんだ。こう主張をすれば、今、東電がばらまいてしまっている放射性物質に対して、国は国民に賠償をしなくてよくなる。
しかし、実際に、国民の多くは避難をしているし、地元で育てていた農産物が売れなかったりしているんだから、そういった被害には賠償が必要なんじゃないか。いや、これも必要ない。というか、そもそもなぜそうなったのか、を考えればいい。

  • だれが「放射性物質は身体に悪い」なんて言ったのか。
  • 原発派でしょう。

つまり、反原発派の国民への「マインド・コントロール」によって、国民は、本当は食べても大丈夫な福島の農産物を敬遠して食べないのだから、悪いのは、反原発派のデマ(プロパガンダ)だ、となる。つまり、そういった被害を受けた、国民は、国や東電に賠償を求めるのではなく、広瀬隆さんなどの、原発は危険と訴えてきた人たちを訴えて、こういった人から、お金をせしめればいい、となる。
こうすると、国家は原発被害者に賠償をしなくてよくなる。すると、大変に都合がよくなる。

  • 税金:企業 --> 国家
  • 税金:消費者 --> 国家

の「税金」を増やさなくてもよくなる。「誰も困らなくなる」。それどころか、反原発派という「極左」集団を、一網打尽にでき、日本という国が、

になる、というわけだ。積年の恨みの左翼を日本から追放できるのだから、まさに、「ユートピア」ってわけですか。
こうやって、新たな錬金術が誕生する。

  • 原発事故 --> 反原発派に対してデマを理由に避難をした人への賠償を要求 --> (すべてを反原発派のせいにしてしまうことで)国家も東電も損害賠償をしなくてよくなる --> 反原発派はお金がなくなり日本にはいなくなる --> 日本には反原発派という極左がいなくなることで「どこも汚れていない美しい国」になる --> 国民も企業も原発事故による一切の税金の増加をまぬがれる --> つまり、原発はこれからも日本にいくら作っても(同じようにやれば)「大丈夫」ということが分かり、原発が増加し続ける

さて。みなさんは上記のような「ユートピア」に住みたいですかね。
上記の主張の何が間違っているか?

  • 原発派はなんとか人々の被曝を少なくしたい --> 少しでも学会で危険性が言われている事態であれば避難を推奨する --> 国家と東電はその行為がそこまでひどいことなんて「完全に証明」されていないんだから(少なくとも彼らは疑っている)、こいつらのデマで国民が危険回避したことによる「経済損失」をどうしてくれるんだ! と、責任を反原発派に押し付ける

つまり、「なにかを主張することが誰の利益になっているのか」、「なにがアカデミズムで定説となっているか、もし異論があるなら、それは論争になっているのか」、この辺りだろう。
一つだけはっきりしていることは、原発は、一つの企業ではそのリスクをとれない。だから、なんらかの形で国家が介入せざるをえない。すると、上記の問題が発生する。国家の負担を誰が負うのか。企業は負担を負いたくない。税金が上がるのは嫌だ。じゃあどうする?
国民に押し付ける
しかないだろう。
ここで、ある種の「逆」の発想がありうる。原発は、一つの企業ではそのリスクをとれないのではなく、そんなリスクなんて「存在しない」と真っ向から、現在のサイエンスの定説を否定する、という方向だ。
この立場の「おもしろい」ところは、結果として、(原発事故の周辺の地元を除いた)企業への国家からの負担をまぬがれられる、ということだ。もちろん、被害者は本来は国家や東電から賠償されなければならないのに、安全デマによって、その賠償を受けられなくなるというのだから、重大な損失だが、原発事故の周辺を除いた、その他の地域に存在する企業は
税金
でしぼられることがなくなるのだから、「ハッピープラン」ということになる。
原発問題の一つは、その原発が存在するのが「地方」だけ、というところにある。原発推進派は、もし原発の被害を受けたくなければ、「地方」に住まなければいいじゃないか、という地方への「差別感情」がある。明らかに、東京はリスクが小さい。
だから
彼らは、たとえ自分が主張している放射能が健康にいい説が「嘘」でも、それが「あと何年か」もってくれるだけでも、その間は、自分たちはいい思いをできると考える。つまり、彼らは基本的に他人事であって、地方の人たちがそれによってどんなに苦しんでも、「自分は関係ない」と思える連中なのだ。しかし、彼等の本音をもっと言えば、「みんなそう思ってんだろ」となる。多数決とは程のいい差別に使えるわけで、企業が功利的に生き延びるというのは、そういった、地方の原発被害者に被害をなすりつけて、「儲ける」ということなわけだ。)
では、これを最大限に突き詰めるとどういうことになるだろう。現在のサイエンスでは放射性物質は危険だと「なっていない」ということにしてしまえばいい。
たとえば、池田信夫ツイッターで自分のネタ元に、松本義久と中村仁信をあげていたが、この二人こそ、
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で、トンデモ扱いされている急先鋒であろう(私たちが、311すぐにさんざん、大手メディアで聞かされた、安全デマの発信源だ)。また、池田信夫がブログで得意げに紹介している、ウェード・アリソンについては、ECRRのバズビーが以下の記事で批判している。
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こういった、トンデモ安全デマ厨の放言に311以降、大手マスコミを通じて、さらされ続けてきた私たち日本人にとって、もう一度基本に戻って、放射能の基礎から、説明しているのが、今週の videonews.com
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での、高木学校の医師の、崎山比早子になる。
どうも、安全デマ厨の主張は、主に、二つあるようである。
まず、一つ目の主張が、

