法を守れと最初に言った人は誰か?

もし法なるものを、その共同体に所属している構成員が、守らなければならないものであるとするなら、どういう事態になるだろう。
まず、最初に必要になることは、その法を守らなかった人を発見するシステムが必要になるだろう。守らなければならないと決めたのだから、守っていないという「事態」があってはならない。なんとしてでも、その一個たりとも見逃しては、「守らなければならない」と決めたことに矛盾してしまう。一個でも見逃がしてしまった時点で、「守らなければならない」と決めた掟は、その神通力を失うだろう(「守らない」で、のほほんと生きられた人がいるのに、どうしてそれを「守らなければならない」ことと人々が思うだろう)。
一番簡単な方法は、国民全員にコンピュータを埋め込んで、そいつが法を破った場面を、そのコンピュータに記録させ、報告させるシステムとなるだろう。そいつのライフログを徹底的に記録して、そこに一つでも犯罪要素を構成するものがないかを、チェックするのだ。そうすることで、たった
一つ
でも、犯罪を見逃がしてしまった、というような「汚点」を回避でき、法システムの「名誉」を維持できる。
ずいぶんと、息苦しい世の中だな、と思った人は「普通の人間」ではないだろうか。というのは、言うまでもなく、現代社会は、そういうふうになっていないからだが。では、法は「守らなければならない」ものではない、ということになるのだろうか。
その答は、中国の歴史にある(中国4千年の歴史をなめるなよ、ぷんすか)。以前のエントリーを再掲させてもらおう。

日本に売るものがないからといって、それは、
鎖国
なのだろうか。鎖国とは、外と一切の関わりをもたないことであろう。ところが、日本は、長崎の出島など、何カ所かでは、ちゃんと、いろいろ欲しいものを、
輸入
していたわけである。特に、江戸幕府がそうなのである。幕府にとって、自分たちが欲しいものを、海外で買っていない、という感覚はなかったはずである。
そう考えると気になるのが、日本人の好きな、
開国
という言葉である。つまり、日本はずっと開いていたわけで、それをあえて、「開国」という言葉を使いたがるところに、
革命
を革命と認めたくなかった、明治政府自身の欺瞞があったのかもしれない。
実際、日本の歴史とは、勝者も敗者も、「必ず」錦の御旗を掲げるんで、それで勝ったとか負けたとか、なんなのかな、と思わなくもない。とにかく、勝った方は、相手が
賊軍
だったといろいろ屁理屈を後付けるわけで、この、
正統と異端
ですよね。
勝てば官軍、負ければ賊軍
で、言いくるめてきたわけで。
よく、日本人は、お任せ政治で、大衆は、政治に関心がなく、自分の生活のことばかり考えている、みたいな、ポピュリズム批判があるけど、むしろ、私には、
エリートたちの方々の方に、
田舎者が、ろくに知りもせず、お国の政(まつりごと)に首をつっこんでくんじゃねーよ
っていう、ヤクザの縄張根性のようなものを感じるんですけどね。
そのあたりに、現在まで続く、日本人の市民感情の、政治へのタブー意識の由来を感じるわけですが。
いずれにしろ、江戸時代から、日本のエリートの特徴は、庶民への密接な関心、と言えるのではないだろうか。エリートたちは、いい悪いは別にして、基本的に庶民への関心が絶えることがない。それは、「監視」とも言えるし、逆に、いい意味にとれば、気にかけてくれている、とも言える。

  • 関心(監視・保護) : エリート --> 大衆
  • 年貢 : 大衆 --> エリート(国家)

なぜ、こういった(比較的ではあるが)濃密な関係が成立しえたのだろうか。いや。こういった問題は正しく言うべきだ。江戸幕府は基本的には、大衆に興味がなかったはずで、むしろ、
各藩
による「地方自治」が、上記のような、密接な関係を持続させたと考えるべきではないだろうか。
(言うまでもなく、もう一つの理由が、日本自体に、他国に絶対的に渇望されるような、一次産品の輸出品がなく、貿易による、剰余価値に期待ができなかったために、清貧の思想で、自給自足を「エコサイクル」的に実現していたがために、そういう形態しかありえなかった、という言い方もできそうである。)
こういった感性は、現代まで続いているようにも思える。日本のナショナリズムはどこか、エリートたちの庶民への旺盛な、関心に特徴があるように思える。その動機はどうあれ、エリートたちは積極的に庶民の生活に干渉することに疑問をもっていない。
そういう意味では、ヘーゲル的とも言えるのかもしない。エリートの「専門家」としての、善政が、庶民の細かなトラブルに対し、常にアンテナをはり、きめ細かく、手当てをしていくことで、カタストロフィーを回避する、
「良心的」監視による、コントロール社会
が一見うまくいけるかのような、コンセンサスが比較的もたれやすい傾向があると言えるのであろう。
この、逆が、中国と言えるだろう。

