旧冷戦敵国の「生存戦略」=世界支配

企業とは、あるサービスを顧客に提供することで、得る対価と、そのサービスの提供のための費用との、差額によって「剰余価値」の獲得を目指す運動体だと言える。

  • サービス提供ポテンシャル:サービス提供者 --> 企業
  • 対価(A円):企業 --> サービス提供者
  • サービス:企業 --> 顧客
  • 対価(A円+B円):顧客 --> 企業

とすれば、
B円 ∈ 企業
サービス ∈ 顧客
となる。また、これを整理すると、

  • サービス:サービス提供者 --> 顧客
  • 対価:顧客 --> サービス提供者

となり、つまり、企業とは、(場の使用料を取られる)ある種の媒体だと考えられる。
ダイヤモンドの原石は、普通、磨かれて、商品となるなら、この磨く作業を誰かがしなくてはならない。農産物が各家庭に届けられるには、野にある野菜、または、畑に種をまき、育てることによって、である。
つまり、一種の「分業社会」を説明している。ちなみに、上記の関数では、サービス提供者、と、企業、を区別しているが、どちらも同じ役割の存在であって、(顧客から見て)たまたま、今回、立ち位置が違うだけである。
上記を、さらに、整理すると、

  • (顧客、企業)∈ サービス

となるが、この関係が成立するかどうかは、以下の方程式となる。

  • 上記が成立 = min(A円+B円:企業)

あらゆる、世界中の企業の中で、
A円+B円
をできるだけ、小さくできた企業だけが、上記の「関係」を成立させることができる、と考えられる。なぜなら、それが、貨幣の普遍性、完全順序関係を意味しているから。「同一のサービス」の場合、完全順序体(貨幣)においては、解は一意になるわけである。
さーて、キョーソーだー、って思うかもしれない。しかし、以下の二つの国が、それぞれに、通貨を発行し、経済活動をしているとする。そうした場合、上記の関係は、そう簡単ではなくなる。

  • 国家C:国民が全員、奴隷の国。なのに、全員、「明日の生活が少しでも良くなればいい」と、まじめに働く。
  • 国家J:国民主権の国。ところが、一人一人の権利があまりにも「複雑」にからみあいすぎて、なにも決まらない。

近年、あらゆる分野での、中国の台頭が言われるようになった。
なぜ中国がこれほど、注目されるのか。
それは中国の役割に関係している。
中国は、冷戦時代における、アメリカにとっての日本の、現代における日本にあたる位置にあると言えるだろう。
あらゆる経済は、さまざまな「差異」を突いていくことで、存在する。そこに差がある限り、それは「剰余価値」となる。
一番分かりやすいのが、労働者である。国内の田舎と都会の差異によって、企業は無限の低賃金労働を、田舎者から、得る。田舎から都会に来るということは、仕事のない所から、仕事を求めて来るということで、彼らのハードルはかなり低いことが分かる。
これは、中国も同じどころか、さらに、その人口規模、土地規模から、日本以上にダイナミックに機能するだろう。
そのように考えるなら、冷戦時代の常識こそが、私たちの今の認識を誤らせている部分はたくさんあるのではないか。
世界は、アメリカを代表する、民主主義国家で覆われると思ったが、21世紀は、中国を代表として、北朝鮮、アフリカ諸国と、

が一般的に見受けられている。しかし、これらの特徴は

  • 基本的に個人の経済活動に国家が介入しない

という、古代中国の政権が基本的に踏襲してきた「帝国」の作法を、踏襲している(このように考えるなら、一般意志2.0とは、たんに、古代の「帝国」の慣例の復活を目指しているのではないか、と思えなくはない...)。
国民が国家の奴隷であることと、個人の経済活動が「ほぼ」完全に自由を与えられることは、別に矛盾しない。この場合、個人にとって国家とは
面従腹背
するなにかである、ことを意味し、一般に民主主義国家に見られがちな、個人と国家の