  • 急性障害での癌は、100ミリシーベルトでも、たったの千人に五人。日本人が癌で死ぬのは、30%なんだから、30・5%で、「たいしたことない」。

というものになる。どうせ、30%もいるのに、たったの千人に五人、ということらしい。これについては、

でもそれは、例えばですよ、因果関係がすぐ分かってすぐ死ぬとかすぐ病気になるっていうことだったら、例えば今、ワクチンを打って千人のうち五人死んじゃったらどうですか。ものすごい社会問題になる。癌の場合は、癌っていろんなファクターで病気になるということと癌になるまでに時間がかかる、ということで因果関係がすごく証明しにくいっていうところがありますよね。
http://www.videonews.com/on-demand/531540/002016.php

ここにあるように、癌での死亡の「因果関係」を決定することは難しい(だから、統計的に証明されるのだが)。そりゃ、60歳が20年後に癌になっても、もう寿命と区別がつかないかもしれないが、5歳が20年後に癌になったら、それでも30%と区別つかん、と言ってられるのかな。そもそも、千人に5人増えたら、少なくとも、癌の専門の病院は、患者でいっぱいになるんじゃないかな(まあ、少なくとも、30%に対して、0・5%は誤差、という話じゃないよな)。
そして、もう一つの主張が、

ってやつですね。
しかし、こういった話について、そもそも学会はどうなってるのか、ですよね。

研究者っていうのは、やっぱり自分で関心があって興味真実を追求するために実験やなんかやってるわけですよね。だからそういうものを積み重ねることで、ほとんど発癌というのはもうかなり分ってきてて、遺伝子の変化で起るってことも分ってきて、どういう遺伝子の変化、そのDNAの傷の付け方ですね、そういうことで、かなり分かってきて、学問的にはもうあまり議論がないところなんです。で、あいかわらずもうずっとこう一ミリシーベルトが癌になるかならないか。こんなことでずっとやってるのはやっぱり学問のレベルじゃなくて、もう社会的経済的、わたしはいつも社会的経済的というように言ってるんですけれども、あの、実際問題として発癌、たとえば、放射線影響学会とか、そういう学会でね、一ミリシーベルトが癌の原因になるかならないかっていうようなことを学会のテーマとして問題にならないですよ、もう。そういうことは。もう、当たり前すぎて。自明で。
http://www.videonews.com/on-demand/531540/002016.php

なんか変だぞ。経済のリフレ派のように、その分野の学会で、喧喧諤諤の議論があるのなら、私たちも、まあ、しょうがないかな、と少しは思わなくはない(まあ、そんな議論なんてない、という人もいるのだろうが)。たしかに、住民が避難をすれば、それによる経済損失もあるだろうから、そこは、科学的にやんなきゃなんない。
ところが、どうだ。学会じゃあ、もうそんなこと話もでないというじゃないか。おい。どーなってんだ。
CRPも、どこも、基本的に、閾値なし直線モデルを受け入れてるんだろ。完全に学会じゃあ、もうそんなこと当たり前すぎて、話も起きない、だれもそこで話題にすらしていないというじゃないか。

