古市憲寿『絶望の国の幸福な若者たち』

よく考えることは、つまり、リバタリアンのことだ。彼らは、どういった社会を理想としているのか。例えば、日本の保守派には、英米的な自由主義、つまり、近年で言えば、ネオリベ的な新自由主義に親和的な人たちが、それなりの勢力を占めてきたような印象を受ける。そして、こういった保守派が、他方において、近代経済学の理論とともに主張されてきたことだろう。
エドモンド・バーグのフランス革命批判を嚆矢とした、こういった方向の人々が考える、理想の社会を、もしこの日本列島における歴史において探したとき、それは、
江戸時代
においてこそ、見出されるのではないだろうか。
江戸時代とは、どんな時代だろうか。江戸時代を、その後の明治時代以降と比べて、大きく違っている点として、
身分
を言う人が多いのではないだろか。しかし、その身分とはなんなのだろう。そもそも、その身分なるものは「ルール」化されているのだろうか? もちろん、そういうルールがあると言ってもいい。つまり、江戸幕府や、各藩の大名たちが、なんらかの御触れ書きを書けば、これこそルールだ、と言われることに別に反論しようとは思わない。しかし、こうは考えられないだろうか。
そもそも、江戸幕府は、私たちが現代において考える「政府」のようなものなのだろうか。江戸幕府といっても、ただの
イエ制度
の中の、一つのイエにすぎない、とは言えないだろうか。つまり、
やたらでかいイエ
にすぎない、と。やたらでかいんで、だれも彼らに逆らわないので、それが「天下」だと。
たとえば、江戸時代において、ある百姓が、大屋さんに嫌われ、村を追い出されたとする。その人は、それでも、なんとか生きていこうとするだろう。しかし、それがうまくいかなったとしたら、どうなるか。
飢えて死ぬ
のである。それが「江戸時代」なのだ。このように考えるなら、身分という意味も少し分かってこないだろうか。そんなものは、あると言っても、各地域で自然発生的に、「差別」が生まれた、というのが身分ということであって、どこかにかっちりとした、
ルール
が決められているようなもの、と考えるべきではないのだろう。言わば、アナーキズムとはこういうことで、自由ゆえに差別が生まれる。
これに対して、明治以降の近代国民国家を形成してきた、エリートたちが考えたこととはなんだろう。

明治政府の方針をよく表す、当時の教部省の役人の言葉が残っている。

今までは下の物を馬鹿にして治め置きたるが、これからは学問をさせて、利口にさせて治むるなり。今にては農商もその形、士に同じ、悦ぶべきことなり。

要するに、江戸時代までは一部の支配階級が国を回していればよかったが、これからは農民を含めた「みんな」を教育して、「みんな」で回していかなくちゃならないというのだ。「みんな」で国を回していくためには、廃止しなくてはならないものがある。まず「地域差」と「身分差」だ。江戸時代は地域によって、言語から食文化まで大きいな違いがあった。そして、生まれ落ちた身分が人生に決定的な影響を与えた。こんなんじゃ、人々が「同じ国民」という意識を持てるわけがない。「みんな」が「同じ国民」という意識を持っていかなくては、戦争が起きた時に「日本」のために戦ってくれない。

明治政府が形成されていく過程での、思想的バックボーンとなったのが、(兵学を主な専門としていた)吉田松蔭というのは、非常に分かりやすいと思わなくもない。彼らが考えていたことは、
戦争
だったはずだ。彼らの関心はひたすら、欧米の軍隊組織の研究だったはずで、ここから、日本の市民社会も生まれていることは間違いないだろう。
欧米の軍隊こそ、「世界最強」であることを知っていた彼らにとって、明治国家の形成とは、つまりは、「世界最強軍隊」の作成だったはずだ。
では、どうなれば、日本は世界最強の軍隊を持てるだろう。まず必要なのは、なにをおいても、軍人であろう。
江戸時代までの、軍人とは、つまりは、「武士」のことであった。ここが重要である。つまり、武士とは身分だったわけで、それは、武士が自ら、進んで選ぶ立場だった。つまり、圧倒的に、小規模の集団しか、
構造的
に軍隊を形成できなかったわけだ。それに対して、明治政府が目指したのは、国家総動員体制と言っていいだろう。農民からだれから、全てを
軍人
として、使えたら、相当な人数のかさ上げができるだろう。人数の増加は、長期的に戦争を継続するには不可欠である。つまり、無尽蔵にどこまでも、軍人を「補給」できるかが、近代戦の最優先事項だったと言っても言いすぎではないだろう。
たとえば日本のナショナリズムを、こういった軍人をリクルートする観点から考えることは、非常に重要だろう。たとえば、ある国民を軍人にするとき、その人は、
なぜこの国のために戦うのか
というのは、よくよく考えてみた方がいい。なぜその人は、自ら、その身を投げ出して戦うか。それは、自分を日本人の「仲間」だと考えるからだろう。そう考えたとき、自分と
日本「なるもの」
との間に、なにか「関係がある」という「物語」は、その人のモチベーションを動機付ける意味でも重要になってくる。