明朝はもともと中国南方、江南地域にできた政権である。多元的な種族と地域の複合で成り立っていた、遊牧民のモンゴル政権に取って代わるため、漢人天中国の統一と自尊を自らの正当性のあかしとしようとした。それを実現するには、従前ずっと分離の状態が続いてきた中国の北方を、自らの南方と一体化させなくてはならない。これが明初最大の政治改革となる。
明朝は一三六八年、モンゴル政権を万里の長城の北に駆逐して、中国北方を政治的軍事的に併合することに成功した。その統合を実効あるものとし、いっそう強化するために、経済的にも南北の一体化をめざす。そのさい、後進的な経済状態を先進的なそれに合わせるのでなく、北方の現状を基準とした財政経済政策を、南方もふくめた中国全土に適用施行することにした。こうして現物主義の制度ができあがる。
物資・労力を直接とりたてるのであるから、その条件として、まず土地・人を個別具体的に把握しなければならない。その一方で、現物徴収を妨げかねない商業・流通を制限し、厳重な管理統制のもとにおく必要がる。さらにそのためには、貨幣の使用をなるべく忌避し、とりわけそれ自体で流通価値をもつ金銀など、貴金属の使用を禁止しなくてはならない。

想像できるであろうか。通貨が市場を流通していて、だれもが、その通貨で商売を営んでいたある日。
国家「が」
国民の「ネット」を殺す。

もはや政府の通貨はあてにならない。そこで民間では、独自に通貨を設定して、日増しに高まる貨幣需要をまかなおうとする動きが顕著になった。少額のごく狭い範囲での取引では、私鋳銭が流行し、大口の高額、遠隔地での交易ではん宋元時代から広がりかていた銀の地金使用がひろまる。われわれの感覚では、いずれもニセ金というべきものだが、そうでもしなくては、経済がたちゆかなかった。それは民間経済が、政府の貨幣制度、あるいは現物主義に不信任をつきつけたにひとしい。国家と社会の遊離は、ここからはじまる。

この事態を、想像してみていただきたい。国家は「自分の都合」で、ジンバブエムガベのように、国民が使ってきた「交換手段」を剥奪し、民を滅ぼす。なぜ、このような結末に帰結するのだろうか。なぜなら、彼らには彼らの
都合
があるからなのである。彼らは、たんに、
断固決然
やるのである。いずれにしろ、その後の、中国民衆社会が、どのような変遷を辿ったのかは、日本と違っているだけに、非常に重要です。