たとえば原発サイドで働いている人達は線量計をつけてますよね。で、線量計を付けてずっと累積を計算して何ミリシーベルとやってやってるわけですよ。たとえば今日一マイクロシーベルと明日二マイクロシーベルとで一マイクロシーベルト、二マイクロシーベルトがぜんぜん癌の原因にならなかったら足す必要ない。実際問題、足してるってことはゼロじゃないってことを知ってるわけですよ、みんな。それが放射線防護の指標になっててどこの原子力発電所だって一マイクロシーベルトだから今日は足さないなんてことありえないわけですね。自動的にみんな中央管理システムの方に登録されててで、何年間で何ミリシーベルト浴びたからって、たとえば労災で申請するときでも総量ですよね。累積線量でやってる。で、そのときに、一マイクロシーベルト以下はぜんぶ消しちゃったら、累積しないでしょ。で、実際彼等はやってるわけです。で、それで問題ないっていうなら、理論的な矛盾じゃないですか。
http://www.videonews.com/on-demand/531540/002016.php

そりゃあ、そーですよね。だって、学会でもう議論なんて起きないくらいに、もう
定説
なんでしょ。だれだって、そんな状況で「一マイクロシーベルト以下は積算しません」なんてやられたら、怒りますよね。
そうすると、一つ疑問が湧いてくる。
なんで100ミリシーベルト以下は分からん分からんを、一部のトンデモたちはぶーたれるのを「いつまでも、いつまでも」止めないのだろう?

これはね、アメリカの科学アカデミーから出てる雑誌に出された論文から取ってきたんですけどね。大体ここらへんまでは、疫学調査で分かるわけですよね。で、あのー、疫学調査でこれぐらいの、たとえばですよ。ここが五十ミリシーベルトだとしますと、最低五十ミリシーベルトだと、これ、この論文の時は二十とか言ってましたけどね。で、そのときの疫学調査では、そこまでは癌になる人が増えるっていうことは分かる。でそれ以下の場合は、もうそういうものを疫学調査で調べることはできないわけです。なぜかっていうと頻度が下がるわけでしょ。そうすると集団を大きくとらなきゃならない。たとえばここが百ミリで千人集団が必要だとすると、十ミリだったらその百倍必要になるわけです。そのそれだけの精度で差をみる、と。十万人っていう単位でコントロールと実験っていうんですか、それを二十万人いるんですよね、で、全部条件を合わせて、何十年も、調べられないじゃないですか。だからそういう意味で、このところでは、疫学的には分からない。で、それでどういうモデルでここを推定するかていうことを議論した場合に、この閾値なし直線モデルですか、このAっていうのが、世界的に言われている。
http://www.videonews.com/on-demand/531540/002016.php

それは、だから、十ミリシーベルトで癌が有意に増えているという証拠はないって彼等は言うわけです。百ミリシーベルト以下は彼等は有意に癌が増えている証拠はないと、そういうふうに言うんですけど、それはあくまで疫学の問題であって、そういうふうにおっしゃるんだったら、十万人づつを調べられますかって言ったら永久に調べられない、永久にそれじゃあ答えがでないってことを分かっていてそういうふうに言ってる。でも、だからそこが、基礎科学の出番っていうわけですよ。癌はどうしてできるのかとか、DNAの傷がどういうことでできるのか、そういうことが補ってあるわけです。DNAの傷っていうのは、その放射線の量に比例して一ミリシーベルトからざっと直線にいきますから、そういうことを考えると、原因がそうなんだったら、やっぱり、そう考えていいんじゃないですか、ゆうふうに言っている。
http://www.videonews.com/on-demand/531540/002016.php

つまり、そもそも、疫学的に証明できるわけがないのに、「まだ証明されてない」とか、のたまってるってわけでしょう。やれるわけがないのに「まだわかってない」。だってさ。こんな言い方をしている連中の、
学問的な誠実さ
をどうして疑わずにいられますかね
番組の方は、その後は、結局、国家と国民には、この問題で利益相反があるんだから、国民は国家とは別の「市民側」の科学者を
育てる
必要があるんじゃないか、という方向に議論が進む。311以降に多くの有識者がなさけない醜態をさらしたのは、この、国家と国民に利益相反があるような場合に、結構安易に、国民を「市民運動=左翼」と言って、信用できない連中として、国家の側に立ったことからなのでしょう。だとするなら、この
市民科学者
というアイデアを、どういった理念によって実現を目指すのかが、なによりも問われていることだ、と。どうなんですかね。こういった問題意識をもっている、有識者がどれくらいいるのか...。