お年寄りのIT化、ユビキタスのクラウド化、個人の多層化

近年もよく言われることが、インターネット利用者の分布が明らかに、貧富の差を反映している、ということだろう。
明らかに、貧乏な家庭では、インターネットをやっていない。今まで通り、テレビと新聞の
世界
を生きている。この状態をほっておいて、今の、インターネットの進化のトレンドはなにか、みたいな記事ばかり書いている人のものを読んでいると、あーようするに、こういった人たちは、インターネットをやってない人のことは、どーでもいーのね、とちょっと皮肉の一つも言ってみたくなる(そういう、
民主主義
なのね、と)。どーせ、インターネットをやらない、イコール、その能力がない、イコール、がんばってやろうという努力をやらない、イコール、そんな怠け者に付ける薬はない、と。
たとえば、子供が親に無理矢理押しつけて、使わせる、というのはどうだろう(こういうことを、もっと総理大臣が言えばいいのだろうが、そういった総理大臣が、ほとんどネットをやってないんでしょうからね。オバマを見慣らったら、と)。有線LANの光などの回線を引くのも面倒だというなら、イーモバイルの PocketWiFi みたいなのを買って、子供がたまに、親のところを訪れて、メンテすれば、大抵は問題なさそうに思うが(月々2千円程度だから、この程度、子供が買ったまま自分で払ってればいい)。
問題は何を使うのかだが、近年、流行しているのは、iPad だろう。これには、幾つか利点があって、まず、壊れにくい、つぎに、年寄の特徴の、老眼で小さい文字が見れない問題を、例の指で広げる動きで、拡大できるので、というか、iPad なら、たいていの動きは、
ほとんど自然に触る動作
をしていれば、たいていのやりたいことには到達するので、直感的にもいいかな、と。ただ言われているのは、パソコン(母艦)が「必要」とされてることで、そう考えると、他社のタブレット系で、別の「こういった利点を同等にもつ」製品を検討することは、やぶさかじゃないだろう。
基本的に年寄は、クレジットカードを作らない生活をしているので、どこまで、インターネットが普通になるのかは分からないけど、まあ、可能性はあるんでしょうね。
ケータイに代わってスマホが普及してきている、という話を前で書いたが、スマホがほとんどPCと変わらない機能をもち始めるということは(ここで、
eclipse
からなにから動いたら、ほんとなんにもいらなくなるんですけどね)、それだけ、さまざまな
コンテンツ
を、「自分用」に持ちたい、という需要がでてくるであろう。今は、microSD カードも大容量になってるので、大量に置いておけるが、よく考えてみれば、こういった使い方は
邪道
だろう。だって、今はクラウドの時代。evernote なりなんなりで、なんでも、クラウド上に置いておけば、ネットで必要なときだけ、とりに行けばいい。いつも「中」に入っていなけりゃならないって、そういうのは、ネットにつながらない場所でも使わなければならない、というごく限られたものだけ、置いておけばいいでしょう(そういうものこそ、基本的なエディターとか、限られたものなんですけどね)。
アプリだってそうだろう。そのバイナリがいつも、中になければならないというのも違うだろう。それほど使用頻度の低いものは、クラウド上に置いておいて、必要なときだけ、その機能を呼出すなり、バイナリをダウンロードするなりで、いいんじゃないかな。
今さら、ポストモダン先導士のように、自分とは何か、みたいなことを言いたいとは思わないが、自分とは「どれか」みたいなことは、思わなくはない。
たとえば、ツイッターで、アカウントを一つじゃなく、何個も作ったとしよう。そして、そのどれでもつぶやいたとする。また、それぞれでつぶやく内容を一緒にはしないようにしたとして、そして、それなりに使っていったとき、それぞれでなんらかの特徴があらわれてきたとする。
もし、この複数のアカウントを、ある人がそれぞれ読んでいたとして、もちろん、これらが同一人物が書いているとその人は知らないとして、
なにか困るだろうか。
もちろんこれは、ツイッターだけじゃなくて、フェースブックなどもそうだろう。さまざまなところに、次々とアカウントをつくり、それぞれでなんかつぶやく。こういったことは、たしかに、やっている人は大変そうに思うかもしれないが、近年はこういったSNSの統合ツールのようなのもでてきているし、技術的な問題はいくらでも容易に解決するだろう。
ある、オタク系の人たちと和気藹々やりたい雰囲気のときは、
そいつ
でつぶやく。リア充系の、もろ実名で、仕事仲間や学校時代の友達と遊びたいときは
そいつ
でつぶやく。まったくそういったものと関係なく、2ちゃん的に、ぶつぶつ言っていたいときは、
そいつ
でつぶやく。こうやって考えると、ネットはどんどんと
現実世界に近くなっている
ということなのかな。現実世界では、人それぞれ、幾つかの「島宇宙」への所属かけもちしている現実を反映している、と。
おそらく、ネットは現実を「完全に」マッピングするんじゃないだろうか。この2ビットのデジタル世界には、それだけの「能力」がある(ゲーデルの算術化みたいなものだ)。だとするなら、少なくともそこまでは行くのだろう。
そして、多くの人たちが、その利点に気付いていく。なぜなら、デジタルデータは、非常に
扱いが容易
だからだ。さまざまな加工をして、シミュレーションもできる。統計もとりやすい。ヴァーチャル空間上で「実験・検証」してから、リアル空間を更新していく。
さて、ある日、その人はちょっとした記憶喪失になり、それら自分がつぶやいていたアカウントを全部「忘れた」としよう。じゃあ聞こう。
「そいつら」は誰だったのかな?