福島の子供たちによる「子供宣言」

原発問題がやっかいなのは、その放射能という現象が、日本の戦後の出発点において、重要な意味をもってしまったがために、どこかダブー視されているところにあることではないだろうか。
放射能に対する態度は、広島長崎の原爆反対運動や平和運動とも関係し、政治の場での一つの立場となってきた。それだけに、どうしても国民の意見は、そういった政治的な党派性を逃れて話せない。というか、自分ではそんな立場は関係ないと話していても、受け取る側が結局はそういった枠組みに収めて理解してしまう(そういった状況があることを話している人だって分かっていながら、俺を分かれってプンスカ怒ってる)。
言うまでもなく、内部被曝の問題は、一種の「蓋然性」の問題であって、確率的に議論される。言わば、各個人で考えれば「その程度」の現象にすぎない。予防原則ということで言われるように、あくまで予防的観点から、避難などが考えられる問題で、いわゆる急性の緊急の問題ではない。そして言うまでもなく、その確率は、どっちみち低いことには変わりがない。
しかし、その確率が低いということが、結局はどういうことか、が問われているのであって、例えば、千人に一人が癌や白血病にかかる、と言ったとき、自分が宝くじをいくら買っても一等が当たらないように、そう簡単に千人に一人に自分がなることはない。しかし、それは自分が癌になることはない、という意味ではない。
(そういう意味で、マンガ「イキガミ」は非常にこの現象を分かりやすく描いてくれている。)
例えば、もし千人に一人だとするなら、福島の癌専門の病院には、これからかなりの患者の増加となるだろう(これは、武田邦彦さんがブログで書いていたことであるが、福島原発の事故の現場近くで癌や白血病になる人数が各年代で、どれくらいの倍率で推移するのか、と問うべきだろう)。しかし、逆も言える。それなりに増えると分かっているなら、行政は先手を撃って、健康診断を行い早期発見で治療していく、という戦略があるだろう。
こういった事態に対し、はっきりと一つだけ言えることは、上野千鶴子さんの言う

  • 当事者主権

ではないが、当事者たちが自分たちの立場を明確に表明していくことなのではないだろうか。
だれが決めるのか。
国か。研究者か。医者か。ジャーナリストか。
違うだろ。
彼らは彼らの立場で、いろいろなことを言う。彼らには、それで飯を食べているのだし、そういうことを言う権利があるのだから、やめさせようったってできない(中には、本当に原発推進的な発言をすることで、原子力ムラから、おひねりをもらっている人も、いるだろう。だって、実際に彼らは言論でお金儲けをしているのだから、お金をもらえさえすれば、どうして仕事の質を選んでいられるだろう。それだけ、言論でお金を稼ぐということは難しいことなのではないか。それは、特に、ツイッターなどの無料のサイトであればあるほど、そういった現象は予想できるし、むしろ、今後こそ、そういったケースは増えていくだろう)。しかし、なんといってもこの問題は、
当事者
が自分たちの考えをまず、表明して、自分たちのアイデンティティを明確にしていくことでしか、収束していかないだろう。当事者たちが多くの人たちのアドバイスを参考にしてでも、まず、自分たちの立場を明確にする。それは子供だって同じはずだ。子供がなにかを言うと、よってたかって、どこの大人が子供にこんなよからぬデマを吹き込んだんだ、みたいな話になる。だったら、子供たちは団結して、
子供宣言(マニフェスト
を発表すればいい。それも疑われるなら、毎月、更新し続けてもいいだろう。腐った大人たちに、自分たちの頭で考え、導き出した結論をぶつけてみろ。つまり、生徒による
自治
本当の問題は、こういった過程を経ることなく解決するはずがないのだが...。