「みんな」が自分のことを「日本人」と思ってもらうためには共通の物語も必要だ。そこでまず「日本の歴史」が作られた。
僕たちは学校で二〇〇〇年前の佐賀県にあったちょっと大きな村のこと(吉野ヶ里遺跡)や、一三〇〇年前に起こった奈良県での兄弟げんか(壬申の乱)や、四〇〇年前に部下に裏切られたおじさんの話(本能寺の変)を「日本の歴史」として教わる。身分も地域も違う出来事を、その当時の日本領土を基準にして、乱暴にパッケージしてしまったのだ。
そして「日本文化」も作らなくちゃいけない。現代を生きる僕たちは古今和歌集も能も歌舞伎も「日本文化」だと思っているが、古今和歌集天皇家のプライベートアンソロジーだし、能は室町期の武士文化だし、歌舞伎は近世庶民文化だ。それらをひっくるめて「日本文化」ということにしてしまったのだ。

国民に、国のために「命を投げうって」戦ってもらえるなら、国はちょっとくらいの、国民サービスをけちったりしないだろう。だって、それだけの対価を国は、国民からちょうだいできるのだから。
そこから、国による、さまざまな福祉サービスの増加が始まる。戦争の趨勢は、最後は人海戦術であって、つまりは、人数である。ということは、
みんな平等
であればあるほど、国民は国家への満足感を高めるわけで、兵隊獲得に成功しやすい、と言えるだろう。
また、こういった方向は、ある20世紀の革命的発明によって、
拡声
される。

明治維新から一九三〇年代までが「ナショナリズム一・〇」だとすると、一九四〇年前後から「ナショナリズム二・〇」とも言える現象が始まる。
まずはラジオという新しいメディアの本格的な普及だ。ラジオ放送は一九二五年から始まっていたが、都市部では一九三六年に普及率が四割を超えていたのに対して、群部での普及率はまだ一割に過ぎなかった。それが一九四一年には市部の普及率は六割を超え、群部でも三割を超える。都市と農村部の情報格差はこの時期に埋められたのである。

ヒトラーにしても、あのださい男が、独裁者となっていく過程には、間違いなく、ラジオ放送という新しいテクノロジーがあったはずである。ラジオこそ、
直接自分に語りかけてくる
それ以前にはなかった、ヴァーチャルリアリティであろう。どんな田舎でセカイと関係なく生きていた百姓にも、ラジオを通して、施政者は「話しかけられる」。人は話しかけられると、無視できないものだ。なんらかの
繋がり
を考えてしまうだろう。それは、どんな「田舎」においても起きた、共振現象で、まさにナショナリズム増幅装置と言っていい。
しかし、それだけ国家の戦争「装置」としての完成に、心血を注いでくると、
もう戦争をしないわけにはいかなくなる
ということはないだろうか。人間の感情とは、そんな簡単にコントロールできるものではないわけで、むしろ、ちょっとトリガーを引くだけで、いくらでも
暴走
する。しかし、その「暴走」が、ほぼ全ての国民に起きたとするなら、それを一部のエリートがコントロールなどできるのか。あれだけ、ラジオを使って国民の感情の琴線をかき乱しておいて、どうしてエリートは
自分の言うことを聞いてくれる
と思えただろう。あきらかに、日本の戦争参加には、さまざまなポピュリズム的な動きがあった。国家はポピュリズムに「逆らえなくなる」。

