吉永裕ノ介『ブレイクブレイド』

すでにコミックにして、10巻まできている作品だが、その第10巻は一つの区切りとなっているだろう。
この世界においては(クルゾン大陸)、地中から化石燃料が採れない。そのかわりに、ここにおける人間には、生まれつき「石英」という鉱物を通して魔力が使え、それによって、私たちの世界のような、さまざまなエネルギーを使えるような形になっている。
主人公のライガットは、そんな世界の中で、めずらしく、こういった「石英」を使う魔力をもたない。田舎で暮らしていた彼を、学校時代の友人である、現クリシュナ国王のホズルに呼ばれ、クリシュナに訪れるところから話は始まる。
この作品は、ロボットものと分類できるだろう。
この世界における人が搭乗する形の、人型ロボットも、当然「石英」によって動かすのだが、ということは、当然ライガットは動かせない。ところが、たまたま、遺跡として発掘された古代の「ロボット」を、だれも動かせなかったのに、ライガットが動かすところから話は始まる(お決まりの、初搭乗シーンというやつ)。
ライガットはそういったごたごたがありながらも、田舎に帰るつもりでいたが、ホズルが「降伏」を考えていること知ることで、クリシュナの軍に入隊を決意することになり、作品はより、戦争物の様相を示してくる。
この戦国時代において、小国クリシュナは、大国にはさまれ、それぞれの大国の利害に翻弄される。どちらかと組んでも、利益にならないと判断されれば、見捨てられる。かといって降伏をしたとしても、相手の都合によっては、みせしめとして、国王一族の皆殺しもありうるであろう。しかしそれでも、ホズルは降伏を選ぶことを考え始める。なぜなら、もしホズルが自らの死を選ぶことによって、民(たみ)が生きられるとするなら、それを選ばない理由はないと思うからである。
戦争とは、人間が人間を殺し合うわけで、一種の共食いのような現象なのだろう。これは、徹底すれば、この世界から人間はいなくなることを意味する(もちろん、勝者だけは最後に生き残ると思いたい人もいるかもしれないが、基本的にあらゆることは、同士打ちである。違いは、傷の深さにすぎない。戦争とは消耗戦であり、もし全ての人が全ての人と戦争をしているなら、究極的には、一人だけしか生き残らないと言いたくなるかもしれないが、それは、人間が滅びた、と変わらない。つまり、人間は協力し合わなければ「ならない」という厳然たるカント的な命法が存在する、ということになる)。
小国クリシュナにとって、もし降伏しなければ、以前読んだ小説「墨攻」のように、小国の国民
すべて
が殺されることを免れるなら、降伏を選ぶことは選択肢となるのかもしれない。しかし、降伏したからといって、本当に助けてくれる保障はない。そもそも、降伏に国王以下の一族の死が条件だとするなら、降伏はこの国家の正統性の終焉と同値であり、たとえ民が生き残っても、彼らの「アイデンティティ」を維持し続けられるのかは分からないだろう。
そもそも、そういった条件は「国民」が黙っていないだろう。国のために命を投げ出すとはつまりは、国王一族をお守りしたい、という意志と同値だと考えるなら、国民にとってそういった降伏は受け入れられない、という思いは強くなるだろう。
つまり、この小国クリシュナは、日本の太平洋戦争の降伏問題と同値の問題提起をしていると考えられる。日本は降伏すべきだったのかどうだったのか。いや、結果として降伏を選択して今の日本があることを考えたときに、ああやって降伏を後までずらしたことはどうなのか。
結果としては、ライガットの説得もあってか、ホズルは降伏を先伸ばしにしている、というのが作品の今の状況と言えるだろう。
ライガットは、いわば、なんの国家とも関係ない、田舎で父親の仕事を引き継いで農業をやることを考えている青年にすぎない。彼はそもそも、戦争に反対であり、殺し合いを正当化する人間ではないのだろう。
そんな彼が、クリシュナの軍隊に入り、最初に知り合うのがバルド将軍の息子の「ジルグ」である。ほとんどシロウトのライガットにとって、この圧倒的な戦闘力をほこるジルグは、味方にさえ平気で武器を使うほどに「たとえ」人格的に問題があったとしても、戦友として彼は受け入れていく。
その彼が、敵軍ののボルキュス将軍に捕えられたとき、ジルグがライガットの身代りになって、ボルキュス将軍に射殺されたことに、ライガットは悩む。
なぜジルグは、彼の身代りを自らかってでたのか。
自分など比べものにならない才能がありながら、自分を生きさせるために、自ら死を選んだジルグに、理不尽さをぬぐえない。
第10巻は、そのライガットがボルキュス将軍との一騎打ちに勝利し、敵軍を追い払う場面が描かれる。
戦争とはなんだろう。
ジルグにとって、ある意味、戦場で死ぬことを疑ったことはないのだろう。自分が使えるから戦争に使われること、そして、父であるバルド将軍の自分への態度(そういう意味では、ライガットは誤解している)。
人を殺して生き残るということは、人に殺されて死ぬ、ということと双対の関係にある。殺されることが、結果なら、殺すことも結果であって、そのどちらが実現したのかは、ある意味どっちにしても違わない、という部分こそが
戦場に立つ
ということなのだろう。私は上記で戦争の「不可能性」について述べた。つまり、戦争とはどうしても非人間的な側面から逃れることはできない。つまり、戦士はどうしても、精神的に病んでしまう。
勝っても負けても。
では、なんのために戦うのだろう。おそらくそれに結論がでることはない。せいぜい、生き残った奴らにそれを考えてほしい、と言い残しておくことしかできない。つまり、生き残った戦士たちは、どこまでも、
彼ら
死者たちとの対話を止めることはできないのだ。
第10巻の最後は、戦勝パーティの場面となるが、戦士たちの足は自然と、戦没者慰霊墓地へと向かう。彼らの
戦友
はそこにいるのだから...。

ブレイクブレイド (10) 限定版 (Flex Comix)

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