このように清代中国では、政府が政府として民間の経済活動に介入しようとしなかった。したがって裏返せば、政府権力として経済活動に対し、法制的な保証や保護を与える、ということもしなった。貨幣はその典型である。通貨管理のない民間まかせの銀地金と銅銭の使用であって、たとえば政府は、税収としてうけとる銀地金の純度成分を決めたにすぎない。流通や生産に対しても、全国を通じた保護統制の施策はほぼ皆無であった。
それでも経済には、一定の秩序が必要である。自らの財産を外部の暴力から保護しなくては、また売買の約束を履行するという保証がなくては、経済活動そのものがなりたたない。権力からそうした保護保障が十分に享受できなければ、自分たちでそのしくみをつくりあげるほかない。
そこで当事者どうしで結束して、ルールを定めて財産を保護し、約束履行を保証して、そこから逸脱した者には制裁を加えることのできる団体をつくることになった。それが同郷同業団体である。こうした団体を中国語で一般に、幇・行・会といい、その施設を会館・公所という。しばいば同郷は同業を意味し、上海の寧波(ニンポー)幇といえば、金融業者である。大家族である宗族も、経済上はその一種と数えてよいだろう。
これを単なる相互扶助組織とみてはならない。経済紛争の調停・仲裁・解決など、むしろ政府権力が手を出そうとしない私法の制定・行使の役割を担っており、流動性に富む社会を秩序づけ、治安を守るのに不可欠な存在だったからである。そのため同郷同業団体は、その構成員からみれば、まあく権力にひとしかった。これこそ、内藤湖南が「小さい国家」だと評した「郷団」にあたる。
政府当局が接触するのは、この同郷同業団体の上層部だけで、徴税もそこから行う。それ以下、団体内部のことには、原則として関与しない。逆にいえば、当局が接触して税をとりたてる商人や地主の経済行為しか、正式で合法的な取引だと承認されないのである。そこに起こる現象が、いわゆる独占だった。清代に行われた一部商人による塩の専売、貿易の独占、あるいは有力地主の土地兼併などは、その例に漏れない。中国を観察した西洋人は、自らの歴史に照らして、この現象をギルド独占とみなしたけれども、西洋中世のギルドとはやはり似て非なるものである。
この団体は当局が認可するものばかりとはかぎらない。国内で経済活動が政府の保護を受けられないのだから、海外はなおさらである。同郷同業団体はしたがって、海外のいわゆる華僑(かきょう)の間にも普及して、いわゆるチャイナ・タウン(唐人町・中華街)の中核をなした。今でも各地の中華街に必ず会館があるのは、その名残である。本国の政府当局はこうした華僑の団体を、一九世紀の末になるまで認知しようとしなかった。

国家とはなんなのだろうか? いずれにしろ、国家も一つの「主体」でしかない、ということなのだろう。当然、もう一つの主体である、国民と差異、対立が必然的に帰結してくる。
国家にとって、もっとも大事なことが、他国からの侵略であるとするなら、二番目に大事なことは、自国内に、自らの権力の転覆をもくろむ、勢力への牽制といえないだろうか。
なぜ、明において、上記のような政策が採用されるのだろうか。そこにはまず、たとえこれによってどれだけ、大衆の生活が不便になろうと、自分たちの日々の生活を満足させる、大量の年貢を懐にできちゃっているから、エリート「自身」に、なんの不満も噴出しないから、と言えるだろう。彼らは、そもそも、大衆とはレベルの違う生活を、それら年貢によって、できちゃってるのだから、そもそも
本質的に大衆の生活に関心がないのだ。
大事なポイントは、ここである。エリートの関心とは、自分の生活が「幸せ」であることにすぎない。もし彼らの生活の質が、大衆の生活の苦しみの改善とリンクすることなく存在するなら、彼らにその問題の改善のモチベーション、動機は生まれない。
では、そういう国家にとっての「唯一の関心」とは何になるのであろうか。それは、
自分たちの権力が永遠と続く
ことだといえるだろう。つまり「国体」である。上記にある、「幇」がなぜ、存在を許されるかは、彼らが、「ちゃんと」年貢を収めるからである。つまり、「朝貢」的に、彼らは、「国体護持」的な振舞いを、継続的に続けていることは間違いないわけである。そうであるなら、どうして、彼らの

がどうなっているのか、に介入「しなければならない」などと考えるであろうか。
どんなに政権内部が汚職で腐敗しようとも、その国体護持で統一している限り、その政体の転覆には至らない。
清王朝が、日清戦争後、ロシアに庇護を求めたことは、非常に典型的に思える。国政の舵取りが、中国国民かどうかですら、たいいた問題ではないのだ。つまり、
この国体を護持してくれるのが、だれなのか
すら問題ではない。
「幇」といったような、言わば、国家内国家のような、中間集団が個人が剥き出しのまま、国家と繋がらないような、緩衝材となっている(正確に言うと、国家と個人は直接繋がってもいいのだが、個人側は、国家と「だけ」繋がらない、ということである。バイパスされるネットワークは、その他にも、いろいろある。私たちの、
アイデンティティ
が、なぜ国家と「だけ」シンクロしなければならないのかは、よく考えれば、異様に思える。個人は、その場その場の都合で、
面従腹背
で、都合のいい中間集団と繋がるべきだし、その方が、個人のサバイバル能力を高める...)。
screenshot