日本史上、最大の殺人事件とは何だろうか? 津山事件ではない。オウム真理教事件でもない。人数、期間、規模ともに最大の殺人が行われたのはアジア・太平洋戦争である。被告名は「日本」。旧称を使うなら「大日本帝国」と呼んでもいい。
アジア・太平洋戦争は、日本だけで約三一〇万人の犠牲者を出した大量殺人事件である。第二次世界大戦の犠牲者は世界各国を合わせて五〇〇〇万人を超えるとも言われる。数だけで見るならば、個別の殺人事件の比ではない。
ナンセンスなことを承知で数字を示しておくと、オウム真理教の事件の一連の死亡者は二七人。津山事件の被害者数は三〇人。二〇一〇年に他殺によって死亡した人は合わせても四六五人。
「日本」という国家は、日本史上出現したどんな殺人者よりも多くの人を、結果的に殺してきたのだ。織田信長なんか目じゃない。メディアをにぎわす「不可解な」少年犯罪や、「異常な」猟奇殺人よりも、国家間の戦争というのは、よっぽどたちが悪い。
これは日本だけの話ではない。どの近代国家を見ても、二〇世紀ほど、国家のために人々が戦い、そしてその命を国家のために落とした時代はない。
ヨーロッパでも、一八世紀までは洪水などの自然災害が人類最大の脅威だった。しかし戦争が王と王の戦いだった時代が終わり、国家間の戦いが始まり、その行き着いた先が二〇世紀の二つの総力戦、世界大戦だった。王と王に雇われた兵士(傭兵)による戦争が、近代国民国家の力によってすべての国民を巻き込んで展開されるものになってしまったのだ。
これはナショナリズムという魔法の、最大の欠点だ。致命的な欠陥だ。
近代国民国家ナショナリズムのセットは、「富国強兵して戦争に勝つ」や「経済成長して世界一豊かな国になる」というような、わかりやすい目標がある時代には効果的に機能する。そのおかげで、日本のインフラは整い、ここまで生活水準は上がった。夢のコラボレーションだ。だが、それには多くの犠牲がつきまとう。
だったら、もういっそそんな魔法は消えてしまってもいいんじゃないか。
もちろん、日本という国家は消えないだろう。少なくともインフラ供給源としては残り続けるだろう。それは結果的に、暴力の独占と徴税機能という国民国家の役割を引き継ぐことになる。
だけど、ワールドカップの時は大声で日本を応援しても、試合が終わればすぐに「お疲れ様」とさっきまでの熱狂を忘れ、アメーバニュースで「異性の気になるところ」というニュースを読んで友達と盛り上がり、戦争が起こったとしてもさっさと逃げ出すつもりでいる。そんな若者が増えているならば、それは少なくとも「態度」としては、非常に好ましいことだと僕は思う。国家間の戦争が起きる可能性が、少しでも減るという意味において。

私も基本的にこの認識に近い。「結果として」多くの人が死ぬことになったのが、戦争だったとするなら、まず、第一義的に戦争を避けることを選ぶことは正しいと思う。
しかし、他方において、思うわけである。上記にあるように、なぜ明治以降、国民福祉は向上してきたのか。それは、間違いなく、
国民は国軍兵士だから
だろう。国民はその国の兵士になるから、そういった兵士に、さまざまな福祉がほどこされてきた。しかし、もしこういった「重し」がなくなったら、それ以降において、福祉は維持されうるのだろうか。
今の自衛隊は、高度にハイテクになって、そもそも、大量の人を雇用しようにも、技術を教える設備がない。つまり、戦争はどんどん人がいらなくなる。
国が国民という戦士予備軍を不要としたとき、はたして、国家は国民に福祉を提供し続けるだろうか。江戸時代のように、人々が飢えて死ぬことに、なんの関心ももたない、そういったアナーキズムの世界に日本は戻るのではないだろうか。
新自由主義の人たちの言っていることとは、つまりは、格差肯定である。儲かる人は徹底的に儲かればいいし、戦前までの、百姓と小作人の関係を考えても、ほんの一部の人だけが
徹底的
に儲かるのが、アナーキズムだろう。日本中の広大な土地を持っているのが、一つや二つの大百姓だったことは、田舎に観光に行けば、すぐに気付くはずだ。つまり、明治、大正、昭和初期の
自由主義
とは、こういった格差社会だったわけで、この「問題」を解決したのは、占領軍であるアメリカの指導の下で行った、農地解放だったわけだろう。
今は国家が「税金」という経路を通して、各自の「所得」を均等化している。それによって、日本人は
飢えて死ななくなった
わけだ。しかし、冷戦体制も終わり、社会主義勢力との競争意識も消滅した現在において、国家が「福祉」を行う「動機」をどうやって維持し続けられるだろうか。
掲題の本にも書いてあるが、結局のところは、問題は経済格差なのだろう。若者世代が就職ができず、所得が低いことと、年寄世代の「成功」による、格差を問題にするが、これはミスリーディングで、そもそも年寄世代「内」格差が、徹底的に大きくなっている(しかし、そもそも年寄なので、あまり未来に期待していないので、大騒ぎしないので、注目されない)ことの本質が、若者世代においても「類比」できる、といったように考えるべき事象なのだろう。
グローバリズム主義者は、お金持ちからお金を税金で取り立てれば、彼らは海外に「逃げる」と言う。企業も日本から逃げる、と。なぜ彼らが逃げるとグローバリズム主義者が考えるかといえば、もちろん、お金持ちや企業が、より有利な国があれば、そこに引っ越す方が有利だと考えるから、だと。つまり、グローバリズム主義者は、そういった
脱税
行為を「しょうがない」と考えている、と言えるだろう。なんのために、税金を払うのか。もちろん国家システムを支えるためなのだろうが、そういった「成功者」たちがそういった「奉仕」に興味がなくなっていくことが、グローバル・アナーキズムの特徴なのだろう。
結局のところ、これに抵抗していく理屈がどんどん無くなっていく、ということを意味しているのだろう...。

絶望の国の幸福な若者たち

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