  • 精神的な共感感情による「繋がり」

は、見られない(そういった、情緒的な「なれあい(個人の側の一方的な国家への甘え)」は生まれえない)。個人にとって、国家は「天災」に近い。常に、国家が個人を襲うのは「理不尽」であって、それ以上でもそれ以下でもない。
近年注目される、国家資本主義において、たとえば、中国や韓国による、さかんに水面下で行われている(だろう)とされている、為替介入を考えてみよう。
中国の国民にとって、中国が徹底して、アメリカ国債や日本の国債を買いあさることは、中国国民の不利益になる可能性は大いにある。なぜなら、買った値段で売れる保障はないからだ。しかし、大量に保持していることは、相手国への、大きな
牽制
になる。これだけ大量に保持できれば、これらを市場に出すかどうかの、駆け引きによって、相手国を
支配
できるからである。つまり、これによって、アメリカや日本は、実は、中国の
支配下
に入っているとも言えなくもないわけだ。先進国は、こういった手法によって、中国やロシアに、もう、逆らえない関係になっている、という側面は否定できないだろう(そういう意味で、ある一定以上の国債の保持を旧社会主義国に許してよかったのか、という「先進国の自由主義の建前」との衝突があった、とは考えられる)。
ずっと言われていることだが、中国の経済発展によって、そもそも、中国の物価は、日本やアメリカ並みになって当然のように思えるが、そうならない。というのは、中国国家がさかんに為替に介入して、中国の貨幣の価値を低く抑えているから、といえる。
そのことによって、中国企業は、安いサービスを国外に売れるようになっているわけで、これが中国の国内輸出企業「保護」政策となっているわけだ。
しかし言うまでもなく、通貨が安いということは、国民の財布の中が少なく抑えられているわけで、普通に考えるなら、国民の財産が国家によって少なくされている、と言えなくもない。
しかし、以下の面で、この方向は、圧倒的なアドバンテージがある可能性がある。
周辺諸国に比べ、圧倒的な、安価な労働力の提供を維持し続けることによって、まず、日本は完全に終わろうとしている。
日本の円高は、日本国内の輸出企業を、完全にオワコンにしてしまった。彼らは今の事業形態を維持し続ける限りは、日本国内に工場を置いておくことはできなくなった。これは、日本産業の「黄昏」となっている。
しかし、上記でも言ったように、これは「我慢比べ」を意味している。
中国の元安政策は、そもそも無理がある。ものすごい、国民の税金をつぎこんで、なんとか元安を維持しているだけで、国民の財産を捨てているとも言えるわけである。
しかし、「これ」によって、もし

  • 日本を完全に終わらせることができたら

どうであろう。日本国内に中国と競争をする企業を、存在させないようにできれば、世界は

を完成することができる。
大事なことは、中国や韓国が、日本やアメリカといった「先進国」のローカル法でしかない、独占禁止法に、道徳的に

  • まったく負い目を感じるわけがない

ということである。これは、「(経済)戦争」なのだから、完全に世界を(陣地戦の意味で、陣地を)「獲得」でき、世界市場を独占できさえすれば、

  • あとは、なんとでもなる

という、まさに、戦争のアナロジーなわけであろう。
元安を元高に変えていくのは、この「攻撃」が完成した後でもいい。
これは、韓国の財閥についても言えるだろう。
つまりこれは、中国と韓国による、

  • 日本(経済)戦争

の一種の日本攻撃であることを理解しなければならない。彼らの、戦前から続く、日本への怨念は強く続いているわけで、どんな形であれ、日本を滅ぼせれば、彼らの溜飲は下がるわけであろう。
(日本やアメリカが、もし自由主義を守りたいなら、むしろ、中国や韓国に、為替介入を「やるな」と、もっと言うべきなのではないか、という意見もある。)
しかし、変動相場制とは、こういうことを意味していたわけであろう。変動相場制を考えた人たちは、そもそも、市場をなんとかしたい人たちは、あくまで、経済個人をイメージしていたので、そういった個人や小さい企業がどんなに為替を操作しようとしても、大きな影響を与えられないから、平均によって、それなりの秩序になる、と考えたのだろう。
ところが、中国やロシアやインドやブラジルのような、それなりの、大国になると、かなり、市場そのものを動かせるくらいの、巨大なお金を国家自身が保持できてしまえる。
つまりこれは、長年の願いであった、

手法が、かなり現実味をおびてきている、とも言えるのだろう。
こういった中で、日本の「生存戦略」とは、どういったものになっていくと予想できるだろうか。一つ思うことは、あまりに大きな「選択」は、日本国内の、これだけの
市場規模
を考えても、大きな「多様性」の縮減をもたらしかねず、賢い選択とは思えない。むしろ、「政治力」によって、国際的な自由と民主主義の秩序を、呼び掛けて、他国の「暴走」を牽制し、バランスを重視する選択が、無難に思うのだが、その間には、国民に大きな犠牲を強い続けることになるのだろう。
そうした場合、簡単に「保護主義」を選択肢から捨てることは、これだけの市場規模をもつ国の選択としては、ナイーブすぎる。
むしろ、近年の日本国内の有識者たちの、「ナイーブな」自由「主義」の礼賛が気になる。アメリカから、舶来の、フェイスブックツイッターがあらわれると礼賛し、国内のSNSサービスをボロクソこき下し、アップルやサムソンの舶来スマートフォンを礼賛し、国内企業の努力の結晶のスマートフォンをボロクソこき下し、中国の安価な製品を礼賛し、日本企業のなかなか値段を下げられない状況を

  • 日本製品のサービスの悪さ、サポセンの態度の悪さ

と、議論をすりかえ、ボロクソこき下し、どうも、グローバル主義者たちは、日本人が嫌いで、日本を外国に占領させたいようだ(日本のジャーナリストは、日本企業に、けんもほろろの扱いを受け続け、日本企業が嫌いで嫌いで、怨念の塊になってるんじゃないですかね)。もう少し、日本で働く日本人たちが、この非常に厳しい状況にあることを、建設的に応援するような「諫言」を、やろうという気はないのかな...。