法とはなにか。法とは「ゲーム」である。私たちは、「法を守らなければならない」存在で
ある
のではなく、そういったルールが「ある」(らしい)ことを認識している「だけ」の存在だということである。この二つは、同じようで違う。この微妙な違いを理解しない人は
全体主義
となり
国家(国連)ロマンチスト
となるだろう。ルールとはなにか。ルールとは、そのゲームを構成する、「明文的」ななにか、である。人々は、このルールを巡って
なにか
をする。大事なことは、こういったルールが「ある」ことを人々は理解するが、それが「何か」は「未定義述語」となっている、ということである。
ルールは、存在論的な意味で「存在」している。しかし、その「ルール」がなんなのかは、意味論的に決定できない。
以前に「正義」についての本を紹介したとき、法創造について書いたが、大事なことは、このルールのルールを定義することはできない、ということである。なぜなら、もしルールのルールが定義できたとするなら、当然、
ルールのルールのルール
が要請されるにきまっているからだ。つまり、大事なことは、私たちが「これのルールに従うとは、こういうことだ」と言うとき、新たな、そのルールの解釈を
創造
している、ということなのだ。
ゲームのプレーヤーは、そのゲームのルールに従っていることで、そのゲームの参加者であることを「保証」される。しかし、それを「保証」しているのは、誰だろう? もちろん、そんな人はいない。じゃあ、その人はルールに従っていることになるのだろうか? そういう意味では、その人はそのルールに従っていると言ってもいい。
ただし、こうも言えるのである。ある人が、その人はルールを破っていると告発したとする。そうした場合、もしその当の本人がその告発を受け入れたとしよう。その場合、どっちが正しいのか。その人はルールに従っていたのか、従っていなかったのか。
答えは、「法はそのことに関心をもっていない」ということだろう。そういった事態が起きたとき必要なのは「ルールのルール」なのだから、そのことについてルールに書いてないのなら、そういったルールのメタな問題には答えようがないのだ(実際に、手続き上、再審の規定がないのなら、そういったことに答えることに意味はないのだろう)。
以前にも書いた記憶があるが、そもそも、ある命題を言明した人は「過去の人」である。その過去の人が生きていた時代になかったもので構成されている現代において、どうしてそのルールが、まるで「同一の事態」であるかのように、適用できるというのか。言語は常に「アナロジー」によってしか成立しえないのだ。
では、そういった曖昧なものである、法がなぜ存在するのか。言うまでもない、それで十分だからである。大事なことは、その法律を作った人にとって、その法律が必要十分だから存在するのである。
法には、その法を作った人が必ず存在する。日本であれば、それは官僚になる。官僚はある「意図」をもって、その法律をそういった「記述」にする。霞が関文学などと言って揶揄されるが、たとえ、そのように嘲笑されようと、彼らは、それで十分なのだ。彼らの「目的」を満たすのだから。
法とは、その法を作った人にとってのなにか、である。たとえその法を作ることによって、どんな事態が生まれようとも、その法を作った人にとって「満足」であれば、その法が改変されることはない(別の不満にもつ人が改変するのかもしれないが)。
そのように考えてくるなら、法が記述するリテラルな言明に、いちいち、自らの「運動」を合わせなければならないという人は、ちょっと、どうかしていると言わざるをえない。
しかし、そう言うと、お前はアナーキストかと文句を言ってくる人たちが現れる。たとえば、交通ルールのように、人々が守ってもらわないと、さまざまに人々が迷惑を被る場合だろう。それについては、こう考えればいい。
まず、家を出て通りには、多くの人々が歩いたり、車に乗っていたり、する。そういった人たちは、家を出るという行為によって、そういった人々と一つの
共同体
を形成し、そこに参加していると考えるのだ。それは、いわゆる「中間団体」と言ってもいい。お互いは、ある

