国民を脅す総理の「脅迫政治」

野田総理大臣は、原発再稼働の理由として、日本が中東の石油に依存していることを挙げた。
つまり、彼は、もし日本が原発を動かさなかったら、中東の政変によって、戦後のオイルショックや、戦前の日米戦争のようになる、と

  • 日本国民を脅した

わけである。そんなふうになっていいのか? もし原発を止めたら、もう一度、エネルギーショックが起きるんだ。そうなってもいいのか。それでも反対するのか。もう一度、日本が貧しくなってもいいのか。
私はこの会見を見ながら、「なるほどな」と思った。
そして、彼は最後まで、脱原発依存と言わなかった。そりゃそうだろう。だって、

  • 日本が貧しくなる

のだから。そう自分で言っている人が、脱原発依存なんて、言えるわけがない(橋本大阪市長のように、彼もつい最近まで言っていた脱原発依存

だった
転向した
と言い始めるだろう)。
国民は税金を払え。消費税を払え。そうしなかったら、

  • 生活保護をやらないぞ(やるお金がなくなるぞ)。

現代とは、不安の時代である。ただでさえ、あらゆることが不確定で、先の見えない時代において、
それを利用して
国民を脅迫して「自分のやりたい」政策を実現する彼は、ファシストと呼ばれることを、むしろ、誇りにするだろう。

  • 国民を安心させるために、国民を脅迫する。

ということは、

  • 国民が恐怖することで、「自分」が安心する。

というわけだ(実に、ファシストにふさわしい)。
彼はいみじくも、自分は脱原発依存によっては、オイルショックを防げない。自分は、総理大臣だが、それを実現する「自信」がない、と言ったのだ。つまり、彼は脱原発依存をかかげる、日本の民主党政権の首長に、ふさわしくない。
そもそも、政治の役割は外交だ。日本は平和憲法を掲げ、世界平和を誓ったはずの国の首相が、自分は中東の平和に貢献できない、やれる自信がないと言ったのだ。いやはや、やる気のない人を総理にした日本の不幸は深そうだ。
彼の持論は、原発を動かさなければ、日本は不幸になる、だが、では、原発を動かさないために、どれだけのことをしたのか。近年、注目されている、天然ガスの確保にどれだけの努力を傾注したのか。自分がやる気がないことを、
日本の不幸
と言い変える人を自国の総理にかかえている不幸をかみしめよう。
自分の無能を、国民恫喝、にすりかえる、政治家は、この国には、いらない。
オイルショックを駆け引きに使って、国民から、意志を奪い、自由を奪い、消費税というお金を奪う彼は、そもそも彼が、

だけの、権力が総理大臣にはあることを裏で匂わす。彼が気に入らなかったら、外国から石油を買わないと決めれば、日本には一滴も石油が入ってこなくすることが「できる」。原発の燃料だけしか、彼が輸入しないと決めれば、日本のエネルギーを原発漬けにし続けることができる。
そもそも、総理大臣は、国民を戦争に行かせ、国民を殺すことができる。
つまり彼は、そうされたくなかったら、俺の言うことを聞け、と言ったとも言えるだろう。
総理大臣は国民を殺すことができる。彼が気に入らなかったら、国民を殺す(のと同等の行為をさせられる)。
実際にやるかどうかなど、どうでもいい。それだけの、「権限」があるからこそ、彼は国民を
脅す
ことが効果的だということを分かってやったわけだ。
彼は国民を殺すのと「同様」の効果のあることを、し続けるだろう。
気に入らなければ、彼が国民に、日本人をやめさせればいいのだ。彼のお気に入りの人だけを「日本人」と定義すればいい。
恐らく、戦後始めて、この国の総理が、国民を「手段」として、自分の「目的」を実行した、事態なのではないだろうか。つまり、今日は、
戦前の復活
を告げる、不吉な一日となった(3・11の衝撃というエリートパニックが、権力の戦前回帰を勢いづけるのだろう...)。
彼は、これからの総理の任期の間、何度も何度も国民を脅迫し、国民を人質にし、国民を「犠牲」にして、自分のやりたいことをやるだろう。
そうして、国民が恐怖に顔を歪ませれば歪ませるほど、自分の「権力」の無類さに気付き顔を火照らせる。
恐ろしい...。
今日が日本の恐怖政治の始まりだ...。