を共有していないと、さまざまに面倒な動きにまきこまれてしまう可能性がある。みんなが右側を歩くと決めてあれば、すれちがっても、ぶつからない。そういった掟について考えるときに、法は、一つのメルクマールの役割を果すことになる。つまり、共同体の側がそういった法律を「利用」するのだ。法律があるなら、まずはその法律をたたき台にして、掟の原案が検討される。
戦後の日本社会とは、一体、どういった社会であったのだろうか。大きく二つに分けられるだろう。子供の頃は「学校社会」。大人になったら「会社社会」。学校にはまず、校則がある。しかし、他方において、生徒会のようなものもある。また、各クラスごとの決め事もあるだろう。では、そういったものと、国家や地方自治体による法律とは、どういう関係にあるのだろうか。言うまでもなく、校則や、生徒会やクラスの決め事は、法律より細かいし、法律なんて比べものにならないくらいに、ローカルな振る舞い方を記述してある。
これは、会社という共同体においても同じである。個人情報保護法ができれば、各会社内で独自の「解釈」による社内マニュアルを作成する。それは「明らか」に法に書いてある「以上」のことが書いてある(言うまでもなく、我々は「具体的」に行為しなければならない。それは、日々の業務上考えられる、行為であって、それに対して法律は具体性を欠いた抽象的人間を記述しているだけだと言えるだろう。つまり、具体性は各企業内の各業務において、「具現化」しなければ、あらゆる掟は常に使えないわけだ。
つまり、そういった共同体内の「掟」は、法律を超えているわけである。
私たちは、だれも法律の文面がどうなっているのかを知らない。そもそも、法律を読まない。ところが、そうであっても、だれも「不安」に思わない。なぜか。言うまでもない。やらなければならないことは、各共同体内で、

となっているからだ。
どうだろう。
どうも、ここには二つの違ったパワーがせめぎあっているようだ。

  • 法:国家 --> 個人
  • 掟:中間団体(共同体) --> 個人

では、この二つはどういった「関係」にあるのであろう。ここで、さらに以前のエントリーを引用させてもらいたい。

日本の田舎の村社会が、どういったものであったのか。それは今もあるとも言えるい、もう既になくなったとも言える。村的なものとは、一体、なんだったのか。こういった問題に、「他者」の視点によって、その「中」からの観察によって描いた、ものとしては、非常に貴重であり、興味深い内容となっている。
きだは、一般に村と呼ばれている単位より小さい、「部落」と彼が呼ぶ単位こそ、その実体であると言う。だいたい、10〜15家族で、人数で50〜80人。まず、その中で、親方(または、仲介人)、と呼ばれる人が存在する。その人は、主に、「外」との折衝をとりしきる。
きだみのる、が、この部落に受け入れられていく過程での、一番のきっかけは、彼らの「闇博打」に参加するようになってなんですね、実際にお金を賭けるような。つまり、もちろん、当時の法律でも犯罪でしょう。しかし、そういう「国家犯罪」を共有するわけですね。そうしたときに、簡単に、
外部の人間(警察など)に密告する人間
村八分になるわけですね。

部落は日本社会の中で自然発生的な、原初的、基礎的な集団である。一度出来上がったら、それは家族にすら先行する。それが現在の状態だ。部落は村や家族と違い部落外しの制裁力を持ち、この制裁は暗黙のうちに部落人が承認し、これに該当する犯罪は、自火、放火、殺人、傷害、窃盗等が部落人を対象として行われた場合、も一つは名誉に対するコードで、部落の恥を世間にさらした場合である。即ち一般的に云えば部落の生存、安危に関係する犯罪の場合だ。部落外しは今日では全家族的でなく、犯行者個人だけに適用される。

こうやってみると、そのムラ的システムの「中間集団」的な特徴が分かりますね。彼ら村にはムラのルールがあり、「彼らの中では」こちらが、国家のルールに優先される。
では、親方の役割とはどういうものか。

部落では青年期までの小さな盗み、暴行などは警察沙汰にせず、親方が処理してしまう。たとえば少年の窃盗があったとき、部落から縄つきを出しては部落の恥だ、部落の恥は親方の大きな恥だとして事件を揉み消し、金を返済させ、少年を一時、村の後家の家に預けた。

しかし、親方の独裁ではない。親方はあくまで、外との関係を媒介する、インテリのところがあって、内部の意志決定はかなり、「民主的」だとも言える。

原則としては全員会議で、欠席者は不参金を払わねばならない。決議は一般に満場一致の形を取り、部落の家族全体を縛り、従って部落は一本になって動く。多数決は仲間割れを誘うので、部落会では望まれない。

この本にも書いてあるが、私にも、この「村部落」集団が、実に、「自生的な」集団であることが、実感されるわけですね。
screenshot

こういった共同体がもつ自生的システムは、おそらく、人類が存在している限り変わることはないのではないか。たとえ、
国家
のあり方が、その時代時代ごとに変わろうとも(私は、こちらについては、あまり興味がない)。上記にもあるが、子供が暴行などによって、軽犯罪「と思われるもの」を起こすたびに、もし国家警察に引き渡していれば、それはその子供の
犯歴
となって、一生つきまとうわけで、その子供の将来の邪魔になるだろう(さまざまな場面で、差別として使われるだろう)。しかし、一般にはそうなっていない。つまり、そんなことは「多く」は各共同体内の「調停」機能によって、穏便に処理される。当たり前である。人間は感情的な動物なのだから、日々、感情的な行動をどうしてもしてしまう。つまり、
(形式的)超超軽犯罪
を日々やっていない人なんていないわけで、そのたびに、警察にご報告して、その犯罪の悪質性のご判断を仰いでいられるか、ってわけですね(そもそも、上記の犯歴にしたって、「一罰百戒」なわけですから、最初からこの「ゲーム」はある、制限の中で行われているということでしょう。つまり、国家の
リソース
にそもそも制限があるのだから、私たちはその中でゲームをやらざるをえない。大事なことは、警察は神ではなく、このゲームのもう一人のプレーヤーだということでしょう)。
ただ大事なポイントは、上記で言えば、親方が「村の恥」として、
内部で処理
するというところだろう。私たちは
本質的な悪
という概念に魅了されやすい。しかし、犯罪とは、加害者と被害者の関係である。たとえば、ある人がある物をだれかに盗まれたとしよう。

  • 物:ある人A --> ある人B

この場合、その物をある人Bは持っていていいのか、が問われている。上記の例でいえば、親方は「村の恥」として、その「代わり」に、ある人Aに金銭を握らせると同時に、親方はある人Aには、そのある人Bが今後こんなことを起こさないように、よく「しつけ」をしておくことを約束することで、ある人Aの「負債感情」を補填するのである。

  • お金:親方 --> ある人A
  • 暴力(しつけ):親方 --> ある人B

この関係の特徴は、一般に国家権力が行うとされている行為を「共同体内で代替」されていることだと言えるだろう。警察の「機能」を共同体が担っているわけである。もちろん、こういった処理方法にどちらかが「不満」をもつ場合もあるだろう。そうした場合には、さらに上位の調停機関に持ち込まれるし、さらに上位ということになれば、警察のお世話になるだろうが、いずれにしろ、上記の関係はこれはこれで「安定」しているということだろう。
もちろん、世の中には、本質的な悪があり、悪を撲滅するために国家が存在するんだから、その悪を滅ぼすまで、国家は、一つの悪も見逃してはならない(そうでなければ、社会秩序、社会ブランドは維持できない)と言う人もいるかもしれない。
しかし、例えば、それを自分の家族の問題だとしてみよう。生まれたての二人の兄弟が相手の頭を殴ったからって、警察に子供を差し出す親がいるとしたら、その親は異常だろう。そんなことは「しつけ」の問題だと、だれでも思っているからだ。
だとするなら、その延長上で、上記のように共同体が「自生的」に
警察的な
機能を内包することは、必然的なのではないか。そもそも、そういう人は、国家が存在しなかったらどうするのだろう(または、国家が機能していなかったら)。そうなったら、地方自治をあきらめるのか。あとは、野となれ山となれか。違うだろう。それでも私たちは生きていかなければならないのだろう。
私たちは、こういった「レイアー」を過度に過信する傾向がないだろうか。今後、おそらく、あらゆるトラブルは「世界共和国」、つまり、国連が解決すべきだ、という議論が生まれるだろう。国家はいらないが、国連は必要であり、あらゆる善悪は国連の判断を仰ぐべきだ、と。しかし、こういったレイアーは
砂上の楼閣
だと考えるべきだ。リアルな生活は、あくまで底辺であって、あらゆる事態はここで生まれ、ここで処理される。基本的にここで解決できないことは、どこにもっていっても解決できない。そう考えるなら、上位機関とは、あくまで、補完的な存在だと考えるべきなのだろう。あまり、その機能に期待しすぎてはいけないのではないか。
だとするなら、方向は二つになる。

  • 各中間団体(共同体)の機能の活性化と健全化
  • 各上位機関(国家)の機能の「制限」

この関係がどういったものであるのかは、ここで議論するには余るが、最初の問題に関連させて言うなら、少なくともそれは、「法を守れ」ということがなにを意味しているのかと関係している、ということは言えるのかもしれない...。